第37話 窮地のクレア

 カイリーの白く美しい顔の半分が、皺だらけのたるんだ肌に変わっていた。一つは空色で生き生きとした、もう一つは紫色で落ちくぼんだ目。美しく張りのある体つきの半身は、干からびて枯れ木のよう。ひどくいびつで不均衡な姿だ。カイリーは、自らの別人のような半身を見ると、チッと舌打ちした。


「なんだい、もう時間切れかい! 魔力を増幅してもらったとて、やっぱり、使役する相手が増えると、この身に注げる魔力もがれるもんだ……仕方ない、こいつら相手に変化へんげしていたって何の得も無し、一度術を解くとするか」


 と言ったカイリーの、全身がみるみるうちに枯れ果てていく。あっという間に、先ほどまでの可憐な少女とは似ても似つかない老婆になった彼女は、残酷な笑みを浮かべた。大型の火トカゲが何匹か魔女に這いより、樹上からその体に黒いローブを着せ掛ける。私は、彼女に憎しみの目を向けた。


「そうか……お前が、火トカゲの……!」


 カイリーは高笑いして言った。


「そうさ! あたしが、この森の偉大なる女主人、火トカゲの魔女だ! 残念だったね、ガマガエルを助けに来た、宮廷魔術師の使!」


 そして、私の下で、グブグブと奇妙な音を立てているフロガーにあごをしゃくる。


「安心しな、そいつはすぐには死なないよ。まあ、これだけ闇の魔力に飲み込まれたら、あと二、三日の命ってところだろうがね! 助かったよ、お前のおかげでガマガエルの居場所が分かってさ! お前ら二人を人質に、あの宮廷魔術師を……」


 私は、素早く体をよじってフロガーの体の上から転がり落ちた。私達を使って、ルークをおびき寄せるつもり? そんなこと、させるものか! 私は全力で、この体をマントごと地面に、辺りの木々に打ち付ける。地面に転がったり、幹に激突したりする衝撃で、私の体をがんじがらめにしているいばらが、バリバリと音を立てて飛び散った。魔女が目をいた。


「なっ……!! 何をやってるんだい、お前!!」


 人間の柔らかな肌では流血の大惨事になるだろうが、私の硬質な体は、茨の棘ごときで傷ついたりしない。私は、マントが破れるのも構わず身を打ち付け続け、緩んだ茨のつるを、あっという間に鉤爪かぎづめの両手でねじ切った。魔女が、「ひいい!!」と悲鳴を上げ、私に両手を向けて引きつった声で叫んだ。その手のひらがぽう、と紫色に光った。


「ク、『クレア』!! 『汝、その名の元に、我が命を受けよ。我にひれ伏せ』!!」


 突然、私の体表に、小さく電撃を受けたような感覚が走る。だが私は、一瞬でそれを振り払った。まるで、体にまとわりつく静電気を払うように簡単に。私が思い通りにならないと見た魔女が、半狂乱になって叫んだ。


「なっ?! 名前を取られたってのに、お前には術が効かない?! 馬鹿な!! なんだってんだい、お前は!! 何者だ、一体!!」


 私は自由になった体で、魔女めがけて地面を蹴り宙に飛び上がる。私の肌が、ボロボロになったマントから露出した。魔女は、青ざめてガラガラ声を張り上げた。


「お、お待ちっ……!! この悪魔が! 『フロガー』!! 『汝のあるじを、守護せよ』!!」


 魔女の叫び声と同時に、飛び上がった私の右足首を、冷たい粘着質の塊ががっしりと掴んだ。私は驚いて下を見る。フロガーが……正確には、フロガーを飲み込んだ黒い魔物の巨大な手が、私の足首を掴んで引っ張った。


「!!」


 私は、力任せに近くの幹に投げつけられたが、間一髪のところで、態勢を立て直した。手と足を使って器用に幹に着地すると、大木が、衝撃に揺れる。灰色の木の葉が、音を立てて辺りに舞った。魔女が息を切らして声を張り上げた。


「こ、この魔性が!! あたしに手を出して見な、お前の大事なお仲間は、一瞬でお陀仏だよ! あたしが命じれば、そいつはいとも簡単に、自らの手で喉を掻き切っちまうからね!! それもこれも、お前があたしの前で『フロガー』と口にしたのが悪いんだ!!」


