花冠の祭り
第50話 王都へ
魔女の館から戻ったルークは、屋敷に戻るなりベッドに倒れ込み、死んだように動かなくなった。私が驚いて彼に寄り沿ってみると、スヤスヤと心地よさそうな寝息を立てている。寝顔も、子供のように安らかだ。私はほっと息を吐く。
「良かった……眠っているだけね。ルークはついさっきまで王都にいたのだもの。すごく疲れていて当然だわ」
魔女の館からの道中、私はルークから今日の
眠る夫をじっと見つめる。綺麗な寝顔。私は急に愛しさが込み上げて来て、その頬にそっと手のひらを添え、額にキスをする。でも私は、自分からキスをしたことなど、ほとんどなかった。唇を離すと、なんだか急に恥ずかしくなって、辺りをきょろきょろと見回してしまう。誰が見ているはずもないのに。すると、ルークが「うーん」と寝返りを打つので、私は飛び上がるほど驚いて身を引く。暫くじっとしていると、再び、スヤスヤと規則正しい寝息が聞こえて来た。私はほっと安堵の息を吐き、バスルームで眠る支度を整えてから、ルークの隣に寄り沿って目を閉じた。
その夜はとても疲れていて、深い眠りだった。明るい朝陽に気分よく目覚めたが、隣にいたはずのルークがいない。意識を集中してみると、どうやら三階の私室にいるようだ。そういえば、三階の私室は、あの夜のままになっているはず。
私は身支度をして三階に向かう。私室の扉は開いていた。甘い花の香りを含んだ春風が、廊下に優しく吹き込んで来る。ルークが、室内で「あちゃー」と言っているのが聞こえた。私が開けっぱなしの扉を軽くノックすると、薄いバスローブを羽織った彼がこちらを振り向き、笑顔を見せた。
「あ、おはよう、クレア! よく眠れた?」
「ええ、とっても。すごく気分がいいわ。ルークは? 昨日帰って来て、すぐにベッドに倒れ込んで眠ってしまったから、心配したのよ」
ルークは笑って言った。
「そうなんだよ! 昨夜はきみと朝まで愛し合おうと思っていたのに、ベッドに横になった途端、気絶しちゃったよね。さすがの僕でも、短時間であれだけの魔力を放出すると、かなり堪えるな。でももう大丈夫! 夢も見ずにぶっ続けで12時間も眠れたから、体力も魔力もすっかり回復したよ。君さえ良ければ、これからベッドで幸せな時間を過ごすことも出来るけど、どうする?」
湯上りらしき彼のバスローブははだけて胸元が見えているし、髪も濡れていて官能的だ。私は慌てて目を伏せる。と、醜い体が目に入った。そうだ。今の私は、昼の私だった。とてもではないが、ルークと寝室に行く勇気などない。
「その……今はやめておくわ。ありがとう、と言うか……ごめんなさい、と言うか……」
私が小さな声で言うと、ルークは軽やかに笑った。
「そう言うと思った! そこがまたいいんだよね、クレアらしくてさ!」
彼はあっさり、「さて」と言って室内に視線を戻す。床のあちこちが焼けこげて黒く変色していた。カーテンやシーツもぼろぼろで、せっかく掃除したのに散々だ。
「結構派手にやってくれたな。カーテンやシーツ、それにこの床も、はがして取り換えないとダメだね。町から職人を呼んでやってもらうかな。時間がかかりそうだし、王都から帰ってからにするか」
私はドキリとする。王都。そうだ。ルークは昨夜、私を王都に連れて行くと言っていた。でも、人の沢山いる王都になど行ったら、私はどうなるのだろう? 人目を避けていられるものだろうか?
