第42話 サイラス

 壁にかけられた大きな魔法の鏡が、微かに点滅し始めた。黒い鏡面が中央に引き絞られるように渦を巻き、そこにが映し出される。鏡の中央に映し出されたのは、今朝、隣国の森で顔を合わせたばかりの魔女、ヴァネッサだった。魔女は、高すぎる自尊心を隠そうともせず言った。


夜半よわきみ様。ご命令の件、このヴァネッサ、明朝には宮廷魔術師に接触を試みましょう。何しろ、いい代物を手に入れましたもので』


 ヴァネッサはキヒヒ、と笑った。こちらから送り込んだヴィジュアルバードの目を介して、魔女側の様子は見えているが、こちら側のを送りはしない。『夜半よわきみ』と呼ばれた男は、豪華な長椅子にゆったりと腰かけてオイル漬けのオリーブを口に運びながら、鏡の向こうに声だけを返した。


「いい代物?」


『はい。くだんの宮廷魔術師の使い魔を二匹ほど』


「使い魔だと? 奴がそんなものを使役しているとは初耳だが」


『一匹はガマガエル、もう一匹は、種族がよく分かりませなんだが、女性型の奇妙な魔人です。どっちも生け捕りました』


「奇妙な魔人……」


 男は美しい長い指をあごに当てて考える。先日ルークの元に虎を放った際……確かに、中途で妙な邪魔が入った。虎の目を介して見ていた男は、その存在を覚えていた。あの時のルークの驚いた様子から、てっきり部外者の乱入とばかり思っていたが、あれは奴の使い魔だったのか? 男は思案しながら言った。


「それで? その者らは、今どこに」


『あたしの屋敷で、じっとしてますよ。宮廷魔術師も、奴らを見殺しにはしますまい。奴らをダシに、君様の大切なお品を、このヴァネッサが取り戻してご覧に入れます』


 男は魔女の自信に笑いをこらえつつ、いつも通り魅惑的な声で答えた。


「そうか。あの男は、今ラグナの王都ロマにいるはずだが……」


『明朝早くに、王都にいる宮廷魔術師に文を出しますよ。奴もまさか、自分の使い魔が囚われているとは知りもしますまい! どうぞこのヴァネッサに、万事お任せ下さいませ。夜半の君様に、とこしえなる忠誠を……』


 と魔女が頭を下げた時、突然、彼女の背後からドーン!という激しい爆発音が聞こえた。映像が揺れる。魔女が「ヒッ!!」と息を飲み、しかめっ面で辺りを見回した。


『なんだ、これは?! おいっ、お前達!! 下の様子を見ておいで!!』


 魔女はガラガラ声で背後に怒鳴ると、慌ててこちらを振り向いた。


きみ様、お話中に申し訳ございません。何か、とんでもない邪魔が入ったようで……わたくしは、これで失礼致しま……すっ?!』


 再びの爆発音。画面がビリビリと揺れている。鏡の向こうで、魔女の背後が騒然としているのが伝わって来る。魔女は作り笑いで『それでは』と言い、金切り声で喚き散らしながら姿を消した。鏡は暗く沈黙する。


 男の背後から、する、と滑らかな腕が絡みついた。


「へえ! 何が起きたんだろうね? 気になるなあ……ねえ? サイラス?」


 サイラス、と呼ばれた男は優雅に笑い、美しい黒い瞳を背後の青年に向けた。


「なんだ、アゼルか。いつの間に来たんだ、お前」


「さっき。サイラスが俺のこと放っておくから、構ってもらいに来た」


 アゼル、と呼ばれた背の高い美青年は、くすりと笑った。青ざめた肌に、琥珀色の髪と瞳。陶器のように滑らかな肌をしている彼の背には、二対の銀の翼が生えていた。


「にしても、サイラスが、『夜半よわきみ』ねえ。知らなかったな。変なあだ名。サイラス・・グレイの方が、ずうっといいのに」


「魔術の世界では、名を取られると厄介だからな。魔術師は大抵、いくつもの偽名を持っている。だからお前も、サイラスなどと軽々しく口にするなよ」


「分かってるって。魔術師も、大変だね」


 アゼルは、地底に生きる精霊の一族だ。特別に強い力はないが、稀に地上の魔術師と結びついて悪さをすることがある。彼らは享楽的で純粋で、美とがくを好み、善悪の概念も、性別の概念も持っていなかった。アゼルはサイラスの肩にあごをのせ、甘えた声を出した。


「ねえ、あの魔女……ヴァネッサだっけ? さっきの続き、見たいな。きっと酷いことが起こるよ、楽しみ。ねえ、見せてよ、サイラス。どうせヴィジュアルバードでしょ?」


 ヴィジュアルバードは、サイラスの意のままに飛ばすことが出来る。サイラスは笑って瞳を閉じた。思念波を飛ばし、ヴィジュアルバードを操る。暗い鏡面が再び明滅し始めた。映像が揺れ、大きな鏡に空からの景色が映る。魔女の館の一部が激しく炎上し、黒煙が上がっていた。サイラスは一瞬目を見開いてその様子を見つめていたが、やがて楽しそうに笑った。


「なるほど、そういうことか! ルークの奴、王都から戻ったな? 転移魔法を使えば、わけもないことだ。これもヴァネッサの取った人質の効能、ってやつか。しかし、あのルークが、使を取られたくらいでノコノコと姿を現わすとは意外だが」


 アゼルは、既にサイラスの背後から鏡の前へと飛び去り、映し出される惨状を見てはしゃいでいる。彼はサイラスを振り返って、ウキウキと言った。


「人の屋敷をこんなに派手に燃やして、ひどい男だね、そいつ。ああ、もっとやってくれたら、面白いな! ねえ、サイラス。あのヴァネッサって魔女、ルークって奴に勝てると思う?」


 アゼルの問いに、サイラスはいかにも愉快そうに笑った。美しい銀髪が揺れる。


「まさか! あんな下級魔女ごときに、あの男が負けると思うか?」


「ふうん? ならなんで、ヴァネッサを奴にけしかけたのさ? サイラスが直接行った方が、よほど早いだろうに」


 サイラスは豪華な長椅子に腰かけたまま笑ったが、それはひどく冷たい微笑だった。


「あの男……ルークは恐らく、あれを封印するのに『死の鍵魔法』をかけている。無理にこじ開ければ、誰であろうと命はない。この私でも」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る