第38話 ニコの奮闘
朝早くにクレアが出て行ってから数刻。もう既に陽は高く上っている。ルークの屋敷に一人残されていたニコは、落ち着かない様子で湖のほとりをウロウロしていた。
「どうしよう、どうしよう! まだ戻って来ない! クレア、やっぱり何かあったんじゃ……でもボク、クレアにここで待ってろ、って言われたし……どうしよう!?」
先程から、何度同じセリフを口にしたことだろう。クレアが出かけてからずっとこの湖のほとりに立っているニコだが、フロガーはもとより、クレアまでが一向に帰って来ない。
湖の対岸に広がる灰色の森は、いつもながら、
「やっぱり、あれは、クレア達に何かあったんじゃないのかな……どうしよう、ボク、どうしたらいいのか分からないよ!!」
ニコは、べそをかきながら湖畔を右往左往する。子供のニコは、人間達に襲撃されてツノを折られてからというもの、ルークのこの結界から外に出たことは一度も無かった。一角獣は、今や国内ではほとんど見ることの出来ない稀少な存在。ひとたび人間に一角獣であると知れれば、捕獲されて酷い目に合わされるのは間違いなかった。
「どうしよう……ご主人様のいる王都には、人間が沢山いるもん……ボク……」
呟いて、ニコは湖を覗き込む。鏡のように凪いだ湖面に、ツノの折れた自分の、泣きそうな顔が映っていた。その情けない顔をずっと見ていたら、ふいに湖面に波紋が広がった。顔を上げる。湖畔に倒れた朽ち木の先から、仲睦まじそうな蛙が二匹、湖に飛び込んだところだった。フロガーと同じようなガマガエル達は、春のうららかな陽ざしに誘われて、デートに繰り出して来たらしい。ニコはフロガーを思い出し、思わず笑顔になる。
「フロガーもいつも、あの木の先から、湖に飛び込んでた。前の彼女とデートした時に、格好つけて宙返りしようとして、失敗して後ろ足を
ニコは美しい首を垂れ、鼻先を湖畔の砂地に当てた。温かなお日様の匂いがする。クレアは、いつもここで洗濯をしていた。ニコがその周りをブラブラしていると、クレアは決まって、「ニコ、暇そうね」と笑って、長い尻尾でニコを遊ばせてくれるのだ。
ニコは暫くそのままじっとしていたが、やがてスッと首を上げた。
「……ごめん、フロガー、クレア。ボク、勇気が無くて遅くなっちゃったけど、王都に行くよ。それで、ご主人様を呼んでくる! ご主人様ならきっと、どうにかしてくれるもん!」
そう言うと、ニコは裏道を駆け上がり、屋敷の横を回って、玄関近くの枯れた噴水を目指した。いつもニコがその傍らで寝起きしている枯れた噴水の水盤には、水の代わりに、クローバーがそよいでいる。ここが、ニコの秘密の物入れになっていた。ニコは鼻面でクローバーをかき分け、主からもらった結界魔法を無効にする金の鎖を首に通した。それから、そばの砂地に寝転んで、暴れる。ニコの美しい白い毛並みは、あっという間に薄汚れ、額の折れたツノの跡も、砂まみれの長いたてがみですっかり覆われてしまった。
「これでよし! とにかく、たてがみでこの傷跡を隠しちゃえば、ボク、ただの仔馬にしか見えないよね。だって、まだ、新しい大人のツノは生えてきてないもん!」
一角獣の特徴たるその立派なツノが無ければ、ニコに身の危険はない。ただの馬、それも体格の華奢な仔馬など、馬の頭数が多い国内でわざわざ狙う人間はいなかった。
「待ってて、クレア、フロガー! ボク、絶対にご主人様を連れて来るからね!」
ニコは緑の森を、ただひたすら、王都目掛けて南へと駆け抜けて行く。
森の結界を抜け、王都へ向けてひた走る。人間の往来のある街道はやはり恐ろしいので、ニコは街道を外れた獣道を通って行った。道中、湧き水で喉の渇きを癒し、木陰で休憩をし、次第に傾く太陽が地平線に沈む頃には、ニコは王都ロマに到着していた。
「ここがラグナ王国の王都……見たこともない程、人間がいっぱいいる……」
ニコは沸き上がる恐怖に首をすくめて、街道脇の木陰から様子を窺っていた。王都ロマへと入る巨大な街道には、
「ご主人様は、あのお城の中にいるのかなあ……ここまで来たのはいいけど……どうやってあの中に入ればいいのか、ボク分かんないよ……ご主人様、出て来てくれないかなあ」
街道を、大貴族らしき一団が通った。彼らは何頭もの馬を仕立てて、身の回り品と思われる大荷物を運ばせながら楽しそうに王都に入って行く。ニコは、思い切ってその列に飛び込む。そして、荷物を載せた大きな体躯の馬たちに紛れるようにしながら、喧騒の王都へと入って行った。
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