第64話 舞踏会(6) アゼル

 気づいた時には、私の目の前に白い稲妻が走っていた。突然の衝撃音と肌がしびれる感覚に、私はハッと目を見開く。私は……今一体、何を?


 視線の先に、面白そうに顔を輝かせているアゼルが見える。広間から続く回廊に立つ彼女の足元でバチバチと、青い火花が爆ぜていた。彼女のワインレッドのドレスの裾が、衝撃に揺れている。振り返ると、楽団の演奏が途切れ、広間の人々の驚いたような視線がこちらに集中していた。私は状況が呑み込めなくて、戸惑いながら周囲に視線を巡らす。回廊と広間の境目に立っていたのは、レインだ。鬼の形相の彼女の右手には短い魔法の杖が掲げられ、その先が火花を散らしている。そうか、これは、レインの雷魔法! 私は回廊に立っている……ということは、私は、アゼルの言葉に誘われて、広間を出て来ていたのか! レインは、顔を上げて大声で呼ばわった。


「衛兵!! この女を捕らえろ!! 我が魔術院に差し向けられた密偵だ!!」


 広間にざわめきが広がり、あちこちから衛兵、それに魔術院の者と思われるローブ姿の人が多数駆け寄って来る。だがアゼルは少しも動じることなく、はしゃいだ様子で手を叩いていた。


「あっはっは! 御上手、御上手、山猫ちゃん! ほらほら、もう一発撃ってごらん! 今度はちゃんと当てないと、私に逃げられちゃうよ?」


「なっ……貴様、馬鹿にしてるのか!」


 レインは顔を紅潮させ、さっと杖を掲げた。急激に放出される強い魔力に、彼女の若草色のドレスが風をはらんでバタバタとはためく。


「『天駆ける光の刃よ 我が呼び声に応え地を切り裂け サンダー!!』」


 バリバリという激しい衝撃音と共にまばゆい稲妻がほとばしり、回廊の美しい床に青白い火花が散った。背後の広間の客から悲鳴が上がる。だが、レインの放った電撃をするりと軽やかに避けたアゼルは、腹を抱えて笑った。


「あーっははは! もっと、もっと! 遠慮はいらないのよ、山猫ちゃん。美しい私への愛をこめて、どんどん撃ち込んでおいで?」


「貴様っ!! その減らず口、二度と叩けないようにしてくれる!」


 レインはそう言って次々と電撃を放つが、そのどれも、アゼルは踊る様に優雅に避けてしまう。まるで……そう、背中に羽でも生えているかのように。一体、この人はなに? レインの強力な雷魔法にも、びくともしない。魔力を使い続けているレインは、ぜえぜえと肩で息をしている。なのに、アゼルは一際大きな電撃をひらりと避けて、とん、と床につま先をつき、楽しそうに笑っていた。


「あんたの魔力はこの程度? これで雷魔法だなんて、可愛すぎて笑っちゃうわ! 魔術院のおさとやらもがっかりだわねえ!」


「ふざけるな!! 貴様……一体何者だ?! 娼婦だなどと、見え透いた嘘を!」


 叫ぶレインの額に、玉の汗が噴き出ている。顔色も悪い。連続で強い魔法を使い続けたせいに違いない。レインの体がふらつく。私は咄嗟に彼女に駆け寄り、その体を支えた。衛兵達の姿はもう目の前だ。これだけの人数がいれば、アゼルを捕縛できるだろう……と思った矢先。アゼルは、逃げる素振りもなく、にこりと優雅に微笑んだ。


「教えてあげる。雷魔法ってのはね……こういうのを言うのよ!」


 アゼルの琥珀色の瞳が怪しく光った……と思った瞬間。空を切り裂く稲妻と烈風が辺りを包んだ。私はレインと共に悲鳴を上げて床に伏せたが、その悲鳴は全て轟音にかき消される。大気に満ちる雷の力に肌が痺れ、髪の毛が逆立った。先程のレインの雷魔法とは比べ物にもならない威力に、私は戦慄する。ベルが仕立ててくれたドレスの豊かな布地が、烈風を受けて千切れんばかりに煽られている。大気を震わせる雷の向こうから、アゼルの楽しそうな笑い声が聞こえて来た。


「あっははは! みんな虫けらみたいに這いつくばって、いい格好ね! 楽しかったわ、山猫ちゃん! また機会があったら遊びましょ? それに……クレアちゃん。あなたには聞きたいことが山ほどあるの。うふふ、今度夜這いに行くから、楽しみに待っててね! じゃ、そういうことで。ごきげんよう!」


「待ちなさい……アゼル!」


 私はそう叫んで咄嗟に手を伸ばすが、彼女を捕まえられるはずもなかった。この力……とても普通の人間とは思えない。彼女は、サイラスと同じタイミングで姿を見せた。となると、アゼルはサイラスの放った魔術師で、ルークを陥れるために私を狙った? 私の意識を朦朧とさせたあの声は、何らかの魔術だった? 私がアゼルの言葉を退けてさえいれば……いくら今が夜だからと言って、アゼルになすすべなく翻弄された自分が情けない。昼間の私ならば、あんな女になど負けはしないのに!