「……ねえ、ルーク。その話なんだけれど……私、やっぱり、ここにいた方がいいんじゃないかしら? 私のこの姿……誰にも見られるわけにはいかないもの」
私の実家であるモーガン家は地方領主の家柄だったから、屋敷のあった場所も、のどかな田舎町だった。それでも、人目を避けるのは大変なことだったのに。そもそも、王都のような大きな都になど、私は生まれてから一度も行ったことがない。怖い。
私が俯くと、ルークが私の頬を優しく撫でた。
「そんなに怖がらなくても大丈夫だよ、クレア。王都の僕の別邸は、静かな高台にあるからね。辺りに人通りはほとんどない。それにきみの部屋は、屋敷の中でも一番人目につかない奥に確保している。モーガンの屋敷同様、きみが一人で自由に出られる庭もこれから作ってあげるし、きみが望むなら、モーガンの家にいたメアリだっけ? その人を別邸に呼び寄せてもいいよ」
「えっ?! メアリを?」
「うん。きみのお父上が承諾したら、だけどね。きみの身の回りのことは、彼女にやってもらえば安心だろうから」
私はじっと考える。メアリが来てくれるなら、心配はないけれど。ふいにルークが、「あのさ」と小声で言って、視線を落として考えていた私の両手を取った。私は何気なくその顔を見上げて驚く。ルークは、ひどく苦しそうな、真剣な面持ちをしていた。
「困らせて本当にごめん、クレア。正直言って……これは完全に、きみと離れたくない僕のわがままなんだ。きみには言っていなかったけど、実は、僕は一年のうちのほとんどを、王都で過ごさなければならないから」
眉を寄せて言うルークに、私は頷く。
「ニコとフロガーから聞いたわ。ご主人様は、この屋敷にはほとんど帰ってこられない、って。やっぱり、この先もそうなのね」
「うん、そうなんだ。五大組織の長は、結婚みたいな特別な休暇を除き、必ず王都に滞在するよう定められている。いつ何が起こるか分からないからね。だから僕は、今日もまたすぐ王都に戻らなければならないし、次に帰って来ても、長くて2日程度しかこの屋敷には留まれない」
そしてルークは、私の両手を握ったまま、悲しそうに私を見つめる。
「でも僕は、きみとそんなに長い間離れるなんて耐えられない。だから、きみにはひどく苦痛を伴うことだと分かっていながら、こうしてきみを王都に連れて行こうとしている……ただ僕が、きみと一緒にいたいがためにね。でも、もしきみが王都に来たくなければ、ここにいてくれていい。ここなら、結界があるから、きみは毎日森に出て自由に生きることが出来る。……もしきみがそうしたいのなら、そうしてくれ。それなら、僕はひと月に一回は、どうにか帰って来るようにするから」
笑顔ながらも、ルークの声は次第に小さくなっていった。私の胸はひどく痛む。私だって、出来ることなら、ルークと一緒にいたい。私は首を振った。
「いいえ。私、あなたと一緒に王都に行くわ。だって、私だって、大好きなルークと離れたくな……えっ?!」
ルークはまたもや私をきつく抱きしめた。確か、昨夜もこんなことがあった気がする。けれど、今の私は昼間の姿な上に露出の高い服装で、硬質な鱗の肌が剥き出しだ。私は慌ててルークを押し戻す、鉤爪に細心の注意を払いながら。
「待って……待ってよ、ルーク! 危ないわ、離れて! この鱗はとても固いのよ、あなたの素肌はこんなに柔らかいのだもの、怪我させちゃう!」
ルークはお構いなしに首筋に顔を埋めて来る。これ以上もがいたら、かえって危険だ。私は動きを止め、その場でじっとする。やがてルークは「ぷはっ」と嬉しそうに息を吐くと、私の頭に何度も頬ずりをした。
「はー、クレアのいい匂い。好き。ふふふ。大好きなルークと離れたくない、か……ははは! もう一回聞きたいなあ、その言葉!」
「え……あの……」
ルークは、さっきまでの神妙さはどこへいったのか、嬉しそうに一人でブツブツ言っている。またどこか遠くを見つめているので、なんだか声をかけにくい。私がその場で困惑しつつ様子を見ていると、暫くしてルークは私の両手を取ってぶんぶん振った。恐ろしい程の笑顔だ。
「でもとにかく良かった! きみも一緒に来たいって言ってくれたし、これで心置きなく一緒に王都に行けるね! 昼は外に出られなくても、夜なら出かけられるだろ? 僕、きみに色々紹介したいところがあるんだよ。楽しみにしててね、クレア!」
「……え、ええ……ありがとう」
私はなんとなく不安を感じたが、あまり深く考えずに頷いた。ルークの言う通り、人間の姿になれる夜なら。人間にはいい思い出が無く恐怖しか感じないのだが、どうにか切り抜けられるかもしれない。暫くそうして機嫌よく笑っていたルークが、「ああ、それと」と笑顔を納め、真面目な声を出した。
「クレアにはもう一つ、謝らなければならないことがある。ニコに聞いたよ。フロガーがあの扉を狙っていたことを。封印の魔法陣をかけた、あの扉をね」
私はルークを見上げる。ルークは私を見つめて言った。
「ごめんね、クレア。あの時、実験用具の倉庫だなんて嘘をついて。実は僕はあの時、きみにはずっと隠しておくつもりだった。なぜなら、知ってしまえば、きみを危険に晒すことになると考えたからね。でも、それは間違っていたかもしれない」
そしてルークは封印の扉の前に立ち、長い呪文を詠唱した。魔法陣が美しく浮かび上がった、と思ったら、それは光と共に砕け散る。ルークは扉に手をかけて私に微笑んだ。
「……おいで、クレア。王都に行ったら、暫くここへは戻ってこない。その前に、とても大切な話をしておこう。大切な話……つまり、きみのその体質の謎を解き明かす、ヒントになるかもしれない話をね」
私は、突然のことにひどく驚いて目を見張る。
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