第57話 クレアとベル
ベルは、私の背後にいるルークにぞんざいに声をかけた。
「というわけだから、お前はちょっと外に行っててくれよ、ルカ」
「なんだと? 何故だ」
「何故って、決まってるだろ? 私は、採寸をしたいんだよ。で、知っての通り、私の店はこの一間しかスペースがなく、お前は男だ。お前だって、お師匠様の奥方の下着姿を見るわけにはいかないだろ?」
ルークは「なるほど」と真顔で頷き、大人しく羽根帽子を被った。
「そういうことなら、俺はその辺をうろついて待っているとしよう。採寸にはどのくらいかかる? 終わる頃に戻って来るよ、奥様を一人にするわけにはいかないからな……奥様。私が迎えに来るまで、決して一人で店を出てはいけませんよ。危険ですからね」
ルークは私に「絶対ですよ」としつこく念を押すと、静かに扉を出て行った。ベルはさっさと扉に
「なんだ、今日は珍しく素直じゃん、あいつ。さすがに、お師匠様の奥方ともなると、気を遣うんだな」
いつもはどうなのだろう。そう思ったが、聞く勇気が無かった。知らない人と話すのは苦手だ。私が無言で立ち尽くしていると、ベルは私の前を素通りしてカウンター内に戻り、高い椅子に腰かけた。彼女の青い瞳が、生き生きと輝いてこちらを見つめる。
「奥方は、物静かだね。魔術師殿から、そう言われているのかな? 何も言うな、って。正直言うと、私は貴女と、もちろんあの魔術師殿にも興味津々だけど、聞かないでおいてあげるよ。初対面の貴女を困らせては可哀想だし、何しろ、あの用心深くて冷酷な魔術師殿のことだ。貴女にどんな監視魔法をかけているか分からない。うっかり余計な詮索をして、どこかから雷でも落とされたらたまったもんじゃないからね」
私は苦笑して首を振る。
「いいえ、そんなことは……。単に私が、人と話すのが、とても苦手なものですから」
手元でがちゃがちゃと採寸道具を漁っていたベルが、顔を上げた。まさに興味津々、と言った様子で瞳が輝いている。
「喋った! へえ、優しい声だね。貴女の内面が、よく出ている」
ベルは首に長いメジャーを下げて、カウンターに腰かけた。青い瞳がランプの灯を受けて煌めいた。
「ふうん、奥方は人と話すのが苦手、ね。それじゃあ、きっと、舞踏会当日は苦労するだろうね」
「えっ? それは、どういう……」
「つまりさ。王宮では、今、貴女の噂で持ちきりだってこと! 私には貴族の顧客も多いが、皆、貴女の噂をしているよ。『仮面の魔術師様の奥方が参加されるそうだが、一体どんな女性だろうか』ってね。そりゃあ、皆気にもなるさ。だって、私が知る限り、あの魔術師殿が離縁せずにいる妻は貴女が初めてだからね。あわよくば、貴女を通じて彼の弱点を探る……なんて不遜なことを思っている輩もいるんじゃないか? 何しろ、これまであの魔術師殿に関しては、名前も素顔も、何一つ知られていないんだからね」
私は恐怖に動悸が激しくなるが、ベルは楽しそうに採寸を始める。
「さ、無駄話はあとにして、奥方。悪いけど、ここに立って。あ、服は脱いで下着になってね。大丈夫、私は女だし、この店には他に誰もいない。窓も全部鎧戸を下ろしてあるから、ご心配なく!」
私は動揺しつつも頷き、薄絹のケープと外出用の簡単なドレスを脱いでベルの前に立つ。彼女はバストやウエスト、肩幅に袖丈と、次々に手早く採寸して注文票に記録していった。小柄な彼女では届かないところも多かったが、そんな時は、彼女はあの短い杖でメジャーに命令し、片方を固定して上手く図るので私は感心する。ベルが鼻歌交じりに作業しているので、私は少し緊張がほぐれてきた。今なら、少し話せそうだ。私は、思い切って聞いてみた。
「あの……ベルさん。あなたは、魔術師様とは、長いお付き合いなのですか」
「うん? そう長くはないね。彼と初めて会ったのは6年前。私は当時、ある魔法事件の裁判で有罪になって投獄されていてね。その時、彼に出会った。魔法裁判の担当は魔術院だから。彼は当時、先代の
ベルの話の内容は、飄々とした言い方に反して重苦しいもので、私はただ頷くことしか出来ない。ベルが採寸の手を止めて愉快そうに言った。
