第61話 舞踏会(3) 接触

 大広間に姿を現したデズモンド国王陛下は、聞きしに勝る威風堂々たる人物だった。在位期間を考えるともう壮年期を過ぎているはずだが、少しの衰えも感じさせない。若い頃より武に秀でていたとあって、真紅のコートをひらめかせた立派な体躯と髭をたくわえた頑健な顔付きは、いかにも歴戦の強者と言う感じがする。自国の王族で、しかもこんなに凄い人を、ルークが気軽に「デズ」などと呼んでいるとは、畏れ多すぎて背筋が寒くなってくる。


 国王の背後には国内五大院のおさたちがずらりと並んでおり、その中でも一際目を引くのが、国王の右隣に立つ魔術院の長……ルークだ。国王の最側近というのは嘘ではないらしい。それにしても、仕立屋ベルの素晴らしい装束のせいもあるだろうが、やはりあの姿は他の人々とは一線を画す異様な雰囲気で、正直言って怖い。あの中身の人物を知らなければ、恐ろしくてとても近付くことなど出来ないだろう。


「お集まりの皆様方。我がロマ王国へようこそ。私は、国王デズモンドである。今宵は、常日頃から我が国と親交のある皆様方に謝意を込めて、こうしてささやかながら宴を用意させて頂いた。我が国の誇る『花冠の祭り』はもう間もなく、どうか心行くまでお寛ぎ頂けるよう」


 デズモンド陛下のよく通る声に従うように、楽団が華やかな音色を奏で始めた。


 花冠の祭りの前夜祭というだけあって、王宮には至る所に色とりどりの花々が飾られている。美味しそうな料理が並んでいるテーブルにも、荘厳な白い柱にも、ドーム型の天上にまで。黄金の天上から緩やかに流れ落ちる白と薄紅色の花の滝などはまるで人の世のものとは思えず、招待客からも感嘆のため息が漏れている。


「……すごいわね、レイン! 私は王宮になど入ったことも無かったけれど、こんなに綺麗な場所だったなんて」


 ハーブの良い香りのするミートパイを食べ終わった私がそう言うと、レインが大きな串焼き肉を頬張りながら言う。


「でしょう! という私もこの大広間に入ったのは人生二度目です。五大院に所属する者は、どんな下っ端であっても、国王陛下の公許を得ねばなりませんからね。まあ国家の中枢機関ですから、それも当然ですけど。そういうわけで、私は、その時にここで陛下に直接お会いしてます。その時、うちの国ってこんなにお金持ちだったんだ、って感動しましたよ! だって天井が黄金で出来てるとか、庶民の私には想像すら出来ませんからね!」


 レインは、今度は骨付き肉にかぶりついている。見ると、彼女の皿には他にもソテーや揚げ物など、肉ばかり山盛りになっていた。私は甘い香りの花酒を飲みながら、心配になって言う。


「ねえ、レイン。そんなにお肉ばかり食べて、お腹を壊さないかしら?」


「あ、大丈夫です! 何しろ、今日はタダ飯ですからね! 今食べないでいつ食べるんだ、って話ですよ! 魔術院の同僚とも話してたんです、踊りなんぞ腹の足しにならんからどうでもいい、あの舞踏会は、我らにとっては肉を食う会だ、って。だって、タダで肉が食べ放題なんて、滅多にないんですよ?! こんなまたとないチャンス、逃すわけにはいきません!」


 そう言って彼女はバクバクと食べ進める。いかにも幸せそうだ。広間をさりげなく見渡すと、イヴを初めとした貴族らしい一団は優雅に踊っているが、確かに、音楽そっちのけで肉料理のテーブルに群がっている者達もいる。私は思わず笑ってしまった。


「そうね。ここの料理はどれも美味しいもの。私も踊らずに、ここでレインと一緒にお食事を頂いていようかしら」


 私がそう言って空になったグラスをテーブルに置いた時。その手が、白い手袋をした大きな手に取られた。レインの視線が、私の背後に向いている。彼女は慌てて肉を飲み込み、笑顔で言った。


「……奥様は、そういうわけにはいきませんよ! これから楽団の演奏がより一層盛り上がる時ですから。……ねえ、そうですよね、おさ?」


 私は、いつの間にか迎えに来てくれていたルークの手に引かれて、大広間の中央へと案内される。


 ルークは何も言わず、私と向き合って腰に腕を回した。周りの人々の視線が痛いが、と言ってここで尻込みして逃げ出すわけにもいかない。私は観念してルークの腕に手を添え、楽団の演奏に合わせて踊り始めた。


 ルークと踊るのは、初めてだった。辺境の屋敷ではそんな機会は無かったし、舞踏会に出ると決まった後、ルークとはほとんど一緒に過ごせていない。私はずっと一人で、ニコを観客に自室で練習していたのだ。


 それなのに、不思議なほど、私達の息はぴったりだった。私は舞踏会なんて人生初だから、きっとステップを間違えているはず。なのに、ルークの足とぶつからない。きっと彼が、上手くリードしてくれているのに違いない。ほっとして、緊張でガチガチだった体がほぐれて来る。私はいつしか、ルークにすっかり体を預けて楽しい気分で踊っていた。新調したばかりの銀色のヒール靴が、磨き抜かれた床の上で軽やかな音を立て、ベルの美しいドレスの裾が、薄紅色の春風のように麗しく舞った。


 私達は、大広間中のさりげない視線を浴びながら、何曲か続けて踊る。曲調は緩やかなものから、明るくアップテンポなものへ。宴もたけなわだ。楽団の指揮者が、汗を飛ばして笑顔で指揮している。私は踊りながら、仮面の顔を笑顔で見上げた。ずっと動いていたから、はあはあと息が上がっている。私は、周りに聞こえないように囁いた。


「とっても、楽しいわ! 舞踏会が、こんなに素敵なものだったなんて。私、こんなに楽しく踊ったのは、生まれて初めてよ。ありがとう、あなた」


 沈黙。私の腰に回されている腕に一瞬力がこもったが、すぐに緩む。賑やかな曲が終わった。王宮の入り口にいる執政院の係官らしき人が、遅れて来た招待客を読み上げている声が耳に入る。先程から何人も呼ばわっていたが、楽団の演奏の切れ目で、特によく響いてきた。


「スティリア王国より、ウンブラ卿のご到着ー。続いてはー……」


 ルークがハッと硬直したのが分かった。楽団の演奏が滑らかに始まる。だがルークは、一歩もその場を動かなかった。


 ルークは背後を振り向かないが、様子をうかがっている気配が伝わって来る。私はさりげなく、彼の背中越しに王宮の入り口の方へ視線を向ける。広間に入って来るのは、長い銀髪に黒い瞳の、背の高い男性だ。白銀に輝くローブの上に、どこかで見たような濃緑色のマントを羽織っている。あれが、ウンブラ卿? 当然、私にとっては見ず知らずの人物だが、私は思わず目を見張っていた。その人が、まるで夜の精霊のように美しい人物だったからだ。早速、広間中の女性達の視線が彼に集まっている。その中には、もちろんあのイヴ嬢もいた。


 スティリア王国と言えば、ここロマ王国の、北の隣国。ウンブラ卿、という人物は聞いたことが無いが、スティリアとロマの交易は古くからあるので、招待客にいてもおかしくない。一体、あの人のどこがルークは気になるのだろう? だが私は、ルークが仮面の下で漏らした名に、思わず息を飲んでいた。


「サイラス……!!」

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