第60話 舞踏会(2) 令嬢イヴ

 イヴの発した言葉に、私は硬直する。レインが、あからさまに嫌そうな顔でイヴを見た。イヴが高らかに笑った。


「嫌だわ! レインったら、そんな顔をしなくても良いじゃない。あの頃は、あなたも魔術院でよくわたくしとお喋りしていたでしょう、忘れてしまったの? 今でも時々思い出すのよ。魔術院の最上階のあの部屋は……夫の部屋は、とても見晴らしが良くて、二人でよく共に王都の夜景を見たものだわ、って。宮廷では冷淡な彼も、最初の妻であるわたくしには、とても優しくしてくれたものね」


 滑らかにそう言って、彼女は私に視線を向けた。私を値踏みするような、見下した視線。彼女は私を無遠慮に眺めまわして言った。


「それで、こちらは? 宮廷ではお見かけしたことがないお顔ですけれど。レイン、あなたのお知り合いかしら。紹介してくれても良いのではなくって?」


 気付くと、大広間中の視線が、私達に集まっている。皆が好奇の目を輝かせてこちらを眺めていた。レインが、気まずそうに身じろぎしながら言う。


「あー……ええ、そうですね。ご紹介が遅くなり失礼しました。ええと……その。クレア奥様、こちらは、イヴ・マリアン・アトリー様です。現在の執政院しっせいいんおさを務めていらっしゃるアトリー公爵のご息女で……我が魔術院とも……ええと……まあその、関係の深い、というか、深かった、お方ですかね。あはは!」


 笑って誤魔化すレインだが、イヴの高笑いでその声はかき消された。


「なあに? その歯切れの悪い言い方は! わたくしが、魔術院の長様の妻だったと知らない者はいないでしょうに! こちらの方だって当然ご存じのはずよ、ならばね。ねえ、そうでしょう、あなた?」


 レインが「ちょちょちょ!!」と叫んで、私と彼女の間に割って入った。


「ええとですね!! イヴ様、こちらは、我が主と先日婚儀を上げられました、クレア奥様でございます。今宵は、お披露目の意味も込めてご出席なさって……」


 イヴがレインの言葉を遮り、わざとらしく高い声を上げた。


「んまあ! 彼の新しいお相手ですって? それは驚きましたわ! ああ、そう言えば、皆が噂しておりましたわね? 彼が、六人目の妻を迎えるらしい、とかなんとか。確か、婚儀は辺境のうらぶれた教会だったのではなくって? お可哀想に! わたくしの時は、王都でも最も歴史ある大聖堂で、国王陛下も列席して下さって、それは華やかな結婚式でしたのよ。けれどまあ、それも無理のないこと。あなた……失礼、何というお名前でしたかしら……あなたはもう六人目ですし、彼にとって初婚の相手だったわたくしよりも、随分ぞんざいな扱いになってしまうのは仕方ありませんわよね。あまり気落ちなさらなくても良くってよ?」


 イヴは高らかに笑い、高価そうな扇で口元を隠しながら目を細めた。


「ああ、それと。宜しければ、ひとつお聞かせ願えませんこと? あなたは、どちらのご出身ですの? これまで彼のお相手は、宮廷の高位貴族のご令嬢ばかりでしたが……今回ばかりは、宮廷の者は誰も、あなたの出自を知りませんの。まあ、魔術院の長ともなれば、相応の地位のある女性でなければ相手にもしないでしょうけれど」


 イヴは挑戦的に言い放った。レインが青ざめている。私は、背筋を伸ばして言った、皆の好奇の視線を体中に受けながら。


「……初めまして、イヴさん。私はクレア、地方領主モーガンの娘です。ご挨拶が遅れてごめんなさい。私は、あなたが、私の夫が離縁した女性だと知らなかったものですから」


 広間にざわめきが広がった。先程まで高慢に笑っていたイヴの顔色がさっと変わる。青ざめて硬直しているレインには申し訳ないと思ったが、私は俯くことなく続けた。


「夫が結婚式にと選んでくれた辺境の教会は、小さいけれど歴史ある美しい場所で、私達はとても厳かな気持ちで結婚の誓いを立てました。あれからもうひと月以上経ちますけれど、私は毎日、とても幸せです。……婚儀を上げた教会の大小で、愛情の深さを測ることは出来ませんわね。このドレスも、夫が私のために特別にあつらえてくれたもので、夫は、これを身に着けた私と踊るのを、それは楽しみにしてくれておりますわ」