 私はぎくりと身を強張こわばらせた。魔女は、私の一瞬の戸惑いを見逃さず、急にいやらしい声を上げて来る。


「そうさ、あたしは、ガマガエルの名など知りもしなかったんだから。それをお前が、ご親切にも、あたしに教えてくれたんだからね! お前の大切なのフロガーは、どう思うだろうねえ。で、自分の命がいとも簡単に刈り取られることを?」


 私はぎり、と唇を噛む。そうだ。私は、カイリーの前で、迂闊にもフロガーに呼びかけてしまった……ルークが以前、名前は魔術の世界では大きな意味を持っている、と言っていたのに! 私は自分の犯した失敗に、目の前が真っ暗になった。私のせいで……フロガーを死なせてしまう? 魔女は、私の弱みに付け込むように言った。


「残念だねえ! そいつの体内の魔法虫マジック・ワームは、闇魔法の暴走で、既に消滅していたってのに。で、結局自由の身になれなかったんだから! それに、闇魔法に飲み込まれたと言っても、まだ二、三日は生き永らえるわけだから、もしかしたら、宮廷魔術師が助けてくれる望みもあるものを! お前が今ここで暴れれば、今この場でそいつは死ぬことになるよ。それも、で名を取られたせいでね! あとから宮廷魔術師が駆けつけて来たとて、もう全ては遅いってことになるねえ」


 私は悔しさに身を震わせながら、しかし、抵抗することも出来ずに、幹につかまったままじっとしていた。魔術のことは、私には何も分からない。けれど、魔女の言う通り、ルークだったらきっとフロガーを助けてくれるはず……ああ、今ここに、ルークがいてくれたなら! 


 私は、どうしたらいいのか分からないまま、魔女に言った。


「……何が望み?」


 魔女が勝ち誇ったように笑った。その甲高い声に、今すぐにでも飛びかかってやりたい衝動が沸き上がるが、ぐっと堪える。魔女が言った。


「そう来なくちゃ! そうそう、それでいいんだよ。なあに、何もしやしないさ。お前達二人には、あたしの屋敷に来てもらう。そんで、エサになってもらうんだよ、お前達のあるじをおびき寄せる、ね。あの宮廷魔術師には、ちっとばかし難しい頼み事があるから、お前達をエサに、こっちの望みを聞いてもらうってわけさ」


 私はあごを突き上げて、精一杯鼻で笑ってやった。


「……私達の主は、いくら人質を取られたからって、お前に屈するような、そんな愚かな人間ではないわ。残念だったわね」


「使い魔のくせに生意気な! ……まあいいさ。その減らず口もせいぜい今のうちだ。お前達の主がこのあたしにひれ伏すさま……薄汚い檻の中で、指でもくわえて見てな!」


 魔女はそう言って、フロガーには魔力で命じ、私には、もはや茨のいましめは無意味と分かったのだろう、単について来るように言って、彼女の館に向かった。狡猾な魔女は、フロガーの大きな体に乗ったまま、一瞬たりとも私から目を離さない。その上私の周りには、何匹もの大型の火トカゲが配され、とても抵抗できる状況に無かった。


 魔女の館は、ルークの屋敷とは正反対に、おどろおどろしく威圧感のある石造りの大きな建物だった。灰色の外壁に、多数の茨が絡みついている。館内部はだだっぴろく、薄暗い。魔女は私だけを石造りの暗い地下牢内に突き飛ばすと、フロガーを傍らに連れたまま、頑丈な鍵をかけた。


「お前の部屋はここだよ! 暴れようなんて考えないで、大人しくしてな!」


「待って! フロガーは?!」


「心配しなくてもいいさ。こいつも大事な人質だ。でもお前らを一緒にしておくと、何をされるか分かったもんじゃないからね! こいつはあたしが連れて行くよ!」


 それだけ言うと、魔女はフロガーを促し、さっさと行ってしまった。彼らの気配が遠ざかり、ぴちょん、と水が滴る音だけが微かに聞こえる。私は、じめじめした牢獄の中で途方に暮れて立ち尽くした。薄暗い牢獄の石壁は、私の鉤爪かぎづめをもってしても、びくともしなかった。

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