第49話 魔女編LAST(3)

 地下から一階へ上がると、そこには喧騒の後の静寂が横たわっていた。崩れかけた壁に、何匹かの火トカゲの影が焼き付いている。床には、火トカゲの石像が割れて散らばっていた。エントランスホールに、何人かの男の人が倒れている。私は小さく悲鳴を上げてルークの背にしがみついた。


「あの人たち……死んでいるの?」


「いや、気を失っているだけだ。使役の魔術を解除したからね。大丈夫、暫くしたら気が付くと思うよ」


 ルークはそう言って笑顔を見せる。私はほっとして頷いた。


「そう、あの人たちも、あなたが解放してあげたのね。良かった……。ル……いえ、あなたは、本当にすごい魔術師様よ」


 ルークの名を外で口にするわけにはいかない。魔術の世界で名を取られることの危険性を、私は今日、目の当たりにしたのだから。私が尊敬の念で彼を見つめていると、彼は暫くじっと私を見下ろしていたが、やがて深いため息を付いた。


「はあ……僕、きみのそういう思慮深いところも好きなんだよね。ああー、早く帰りたい。帰って、朝まで思う存分きみを可愛がっていたい。考えてみたら、僕、きみと数日会えなくて、王都で発狂しそうになってたんだ」


 私が戸惑いつつ「は……発狂……?」と呟くと、彼は真顔で頷いた。


「そう。きみを屋敷に置いて行ったことを、ずっと後悔してた。だから僕、王都の別邸に、きみの部屋を作ることにしたんだよ! 今テオ達が用意してくれてるんだけど、もう出来上がるのを待っていられないな。明日には一緒に王都に行こうね、クレア!」


「えっ……! わ、私が、王都に?」


 私は躊躇するが、ルークは晴れ晴れした顔で私を抱きしめる。


「そう。もう絶対、離さないから。これから一緒にいようね、クレア!」


 その明るい声に、愛と少しの恐怖を感じつつ私は微かに頷く。ルークは満足したように「さて」と言って私を離れて辺りを見回した。


「まずはフロガーだな。……うん、良く寝てる。このまま連れて帰ろう」


 ルークが上空から手繰り寄せた球体を見て驚く。フロガーが、淡い光の中で気持ちよさそうに眠っていた。


「すごいわ! これは何かしら」


「回復の上級魔法だよ。この光の中で数日眠れば、闇魔法に蝕まれた心身が修復される。フロガーは、あと四、五日すれば元気に起きられるだろう」


 私は感嘆しながら球体を見つめる。ルークは階段の上を見やった。


「さてと……あとは魔女だな」


 そう言って彼がすたすた階段を上って行くので、私は急いで後に続いた。


「火トカゲの魔女はどうなったの?」


「闇の炎をまともに食らって倒れたんだ。恐らく、相当のダメージを受けているだろうが……」


 階段を上り切ったところに、魔女がまるでぼろ雑巾のように横たわっていた。黒いローブがブスブスと焼け焦げて細い煙を上げている。私はルークの背にしがみついた。


「……死んでいるの?」


 ルークは魔女をじっと見下ろしていたが、首を振った。


「いや、息はあるな。どうするかな、ここで止めを刺しておくか」


 と言って指先にボッと炎を灯すルークの腕に、私はそっと自分の手を添えた。


「……このまま、見逃してあげるのは駄目……?」


 ルークが炎を消し、眉を寄せて私を見下ろす。


「あの……ごめんなさい、怒らないで。困らせたいわけじゃないの。でも、この人……もうこんなに弱っていて、なんだか……それに、私、そんなに酷いことはされなかったもの。本当は、そんなに悪い人じゃない、と思うわ……」


 甘い考えかもしれない。でも私は、ひどく傷ついて意識も無い相手に手を下すのは嫌だった。ルークは暫く私を見つめていたが、やがてため息をついた。


「……まあね。この魔女は利用されただけだからな。うーん。本当は、きみを捕らえた時点で、僕にとっては万死に値するんだけど……」


 と言いながらルークは私と魔女を交互に見下ろす。やがて、もう一度ため息をついて言った。


「……仕方ない。クレアがそう言うなら、僕はそれでいいよ。別に、きみさえ無事に戻ってくれば、僕は文句が無いからね」


「ありがとう!」


 私が彼に抱きつくと、彼はよろめいて笑った。


「それに、実は僕も、魔力がもう限界だ。この魔女は闇魔法をまともに食らったから、そう簡単には起き上がれないし、記憶も飛んでいるだろう。僕に会ったことはもちろん、下手をしたら、きみ達を捕らえたことすら思い出せないかもしれない。……ふふ、例の、『夜半よわの君』とやらにも捨て置かれるのは間違いないし、せいぜい、深く反省すればいいさ。……さあ! そうと決まれば、こんな所に長居は無用だ」