 イヴの、扇を握る手がわなわな震えている。遠巻きに見ている貴族連中のざわめきが大きくなった。硬直していたレインが、弾かれたように顔を上げて叫ぶ。


「あっ! もう間もなく、国王陛下のおなりですね! さ、奥様。あちらに行って陛下をお待ちしましょう、ね!!」


 レインは手袋をした私の手をがっしと掴むと、脱兎のごとくその場を後にした。


 ざわめく大広間を出て、人気のない広い回廊で足を止める。レインが全速力で走るので、二人とも息が上がっていた。回廊を照らす月明かりの中、レインが大きく一息ついて、あはは、と快活に笑った。


「ああ、驚いた。でも……クレア奥様、よくやってくれましたね! スカッとしました!」


「……ごめんなさい。あんな風に言い返すつもりではなかったの。でも、結婚式のことを言われて、なんだか夫まで侮辱された気持ちになって、我慢が出来なくて……夫は、あの辺境の教会を、好きだと言っていたものだから」


 私は首をすくめて詫びる。レインは大きく首を振った。


「いいんですよ! 多分、私みたいにスカッとした人、他にもいるはずです! 何しろ、あのイヴ様は、高慢ちきで有名で。父親が執政院の長だからって、宮廷の女主人のように振舞っているんです。自分の気に入らない人間は、男女問わずすぐに宮廷から追い出すものだから、周りはあの人に媚びへつらって……ほんと大変なんですから!」


「そうなの……? ならば、良かったけれど……私、自分があんな風に言い返せるなんて、自分でも驚いたわ。人間、追い詰められるとなんでも出来るのかしらね」


「あ! 奥様が笑った! その方がずっといいですよ! 緊張している顔も、悪くありませんけどね」


「えっ……そ、そうかしら。ありがとう、レイン」


 レインは頷いたが、突然、石造りの柱の影に飛んで行って、びくびくと広間の様子を伺った。


「ところで、我が主はまだ出て来ていませんよね……うん、いないな。ああー、良かった! 今の様子をあの方が見ていたら、特大の火の玉を飛ばされるところでしたよ。我が主には、クレア奥様を、絶対にイヴ様に近づけないように厳命されていたんですから! イヴ様はいつも、広間の一段高い所で貴族連中と優雅に歓談されているから、安心していたんですけど。まさか、あんなところまで自らやって来るとは私も迂闊でした。イヴ様、我が主に未練たらたらなんですよねえ……困ったことに」


 私は手元に視線を落とした。いくら離縁したとは言え、一度はルークと結婚した女性だ。こうして悲しい気分になるのは仕方がない……と思っていたら、レインが「あっ、奥様」と声を上げた。私は顔を上げる。レインが困った顔で言った。


「クレア奥様、すみません、我が主のために一応弁明しておきますと。先程のイヴ様の話はほとんど嘘っぱちですから、お気になさらないで下さいね! 魔術院の長の部屋で、とかなんとか言ってましたが、我が主が彼女を招き入れたことなど、一度も無いですよ! 彼女が勝手に乗り込んできて我が物顔で居座って、あの時の主の怒りっぷりったら、もうそれは大変でした。奥様の方がよくご存じでしょうが、我が主は、『忍耐』と言う言葉を知りませんからね……魔術院の幹部も主を宥めるのに四苦八苦で、挙句の果てには、主自ら執政院の長のところに乗り込んで行っちゃって、最終的には陛下が仲介してどうにか場を取り持って下さったと言う……」


「そ、そう……それは大変だったわね……」


「部下の私が言うのもなんですが、あの方、ちょっと偏ったところがあるんですよね。魔術師としては本当にあり得ないほどの天才なんですが、人付き合いが苦手というか……あっ! 奥様、ここだけの話でお願いしますよ。背後から黒焦げにされたら困りますんで!」


「ええ、分かったわ……その、ごめんなさい。夫が、ご迷惑をおかけして」


「いいえ、迷惑だなんて、とんでもない! 今の言葉と矛盾しているようですが、私は、あの方の下で働けることを誇りに思っているんですよ! 魔術院の誰もが、きっとそう思っているんじゃないかな。だから実は、今日あなたに会えるのを、魔術院の者は皆すごく楽しみにしていたんです。長の奥様が、こんなに美しくて優しそうな方だったなんて、私はとっても嬉しいです!」


 レインは両手に力を込めてそう言った。私は気恥ずかしくて両手で頬を覆い「ありがとう……」と呟く。その時、広間から、ラッパの大きな音が鳴り響いて来た。レインが広間を振り返った。


「あっ、奥様。国王陛下のおなりです。さあ、広間に戻りましょう!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る