第65話 魔術院

 魔術院は、レンガ造りの重厚な建物だった。


 正面に大きなアーチ型の玄関があり、その両脇に、大きな台座に乗った石像が二体設置されている。尾が三本に分かれた、鷲に似た鳥の石像……この姿には、見覚えがあった。ルークの魔術師のマントに二対で描かれている、魔法生物だ。私がそれをじっと見上げていると、レインが「奥様、こちらをご存じですか? これはガルディアと言う伝説上の神鳥で、魔術院のシンボルになっているんですよ」と教えてくれた。


 私は王都へなど来たことがないから、魔術院を見るのも初めてなら、入るのも当然初めてだ。立派な玄関を抜けると、そこは緑の芝が美しい中庭になっている。四角い中庭を中心に、石造りの柱の並ぶ回廊が見えた。私は、テオ、レイン、そして魔術院の高官だと言う数名と共に、慣れない暗い廊下を緊張しながら歩いて行く。


 通された部屋は、最上階の壮麗な部屋だった。室内に入ってすぐ、あるものに目が留まる。私は思わず声を上げていた。


「フロガー!」


 ルークが連れて行ったフロガーが、回復球に守られて浮かんでいる。気持ちよさそうに眠っているフロガーの表皮が、闇魔法で毒された黒っぽい色から、いつもの茶色に戻っていた。もしかしたら、目覚めるのももうすぐなのかもしれない。テオが口角を少し上げた。


「フロガーの治療は順調のようですよ。もう間もなく、目覚めるでしょう。ニコが大喜びする顔が目に浮かびますな」


 私は嬉しい気持ちで頷いた。魔術院の高官が一人、一歩前に出て頭を下げた。


「クレア奥様、初めまして。ご挨拶が遅れました。私はマイルズ。畏れ多くも、おさの第一補佐官を務めさせて頂いております。以後お見知りおきを」


 丁寧に挨拶したマイルズは、短く刈り込んだ茶色い髪と茶色い瞳の温和そうな男性で、ルークよりもかなり年上に見える。40代位だろうか。低い声と年相応に落ち着いた物腰で、こちらに安心感を与える人物だ。


「初めまして、マイルズさん。私はクレア。いつも夫がお世話になり、ありがとうございます」


 私がそう言って礼をすると、マイルズは微笑んだ。目尻に皺が出来て優しそうだ。


「いいえ、こちらこそ。長の奥方が、これほど美しくて気品のある方だったとは。今宵、当院ではちょっとした騒ぎになっていたのですよ。実は我々はこれまで、長から奥方について、何も聞いておりませんでしたものでね。私も含めて魔術院からも数名、お二人の結婚式に参列させて頂いていたのですが、あの夜の貴女様はマント姿でございましたから……と、無駄話はこれくらいにして」


 と言って、マイルズは顔を引き締め、私の傍に立っているレインに視線を向けた。


「レイン。先ほどの女は、魔術師ではないな? お前の見立てはどうだ」


 私は驚いてレインを見る。アゼルが、魔術師ではない? では、あの雷魔法は? 驚く私をよそに、レインは間髪入れずに頷いた。


「はい、私もそう思います。あの女……アゼルとか名乗っていましたが、彼女は呪文の詠唱すらしていませんでした。恐らく、あれは何者かに属する使い魔でしょう」


「使い魔? アゼルが?」


「はい、奥様。彼女の使ったあの術は、我々人間とは異なるものです。あれだけの電撃を空砲で放つことは、通常の雷魔法では出来ません。何と説明すればいいか、あれは後天的に身につけた魔術ではなく、体に自然に備わっている力、とも呼べるものですよ。彼女は人間の種族ではなく、何かしらの精霊もしくは魔族でしょうね。何の種族かまでは断定できませんが」


 ずっと昔、モーガンの家の本で読んだことがある。高名な魔術師は使い魔を持つことが多い、と。となると、アゼルはサイラスの使い魔なのかもしれない。レインは相変わらず血色の悪い顔ながら、首を傾げてつらつらと述べる。


「ただ不思議だったのは、アゼルには、使役されている様子がほぼ感じられなかったことです。使い魔ならば、本来、従属する主の命による単一的行動しかしないはず。ですがアゼルは、極めて自然な、人間らしい動きをしていました。ワインを飲んだり、自在に会話をしたり。当初接触した時には、使い魔とも気付かなかったほどです。ですから、使い魔と断定出来るかというと、そこはまた分からないところではあります」


「ふむ、なるほどな。……我々が先程、外務院の密偵から得た情報によれば」


 と言って、マイルズは傍らに控えていた男から一枚の羊皮紙を受け取り、その文面に目を落とす。


「今宵の招待客の中に、アゼルと言う名の女はいない。外務院の言うには、スティリア王国からの招待客は、外務卿のウンブラ氏以下5名のみ。彼らは全員、スティリア中央政府の高官であり、我が国にも顔の知れている者ばかりで、不審な者はいなかった……となると、その得体の知れない使い魔が、なぜスティリアの名を出したのか、だが」


 マイルズは眉間にしわを寄せて続ける。


「軍事大国スティリアにおける最も高名な魔術師は、いわずもがなウンブラ卿だ。そして、今宵現れた、そのアゼルとかいう女。そんじょそこらのはぐれ魔とは到底思えない。あれほど強力な種族を従属させることが出来るとしたら、スティリアでは、もはやウンブラ卿しか考えられん。だが、もしも、そのアゼルというのが本当にウンブラ卿に属する使い魔だったとすると、非常に厄介なことになる……ウンブラ卿は、スティリア国王の右腕で、老齢の国王に代わり、実質政権を牛耳っているとの噂もある大物。その男が、何らかの目的をもって我が魔術院の長を狙って来たとなると、到底、当院だけの問題では済まぬ。こじらせれば、国家間の争いにまで発展しかねん」


 そこまで言うと、マイルズは顔を上げて、「メイルバード!」と鋭く呼んだ。高い天井の、暗い梁にとまっていた極彩色の鳥が舞い降りて来る。マイルズは、メイルバードを右腕にとまらせ神妙な面持ちで言った。


「長からの伝令だ。長は今……ウンブラ卿と共にいらっしゃる。というよりも、ウンブラ卿に足止めをされている、と言った方が正しいか……。奥様、少し驚かれるかもしれませんが、どうぞお気を楽に。あの方は、これしきのことで倒れるような方ではございませんから」


 マイルズの言葉に、私の心臓がドキリとする。メイルバードが、その鮮やかな黄色いくちばしをゆっくりと開けた。

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