 私の傍らで身体を起こしたレインが、目尻の涙を拭って言った。


「ゴホゴホッ……奥様、お怪我は?」


「いいえ、私は大丈夫……それよりもレイン! あなたこそ心配よ。顔色が悪いし、体も震えている……ごめんなさい、私のせいだわ……私が、アゼルについて行こうとしたから……」


 心底申し訳なくて謝る私に、レインはきっぱりと言った。


「いいえ、今回の事態は、奥様にあのような不埒の者を近づけてしまった私の責任です。おさに再三命じられていたんです、『今宵どんな不逞の輩が紛れ込むとも知れぬ。妻の身辺警護はくれぐれも厳重に、少しでも怪しい動きを察知したら迷わず排除しろ。その全ての責はこの私が持つ』と。申し訳ありません、私の力及ばず……クソッ、あのアゼルとかいう女! 今度会ったら、ただでは済まさない!!」


 雷の余韻と烈風が次第に収まって来る。衛兵達があたりを駆け回るが、アゼルの姿は既にどこにもなかった。雷と共に消えてしまったようだ。それに。ルークもまた、どこにもいなかった。この騒ぎでも、姿を見せないなんて。私は、沸き上がる嫌な胸騒ぎにぎゅっと手を握りしめた。サイラスは、ルークを一体どこへ連れて行ったのだろう。ルークは今、どこで何を?


 強大な雷を放ったアゼルだったが、不思議なほど被害は無かった。雷のさく裂した辺りを急ぎ検分した魔術師達は、あの雷はこけおどしのようなもので、破壊を目的とした攻撃魔法ではない、という結論に達した様だ。


 デズモンド国王は、こんな事態にも顔色一つ変えず、毅然とした様子で招待客に詫びの言葉を述べ、不埒者の成敗と舞踏会の続行を宣言した。ロマ王国の威信にかけて、こんな騒ぎでこの場を混乱させるわけにはいかないのだろう。国王の堂々たる態度に、楽団の演奏は何事も無かったように再開し、早速広間の貴族連中の間では、この騒ぎに関する根も葉もない噂と、浮ついたゴシップの話が賑やかに始まる。もちろん、国王がとりなした華やかな場の裏では、各院の密偵が幾人も調査に乗り出していた。


 騒動の中心にいた私達の元にも当然調査人がやって来たが、国王主催の舞踏会である上、私が魔術院の長の妻という立場であるせいか、詰問されるようなことはなかった。近衛兵長に柱の影で簡素な質問をされ、相手の特徴などを聞き取りされただけだ。むしろ、危険な目に合わせてすまなかったとの謝罪を受け、無罪放免となる。


 私は、ルークが心配で、心ここにあらずだった。近衛兵長に聞いても、申し訳ないが魔術院の長の行方は知らぬ、と言う。私がひどく不安な気分で広間を見渡していた時、ある人影に目が留まった。黒い執事服でこちらにやって来る初老の男……テオだ! 広間の客に紛れるように目立たない動きでやって来たテオは、抑えた声で言った。


「クレア奥様! ご無事で何よりでございます。ご主人様より伝令を受けて急ぎやって参りました」


「テオ! あの人は、一体どこで何を? 伝令って……」


「魔術院にて待機しておりました私共の元に、メイルバードが来たのです。ご主人様は……少し込み入った事情により、今すぐ奥様の元へいらっしゃることは出来ません。代わりに、私が奥様を安全な場所へご案内致します」


「込み入った事情って……」


「ご主人様は大丈夫です、あの方なら……きっとすぐにお戻りになられるでしょう。さあ、広間の外で、魔術院の高官らが待っております。ひとまず、彼らと共に魔術院の結界の中へ……レイン、お前も来てくれ。彼らが、くだんの女について、お前の話を聞きたいそうだ」


「はい、もちろんです、テオ様!」


 私は、テオに急かされるように広間の人混みを抜けて行く。テオが珍しく言葉を濁したことに、より一層の不安を感じながら。

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