 私達は魔女をそのままに、球体で眠っているフロガーを連れ、正面玄関から外に出る。大きな白い月が辺りを美しく照らしていた。ルークが、栗毛の立派な馬に乗り、私に手を差し出す。


「おいで、クレア」


 月光に照らされた美しい笑顔に、優しい声。私は、微笑んでその手を取る。一陣の夜風が、私のマントのフードをさらった。私の銀色の髪が夜風に波打ち、顔が露わになる。私を馬上に引き上げたルークが、私を自分の前に横座りにさせて長い口づけをした。私の両手の上では、眠るフロガーの球体が浮かんでいる。ルークは、長い口づけのあとで唇を離すと、私を両腕の間に抱きしめたまま手綱を取る。


「さあ、帰ろう、クレア。……僕達の家に」


 馬は、月光の中を屋敷に向かって駆け出した。私は、ルークの胸に幸せな気分で身を預ける。上空では、黒い鳥が静かに虚空に飛び去って行った。


 * * * * * *


 魔法の鏡の映像が消えた。サイラスの居城である六花りっかの城の広間に、沈黙が下りる。夜の雪原を渡る冷たい風が、バルコニーから吹き込んできた。アゼルが密やかに笑った。


「……愛し合う二人、か。ふふ。ねえ、サイラス。面白いことになって来たね」


 その琥珀色の瞳が、無邪気な悪意に輝いた。サイラスは、葡萄酒のグラスを揺すりながら優雅に微笑む。


「……なるほど。使ごときに、なぜあのルークが王都から辺境まで血相を変えて戻って来たのか謎だったが……そういうことか」


 アゼルが、空になったグラスをぽいと放り出し、銀の翼を麗しく羽ばたかせた。


「俺、人間が愛し合う姿は好きだな……それが引き離されるところは、もっと好きだけどね」


 そう言って、アゼルは楽しそうにサイラスにじゃれつく。琥珀色の瞳が残酷に輝いた。


「ねえ、サイラス。あの女、あいつから奪っちゃえば? 俺、手伝ってやるよ?」


「……ヴァネッサは、あの女のことをと呼んでいた。恐らく、あの女には何らかの特質が……外見を変化させる特質があるに違いない。それが魔術なのか、呪いなのか、体質なのか今の段階では分からないがな」


 そしてサイラスは残りの葡萄酒を飲み干し、楽しそうに笑った。


「あの女に接触するぞ、アゼル。ルークを意のままに動かせる最強のカードとあらば、彼女を手に入れない道理はないからな」


「俺に任せて。あの子も、同じ女なら、きっと警戒もしないだろ?」


 言っているうちにも、アゼルの肉体は女性へと変貌していく。琥珀色の髪は長く、筋肉で美しく引き締まっていた裸の上半身は丸みを帯びて、いつしかそこには豊かな乳房が揺れていた。アゼルは半裸のままサイラスの膝の上にまたがり、サイラスの首に腕を回す。耳元で囁く声もまた、高いトーンの甘えた女の声に変わっていた。


「あのルークって男の激高した顔……どんな風かな。ああ、楽しみ。こんなに興奮する遊びは、久しぶり。私もキスして欲しくなっちゃったな……ねえ、サイラス、今晩はいっぱい可愛がって?」


 サイラスはその求めに応じて、アゼルの首筋にキスをした。アゼルははしゃいで腰をくねらせる。サイラスは、その滑らかな体を抱いて立ち上がった。


「……来月、あの国の王都では『花冠の祭り』が盛大に開催される。そこに、魔術院の長であるルークも必ず出席するはずだ。人々が集まる祭りの場なら……あの女に接触するチャンスもあるだろう」


 サイラスはくく、と楽しそうに含み笑いをすると、アゼルを抱いたまま優雅に奥の間へと消えて行く。大きな白い月が、彼らの城を美しく照らしていた。

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