第48話 魔女編LAST(2)

 今や、魔女の館の一階フロアは、眩いばかりの光の渦に飲み込まれていた。温かな白い光は何もかもを浄化し、やがて一点に集約されていく……闇の魔術によって形作られた、黒い魔物の元に。


 ルークは、次第に収斂していく聖なる光に追いすがるように、石の階段を二、三段下りて欄干から身を乗り出した。輝く光の中心で、まるで禍々しい花の蕾が綻ぶように、黒い魔物の頭頂部が音もなく裂けた。そして、黄金の砂粒のように、光の中へと雲散霧消していく。やがて中心に小さな生き物の姿が現れた。仰向けで四肢をだらりと垂らしている、その姿は。


「……フロガー!! やった、あいつの体が、闇の魔物から分離されたんだ! 助かった……感謝するぞ、光の精霊……!!」


 光の精霊による浄化が完了し光が消え去った時、そこには意識を失って伸びているフロガーだけが残されていた。ルークは階段を駆け下りてフロガーを両手に拾い上げる。


「フロガー! おい、しっかりしろ!」


 返事はない。当然だ。強大な闇の魔術に心身を侵食された者は、数日は意識が戻らない。ルークは慎重にフロガーの心音を聞き、ほっと息を吐いた。


「大丈夫。意識は無いが、息はある。ひとまず、闇の魔術でダメージを受けた体を回復してやらないと……」


 ルークは目を閉じ意識を集中しようとしたが、急なめまいと共に意識が遠のき、よろめいて膝をつく。


(転移魔法に、光の精霊の召喚術……さすがに、少し魔力を使いすぎたか……。だが、今はそんなことは言っていられない!)


 ルークはよろめきながら立ち上がり、再び意識を集中して呪文を詠唱した。


「『天の光 我に癒しの力与え給え 傷つき倒れた者に 安らぎの揺篭ゆりかごを』」


 手のひらからフロガーの体がふわりと浮き上がり、柔らかな光の球体がその全身を包み込んだ。春の木漏れ日のような淡い光の中で、フロガーは安らかに眠っている。


「……これで良し、と。このままあと数日たてば、フロガーは元気に目を覚ますだろう……さあ、地下牢へ急がないと!」


 ルークはフロガーを包み込んだ球体を上空に浮かばせて安全を確保し、地下への階段を駆け下りた。


「クレア……! どこだ、クレア!」


 壁がところどころ崩れているのは、先程の魔物の暴走によるダメージか、己が到着時に放った火の魔術によるものか。ルークは地下に駆け下り、大きな声を張り上げた。


「クレア!! クレア、どこだ! いるなら返事をしてくれ、クレア!!」


 暗い廊下の壁に、いばらを模した燭台がいくつか配置され、蠟燭ろうそくが灯っている。蝋燭の頼りない灯りの向こうから、ガチャガチャと牢獄の格子を揺する音と共に声が聞こえた。求めてやまなかった、愛しい人の声が。


「……ルーク? ルーク!!」


「クレア!!!」


 暗い廊下の先の牢獄に、囚われたクレアの姿があった。涙で濡れた頬が痛々しい。駆けつけると、格子にしがみついていたクレアが腕を伸ばし、格子越しにルークの背に腕を回した。二人は格子越しにきつく抱き合う。クレアが泣きじゃくりながら叫んだ。


「ルーク!! ルーク、良かった、あなたに会えて、本当に良かった!! さっきから、上ですごく大きな音がしていて、怖くて、心配で……」


「クレア、本当にごめん、遅くなって。怪我は? どこか痛いところは?」


「大丈夫。でも、鍵が開かないの。昼間の私でも無理だったわ、一体どうすれば……それに、それに、フロガーが……」


「待って、ちょっと見てみる……ふん、鍵魔法か。大丈夫、こんなもの僕ならすぐに開けられる。ああ、それから、フロガーなら心配ない。上で寝てるよ」


「……そう、良かった……あなたがフロガーを助けてくれたのね。本当に、良かった……」


 ルークは一旦クレアと離れ、錠前を手に意識を集中した。呪文を詠唱するまでもない、初歩の鍵魔法だ。残り少ない魔力を放出して今度こそ本当に意識を失いそうになるが、どうにかこらえる。ルークの手の中で、銀製の錠前はガチャリ、と音を立てて開いた。扉を開けてやると、クレアがルークの胸に飛び込んできた。


「ルーク!!」


 ルークはその体を抱きとめる。温かな、血の通った身体。ルークは力の限りにその華奢な体を抱きしめ、その涙で濡れた顔に口づけの雨を降らせていた。クレアの肌の、甘くいい香り……。クレアは暫くその口づけに応えていたが、やがて嗚咽を漏らしながらルークの胸に顔を埋め、ルークはその月光のように輝く美しい髪に頬ずりをする。


「ごめんなさい……私、あなたの言いつけを守らずに、結界を出てフロガーを追ってしまった……。結果的に、フロガーも、あなたも、危険にさらしてしまって……本当に、ごめんなさい……」


