第39話 王都の魔術師

 王都ロマは、春の宵闇に包まれている。ルークは国王デズモンドとの長い面会を終え、魔術院の私室に戻った。控えていた従者のテオがうやうやしく私室を閉ざして鍵をかけると、ルークは頭部を完全に覆う仮面を外してぷはっと息をつく。


「全く、デズのお喋り好きには呆れるよ! 仕事の話はとっくに済んだって言うのに、わけの分からない世間話に付き合わされていい迷惑だ。こっちはこの重装備で、暑いし重いし、さっさと部屋に帰りたかったのにさ」


 不満をぶちまけるあるじに冷たい茶を持って来たテオが、顔色を変えずに答えた。


「国王陛下の覚えが宜しくて何よりです、坊ちゃん。デズモンド国王陛下におかれましては、坊ちゃんに並々ならぬご信頼をお寄せの模様。くれぐれも粗相そそうなきよう」


「だから、坊ちゃんはやめろって言っているだろ! お前は、僕が爺さんになっても坊ちゃん、って呼ぶ気じゃないだろうな」


「ご安心を。その頃には、既に私は天に召されておりますので」


 涼しい顔で言う従者に、ルークは「ふんっ」と鼻を鳴らして茶を飲み干した。そして、大きな執務机にぐでんと両手を上げて伏せる。


「……はあ。クレアに会いたい。クレアの可愛い声が聞きたい。やっぱり、一緒に連れてくればよかった。この執務室は魔術院の奴らが出入りして危ないから、ロマの僕の別邸に、クレアの部屋を作ろうかな。あの別邸なら、大通りからは少し入った高台だし、そんなに騒々しくないよな。でも、使用人が結構いるから、クレアは嫌がるかな……。あ、でも、それなら、モーガンの家からメアリって女を呼び寄せようか。とにかく、なんでもいいから、クレアをここに連れて来たい。まだ屋敷を出て数日だけど、これから一月近くもクレアに会えないなんて、ちょっともう、耐えられる気がしない」


「先日初めてお顔を拝見しましたが、奥様は、大層優雅でお美しい方だったのですね。失礼ながら、一地方領主のモーガンの家に、あんなご令嬢がいらしたとは驚きました」


「だろ?! 僕だって初めは驚いたさ。まさかモーガンの噂の娘が、あんな……」


 と言って、ルークは勢いよく机に顔を突っ伏した。ごん、と固い音がする。


「坊ちゃん?」


「……はあ。話してたら、益々つらくなってきた。僕の可愛いクレアは、今頃何をしているのかな……。あいつらと飯でも食っているか、もう飯も終わって、二階のバスルームに行っているか。ああ、僕も、クレアの美味しいご飯が食べたい……」


「王都にも美味しいものはございますよ。なんでしたら、このテオがご準備を?」


「遠慮するね。お前が作れる物と言ったら、スクランブルエッグくらいだろう」


「坊ちゃんの味無しスクランブルエッグと違って、私の作るのは味がしますよ」


「……僕達の料理比べほど無意味なものは無いな……。ああ、そうだ、お前と不毛な競い合いをしている場合じゃない。出かけないと」


「この後、何かご予定が?」


執政院しっせいいんおさと会う手はずになっている。お前はもう別邸に戻っていていいぞ。戻ったら、使用人達に言って、クレアの居室を一部屋確保しておいてくれるか。見晴らしが良くて、でも外から人目に付かない位置な。あの、東側にある大きな客間を改装すればいいんじゃないか? あそこなら、僕のいる魔術院も眺められるし、高台に面しているから、人目も気にならないだろう。寝室は僕と一緒でいいから、ベッドはいらない。他の内装は、お前と女中頭に任せる。僕はそういうのは、さっぱり分からないからな。大至急だぞ、いいな?」


