第59話 舞踏会(1) レイン
王宮は、夜の底で宝石のように煌めいていた。今宵の舞踏会は『花冠の祭り』のいわば前夜祭、にも関わらず、まるで祭りそのもののように華やかだ。ルークが言うには、この舞踏会はロマ王宮の権威を国内外に示す良い機会だそうで、デズモンド国王陛下も毎年ご臨席されるらしい。ルークも立場上この舞踏会には必ず出席せねばならないようで、『全く、面倒にも程があるよ!』とプリプリ怒っていた。
そのルークだが、今夜は完全に沈黙を保っている。馬車に乗ってからも、一言も口を聞かない。彼と私の間には、不気味な長い杖と、ルークの言葉を代弁する赤と緑の派手な鳥……メイルバードが鎮座していた。仮面の魔術師姿で沈黙している彼と共にいると、あの結婚式の夜の不安な気持ちを思い出す。
王宮が近づくにつれざわめきが大きくなり、視線の先には着飾った沢山の人々が見えて来た。私の全身から血の気が引く。私はルークを振り返り、掠れた声で囁いた。
「私、こんなに人が沢山いる場所に出るのは、本当に初めてよ。ねえ、あなたは、どのくらい、私と一緒にいてくれる? 私一人になったら、その……どこか、人目につかない場所に隠れていてもいいかしら? 私、知らない誰かと話したり、ましてや、踊ったりなんてする勇気はとても無いわ。ごめんなさい、折角、こんなに素敵なドレスをプレゼントしてくれたのに……」
私が消え入りそうな声で言うと、ふいに、ルークが私に手を伸ばし、肩を抱いてくれた。耳元で微かな声がする。
「きみを一瞬でも一人にするつもりはない。魔術院の僕の配下が、舞踏会の間中ずっときみの護衛をする手はずになっている……本当は、僕がずっと一緒にいてやりたいが……すまない、クレア」
苦しそうにそう言うと、ルークはさっと私から身を離し、そっぽを向いた。辺りには人のざわめきが満ちている。私が返事をする間もなく、馬車は停車し扉が無情に開かれた。
馬車から一歩外に踏み出すと、そこは光の洪水だった。城内へと続く階段には
ルークは水晶のついた長い杖を右手に持ち、その水晶には、尾の長い極採色のメイルバードがとまっている。煌びやかな
「
若草色のさっぱりしたドレスを着た彼女は、私に顔を向けぺこりと頭を下げた。
「こちらが、長の奥様ですね! 初めまして、私はレイン。魔術院に所属している魔術師です。今日は私が奥様の護衛を仰せつかっておりますので、宜しくお願いします!」
緊張のあまり彼女の言葉が頭に入って来ない。私がぎこちなく頷くと、ルークは無言で去って行ってしまった。一体どこへ行ったのだろう。まさか、到着してすぐ離れ離れになるとは思ってもいなかったので、私はたまらなく心細くなってくる。顔面蒼白だろう私に、レインが申し訳なさそうに言った。
「奥様、すみません。我が主を含む五大院の長は、国王陛下のお出ましの際にお供をしなければならないもので。でも、楽団の演奏が始まる頃には奥様のところに戻ってらっしゃいますよ。奥様の最初のダンスのお相手は務まるでしょうから、どうかご安心を!」
私はダンスどころではないのだが、レインは明るく「さ、こちらへ!」と笑顔で私を王宮内に案内する。そこにも当然沢山の人がいたが、そこで気づいた。仮面の魔術師が隣にいなければ、私はそれほど注目されない。だが、先程階段で私を見ていた人々は、遠巻きに私を眺めている。彼らが私の噂をしていることくらい、私の昼間の耳でなくてもすぐに分かった。このままでは、きっとすぐに、私がルークの妻であることは知れ渡ってしまうだろう……。ベルの言葉を思い出す。
『あわよくば、貴女を通じて彼の弱点を探る……なんて不遜なことを思っている輩もいるんじゃないか?』
私はぐっとお腹に力を入れて、背筋を伸ばした。ルークの不利益になるような真似は絶対にしたくない。気を、強く持たなければ。
レインが給仕の盆から食前酒の細いグラスを二つ取り、一つを私に差し出した。私は会釈して受け取るが、手袋をした手が震えているのは隠しきれない。レインが怪訝な顔をした。
「……奥様? やはり、長がいらっしゃらないのがご心配ですか? 大丈夫ですよ、あの方はすぐに奥様のところへ戻って参りますから。私もずっとお傍におりますし、どうかご安心下さい!」
「……ありがとう。平気です。ご心配をおかけしてごめんなさい……レインさん」
私は精一杯強がって、笑顔を見せる。私とほとんど上背の変わらないレインは、暫く私を見つめていたが、やがてため息を吐いた。
「それにしても、なんとお美しい方でしょう! こうしていると、同姓の私でも胸がひどく高鳴ります。長が、なぜ役職についてもいない私などに奥様の護衛を頼んだのかずっと疑問だったのですが、今ようやく分かりました。魔術院の幹部はみんな男で、院内の女のうち、魔力が一番高いのが私ですからね!」
レインがそう言った時、彼女の肩にどん、と人がぶつかった。「ごめんなさい」と綺麗な声が聞こえる。レインと私は、反射的にそちらに顔を向けた。淡い杏色のドレスを着た若い女性だ。彼女は、房の付いた高価そうな扇を手に、優雅に言った。
「ぶつかってしまって、ごめんなさい。お酒を取りに行こうと思って……あら、レイン? お久しぶりね、お元気かしら?」
真っ白な肌に、明るい茶色の髪。私より少し年若い感じの、とても華やかな女性だ。レインは彼女を見ると、「あ」となぜか私の方に視線を寄越し、慌てて言った。
「はい、おかげさまで! イヴさまも、相変わらずお元気そうで何より! では、私はこれで」
私の腕をつかんで立ち去ろうとしたレインに、イヴ、と呼ばれた女性が扇で口元を隠しながら笑った。なんだか不快な忍び笑いだ。
「冷たいのね、レイン。『魔術院の長の妻』でなくなったわたくしには、もう用がないのかしら?」
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