 泣きながら言うクレアの体は震えていた。愛しさと同時に罪悪感が募る。ルークは反射的に、その華奢な体をさらにきつく抱きしめていた。


「……いや、謝るのは僕の方だ。僕がフロガーの異変に気付いていれば、こんなことにはならなかった。本当にごめん、クレア。きみを、こんな目に合わせてしまうなんて……きみがいなくなったとニコに聞いた時、僕は心臓が止まるかと思ったよ」


 そう言って、可愛い頭にキスをする。暫くそうして抱きしめていると、クレアの震えが収まってきた。冷え切っていたその体にも、仄かな熱が戻って行く。クレアは安心したようにルークの胸に身を預けていた。ルークの胸に、突然熱情が沸き上がる。


(ああ、可愛いクレア……! 一体どうしたら、僕のこの気持ちをきみに伝えることが出来るだろう? きみを守るためなら、死神にだって喜んでこの魂を捧げてやる。世界で一番大切な……僕の命よりも大切なクレア!)


 ルークは無意識に、クレアの頭を何度も撫でていた。クレアは微かに笑って身をよじる。


(あの夜……結婚式の夜のきみを、僕は生涯忘れないだろう。クレアは僕が初めての男で……やっぱりあの時も、この娘は震えていた。モスグリーンの瞳が、僕を不安そうに見上げていて……僕はその瞬間、なぜだか、この娘を一生守ろうと決めたんだ。今でも、そのわけは分からないけど……でもきっと、あの瞬間、僕はクレアに一目惚れしていたんだな。一目惚れか……そんな馬鹿げた現象全く理解に苦しむけど、そうとしか考えられない。他に納得のいく理屈が、どう考えても出てこないんだよ、クレア)


 ルークがいつまでも頭を撫でているので、クレアは不思議そうにルークを見上げた。が、ルークはどこか明後日の方向を見つめたまま思考に集中している。


(こんな時、一体なんて声をかけたらいいんだろう? 怒涛の救出劇の後の、感動の再会だ……『会いたかったよ、僕の最愛の妻!』……まさか。そんな芝居じみた台詞は、断じて口に出来ない……じゃあ、『きみに会うために僕は命を賭けて来た!』か? 確かにそうだ。僕は魔力の限りを使い果たし、実際に寿命も多少縮んでいるはずだ。だが、それがなんだ。クレアは僕のたった一人の最愛の人で、世界に一人だけの大切な妻なんだから、文字通り命を賭けるのは当然だ。うーん、じゃあ、一体何と言うべきか……)


 ルークの思考は留まるところを知らない。クレアは、遠くを見つめたまま無言で頭を撫で続けているルークを、次第に不安そうに見つめ始める。


(うーん……好きだよ? 愛してる? ははは、馬鹿な! 僕は、叡智を結集した魔術院のおさで、学府の最高責任者だぞ? そんな、国内最高の頭脳を持つ僕が、よりにもよって『好き』だなんて、そんな子供じみた言葉が吐けるか! 僕がクレアに対して抱いているこの感情は、そんな、万人に使い古されてきた、陳腐で、ありきたりな言葉などで言い表せるものじゃ到底無いんだ……僕のこの気持ちは、もっとずっと神秘的で、深遠で、とても『好き』などという二言で表せるようなものじゃ……)


「ルーク……」


 愛らしい声に、腕の中のクレアを見下ろす。涙で潤んだモスグリーンの瞳が、こちらを見上げていた。温かそうに上気した頬。熟れたベリーのように愛らしい唇。クレアは、その美しい瞳に純粋な愛情を湛えて、幸せそうに微笑んだ。


「会いたかった……。助けに来てくれて、本当にありがとう。……愛してるわ、ルーク……」


 甘い声。ルークの脳は一瞬で麻痺し、言葉が口から飛び出した。


「好き」


「……ルーク、私も……」


「すきすきすきすきすきすきすきすき……」


「え……ええっ?! あ、あの……ちょ、ちょっとルーク!! く、苦しっ……苦しいったら……は、離して!! ごほっ!……」


 クレアがもがき、ハッと我に返る。見ると、ルークはクレアに覆いかぶさってきつく抱きしめており、クレアは顔を真っ赤にしながら喘いでいた。


「わっ! ご、ごめん!! 力加減、間違え……」


 と言って慌てて体を起こしたルークは、クラ、とめまいがして今度こそ床にへたり込む。


「きゃああ!? ルーク、どうしたの、大丈夫?!」


「う……いや、なんでもない、大丈夫……」


「でも、顔が真っ青だわ!」


「……いや、本当に大丈夫。心配ないよ、ははは……」


 ルークはクレアの手を借りてどうにか立ち上がり、暫く息を整える。気分がすっかり戻ったところで、ほう、とため息をついた。


「……ごめん。今のは、本当になんでもないから忘れて。あー、ごほん! とにかく、上に戻ろう。フロガーに回復魔術をかけて置いて来たんだ。さっさと回収して、屋敷を出ないと。クレア、きみはどこも怪我はない? 大丈夫?」


「ええ、平気よ」


「よし。じゃあ行くぞ。建物が所々崩れそうになっているから、クレアはフードを被っていた方がいいな。きみの可愛い顔に傷でもついたら大変だからね」


 クレアは頷き、フードを被る。二人は手を取り合い、暗い地下通路を駆け抜けて行った。

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