「畏まりました」


 テオは、興奮して早口になっていく主の我儘な発言を、忠実に書き留めた。テオに要望を伝え終えたルークは、晴れ晴れと笑顔を見せた。


「準備が整い次第、クレアを王都に呼ぼう。はあ、今から待ち遠しくてたまらないな!」


 ルークは急に元気を取り戻し、「メイルバード、行くぞ!」と言うと、仮面を被り直した。ぎゃぎゃぎゃ、とやかましく鳴くメイルバードが、ルークの手にした長い杖の上に下り立つ。一気に得体の知れない宮廷魔術師の姿に戻ったルークは、仮面越しに言った。


「じゃあな、テオ。僕は遅くなるだろうから、先に休んでいてくれ」


「はい。別邸のお部屋のことは、このテオにお任せ下さい。後ほど女中頭の意見も聞いて、奥様のお気に召すように、早急にご準備致しましょう。本日はもうこんな時間ですので、実際には明朝からの作業となりますが」


「それでいい」


 テオが恭しく私室の扉を開けると、ルークは室内とは打って変わった厳かな様子で廊下に踏み出した。魔術院の絢爛けんらんなホールまで送ると、そこでたむろしていた院生たちが、突然の長の登場に、慌てて壁際に寄り深々と頭を下げる。ルークは彼らに向かって鷹揚おうように片手を上げつつ、堂々と回廊を抜けて行った。


 テオはその様子を満足そうに見届けたあと、主の私室を厳重に戸締りし、別邸へと急ぐ。あるじルークの、魔術院、さらに言えば宮廷での地位は盤石ばんじゃくだ。長年仕えて来たテオにとって、ルークは希望の星だった。この忠実な老人は、薄暗い裏道を一人歩きながら考えた。


(あれほど魔術の才能に溢れ、高いカリスマ性をお持ちの方は他にいない。なぜ、デイヴィス家の先代は、ルーク様をお認めにならなかったのか……ルーク様の兄君に当たる今のご当主様ですら、ただ武力に秀でていないと言うだけで、弟君であるルーク様を軽んじているきらいがある。なんとも、口惜しいことだ……)


 ルークがデイヴィス家を出奔しゅっぽんして、10年以上の月日が流れた。今でこそ、デイヴィス兄弟は軍事院と魔術院と言う対等な組織の長として接しているが、ルークが幼い頃は散々な扱いだった。当時の当主、つまりルークの父から、ルーク付きの使用人になるよう命じられたテオは、ルークのずば抜けた才能と、あの飄々ひょうひょうとして理知的な人格に、随分と感銘を受けたものである。幼い頃から大人顔負けの頭脳明晰な少年だったルークは、けれど体が弱く、随分と心配もした。高熱が出て、テオは真夜中に医者を呼びに走ったこともある。


(ルーク様がデイヴィス家を飛び出した時、とても私一人残ることなど出来なかった。私はルーク様に心酔していたのだから、それも当然のことだが)


 今夜は久しぶりに月が綺麗だ。嵐のあとで、大気が澄んでいる。テオは、先程のルークの様子を思い出して、ほんの少し頬を緩めた。


(しかし、これまで結婚では失敗続きだったルーク様も、やっと良い伴侶に出会えて本当に良かった。クレア奥様ならば、きっと、あの少し癖の強いルーク様を助けて下さるに違いない。……それにしても、奥様は、あれほどの美貌でありながら、なぜ婚礼の席であんなマントをお召しになっていたのだろう? 父親の領主モーガンもやけに慌てていたし、てっきり、余程外見に問題のある女性なのだとばかり思っていたが)


 つらつらと考え事をしながら歩くテオが角を曲がると、薄暗がりの道の先で、砂埃が上がっているのが見えた。何頭かの馬のいななきと、男達の押し殺した怒声が聞こえる。


(あれは……ベル男爵の屋敷の裏だ。まさか、馬泥棒か? 男爵は北方産の高価な馬を繋いでいると言うが……。厩番うまやばんはどうしたのだろう)


 この裏道には、夜間はほとんど人が通らない。テオがどうしたものかと眉を潜めた時、建物の影から一頭の華奢きゃしゃな仔馬が勢いよく跳ね飛ばされてきた。明るい月光の元で、悲壮な泣き声を上げたその仔馬を見た時、テオは我が目を疑った……。

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