第41話 転移魔法
ルークの言葉に、ニコとテオが顔を見合わせている。ニコが不安そうに聞いた。
「ご主人様。火トカゲの魔女って、そんなに強い魔女だったの?」
「いや。あの魔女は前にも言った通り、大した相手じゃない。問題は……その後ろにいる奴だな」
「「後ろにいる奴?」」
テオとニコの声が被る。ルークは頷いた。
「ニコに聞いたフロガーの様子。そして、魔法陣の扉を狙っていたこと。間違いない。あの魔女の背後にいるのは、サイラスだ」
「サイラス!? まさか、あの男が?」
テオが静かな驚きの声を上げた。ニコは不思議そうに首を傾げている。ルークは頷いた。
「ああ。だから、今回はちょっと本気を出さないといけないだろうな。というわけで、テオ、宮廷と魔術院、それに学府にも迷惑をかけるが、宜しく伝えておいてくれ。私用で仕事に穴を開けるのは僕の流儀に反するが……家族に手を出されて黙っていられるほど、僕は出来た人間じゃないからね。……奴らには、相応の報いを受けてもらう」
ルークは冷たく言い放つ。ニコは再び怯えて身を縮こまらせたが、テオは平然とした顔で頷いた。
「もちろん、心得て御座います。どうぞその点はご心配なきよう」
「いつも助かるよ、テオ。ありがとう」
ニコが慌てた様に声を上げた。
「ね、ねえ、ご主人様! これから行くの? どうやって? 馬車?」
「いや。そんな悠長なことはしていられない。転移魔法を使って、今すぐに屋敷に戻る。そこからなら、あの森は湖を隔てたすぐ向こうだからな。馬を使えばすぐだ」
「転移魔法!?」
「ああ、そうだ。ニコ、お前は覚えていないか? お前を助けたあの晩も、僕は転移魔法を使ってお前を屋敷に連れて帰った。お前はひどく消耗していて、とても動ける状態ではなかったからな。フロガーが狙った部屋があるだろう? あの中に、転移魔法の魔法陣がある。そこへなら、どこからでも、僕は瞬時に移動出来るんだよ。普段は滅多に使わないけどな。転移魔法は大きな魔力を使うから」
「じゃ、じゃあ、フロガーは、その転移魔法を使おうとして……」
「はは、それは違うな。奴が……サイラスが狙ったのはそれじゃない。あの部屋の中にある、別のものだ」
「別の……」
「だがそれは、お前達には関係のないことだ。忘れてくれ。さあ、話している時間は無い。クレアとフロガーを助けに行かないと」
テオが、ニコを促して壁際に寄った。ルークは頷き、胸の前で印を組む。体内から強い魔力が沸き上がる。辺りが淡い緑色の光に包まれ、体に軽い浮遊感を感じた。そして。
視界から、テオとニコの姿が一瞬で消えた。転移魔法特有の浮遊感はすぐに消え去り、ルークは見慣れた魔法陣の中央に立っていた。辺境の屋敷に戻って来たのだ。ここは以前、クレアと共に私室を掃除した際に、彼女には見せなかった秘密の部屋だ。貴重な魔法具がずらりと並んでいる。ルークは、あの日のクレアの様子を思い出して微笑んだ。
「もしこの中を見ていたら、クレアはきっと驚いていただろうな。『ここだけは綺麗に片付けているのね』ってさ。クレアからあいつの名前を聞きたくなくて、あのあと何度も無理やりキスしちゃったけど……クレア、すごく動揺してて可愛かったな……」
それが、よりにもよってその男のせいで。ルークは体内の魔力が暴走しそうになるのを感じて、慌てて深呼吸する。
「……落ち着け。ここで自分の屋敷を燃やしてどうする。師匠も言ってたじゃないか、一流の魔術師は、どんな時にも我を忘れてはならない、ってさ」
ルークは頑丈な扉に手をかけつつ、この狭い室内の小さな祭壇に目を向けた。薄暗いこの室内で、仄かに光を発する黄金の小箱……エメラルドとルビーの見事な装飾がされているその品は、かつて、世界一の大魔道士と呼ばれた人物が自分に託した大切なものだ。ルークは、まるでその人物に語り掛けるかのように言った。
「……ミラー師匠。ちょっと行ってきますよ。サイラスと、決着を付けにね。僕が我を忘れて暴走しないように、天国から見守っていて下さいね」
ルーク・ミラー・デイヴィス。生涯を通じて、ルークのたった一人の師匠であり、偉大なる大魔道士ミラー。ルークのミドルネームは、敬愛する師匠にもらったものだ。
白い月が冴えた夜だ。ルークはたった一人、馬を駆って目的の地へと急ぐ……ベスビアの森、火トカゲの魔女ヴァネッサの屋敷に向けて。
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