「あ、貴女の体が硬くなった。ごめん、怖がらせたかな? でも安心して。私はもう改心して、昔みたいな悪さはしないから。貴女の夫である、魔術師殿のおかげでね。あの人がいなかったら、私は今もまだ牢獄でやさぐれた日々を過ごしていただろうね。そういうわけだから、彼は私の恩人なんだ。……ねえ貴女、知ってる? それ以来、あの魔術師殿の服は全て、この私が仕立てているってさ」
「……あなたが、彼の服を?」
「そう。それまでもあの人は仮面とローブを身に着けていたが……こう言ってはなんだけど、今とは比べ物にならないお粗末な代物だったね! だがそれも当然なんだ。だって、何を隠そう、私はフェイの一族なんだから。私達フェイの一族は手先が器用で、人間とは一味違う、特別な布地を織り上げることが出来る。とはいえ、王都で商売しているのはこの私くらいだけどね。フェイの一族は基本人間嫌いで、森の棲み処から出ないから」
「フェイの一族?! あなたが?」
私は驚いて思わず顔を振り向けた。ベルが「あ、ほら動かないで!」と顔をしかめるので、私は謝って姿勢を正す。
フェイの一族。いわゆる妖精の種族で、ロマ北西部に広がる、深い森を棲み処としている。手工芸を得意とし、彼らの生み出す布地や装飾品は非常に美しいため、かなり高値で取引されていた。だが人間とはあまり仲が良くなく、中には気性が激しい者もいて、非常に稀ではあるが、彼らによって誘拐された人間が惨殺されて見つかることもあった。にも関わらずフェイの一族が人間からの討伐対象にならないのは、ひとえに、彼らが人間に提供する品物が貴族社会に広く受け入れられていて、討伐を積極的に指示する貴族が誰もいないからだ……というのは、モーガンの父の受け売りではあるが。
まさかそんな種族の女性が、王都の一角で仕立屋を営んでいるなんて。どうりで、ルークのあの魔術師の装束が、どれもこれもうっとりするほど美しく豪華なはずだ。ベルは言った。
「そう。自慢じゃないけど、一族の中でも、私はかなり腕がいい。というわけで、貴女のドレスも楽しみにしてて。きっと後悔はさせないよ」
私は戸惑って言った。
「私は、フェイの一族の方の仕立てた服なんて、これまで一度も手にしたことがありません……その、とても、お高いのでは……?」
「魔術師殿が奮発してくれたからね! ふふ、私も、仕立て甲斐があるってものだ」
ルークには、帰ったら御礼を言わなければ。一体どんなドレスが出来上がるか分からないが、フェイの一族の品とあらば、きっととても高価なものに違いない。
ベルは、カウンターに出した幾つかの布地を次々に私の顔周りに当てていたが(どれも素晴らしい色合いと手触りだ)、やがて「よしっ」と言って、カウンターから飛び降りた。
「さあ奥方、これで全部終わったよ。ご協力ありがとう。お茶を淹れてあげるから、支度をして待っていて。早くしないと、あのルカが戻って来るだろうから」
私は頷き、手早く身支度を整える。ベルと共にお茶を飲んでいると、表に馬車の音がして、ルークが迎えに来た。ベルが私を連れて出ながら、からかうように言う。
「よ、時間通りだな、ルカ。いつもは適当なくせに」
「うるさいぞ。で、全部終わったか?」
「ああ。3日後の朝には屋敷に届けるよ。魔術師殿とそういう約束だからな」
そしてベルは、ケープを肩に羽織った私を見上げてニッと笑った。
「じゃあね、奥方。舞踏会の夜は大変だろうけど、まあ頑張って。貴女が王宮で、いい話のネタにされないことを祈っているよ!」
ベルは不吉な予言めいたことを笑顔で言い、パタンと扉を閉めた。ルークが怪訝な顔をして私を見下ろすが、私は気づかないふりをして馬車に乗り込む。本当はすぐにでもルークにドレスの御礼を言いたいが、外では、彼に近づくわけにはいかない。早く屋敷に帰って、ルークに心からの御礼を伝えたかった。とはいえ、3日後の舞踏会は、とても怖い。どうにかして、上手く人目を逃れられればいいけれど……。
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