第35話 少女カイリー
あちこちの葉陰から、ぢりり、と焦げるような音が聞こえる。私は火トカゲ達を刺激しないように、じりじり後退する。
様子を見るだけのつもりだったが、成り行きとはいえここまで来てしまった。こうなったら、なんとしてもフロガーを見つけて、連れ帰ってみせる。フロガーは、ここをもう少し行った先にいるはずなのだ。まだ間に合う、大切な家族の一員である彼を、このまま魔女に渡すわけにはいかない。その時だった。
「?! 何かしら……微かにだけど、何か聞こえるわ……これは、人間の声?」
私はじっと耳を澄ませた。間違いない。人間の……それも、若い女性らしき泣き声がする。私は信じられない思いで顔を上げた。
「まさか。ここに、若い女の子なんているわけ……」
と言いかけた私は、ハッとする。そういえば、ニコが、魔女は森で迷った女を捕まえていると言っていた。まさか、うっかり迷い込んできた女性が、私のように木々に追いやられて、ここまで逃げて来た? けれど、普通の人間の女の子に、私のような動きが出来るはずがない。私は眉を潜めた。これは本当に、人間の声? それとも、何かの罠?
すすり泣きは続いている。火トカゲ達は、巣に入り込んできた私にすぐに襲い掛ってくることもなく、チロチロと青黒い舌を出しながら、こちらの出方を伺っている。私は、
初め、薄暗い木の根元の陽だまりに見えたそれは、よく見ると、美しい金色の髪だった。長い金髪の女性が、木の根元に身を投げ出すようにしてしくしく泣いている。私はその姿に警戒心を募らせた。人間の女性? 本当に? ここは魔女の森、油断は出来ない。彼女の後姿からは、魔術の気配は感じられないが、それにしてもおかしい。なぜ、どうやって、この人はここに?
私の足が枯れ枝を踏んで、パキッと乾いた音がした。彼女が弾かれたように顔を上げた。
若い女性だ。それも……驚くほど綺麗な顔をしている。真っ白な肌に、空色の瞳。腰よりも長く伸ばした髪は見事な金色の巻き毛で、妖精のような愛らしさだ。年齢は私より少し年下、10代後半くらいだろうか……ちょうど、私の妹たちと同じくらいに見える。だが、それよりも。
私は、彼女の哀れな姿に言葉を失っていた。綺麗な水色のドレスは無残に破れていて、白く美しい肌が、ほとんど露わになっている。彼女は怯えたように言った。
「あなた、誰? 人間なの? どうしてこんなところに?」
私と全く同じ疑問。怪しいのはお互い様というわけだ。私は頷いた。
「ええ、人間よ。あなたは一体……」
「質問に答えて! あなたは、なぜここに?」
「……家族を探しに来たのよ」
すると彼女は、あからさまに怪しんで私の全身をじろじろ見回した。
「家族……?」
「そう。私は、家族を探しに来たの。……さあ、今度はあなたの番よ。あなたは誰で、どうやってここへ? ここで何をしているの?」
「人に名を聞くのなら、自分から名乗るのが礼儀だと思うわ」
彼女は明らかに私を怪しんでいる。私は暫し迷い、けれど、断る理由もないので答えた。
「……そうね。私はクレア」
「クレア……どこの人? 年はいくつ?」
「……王都よ。年齢は、21歳」
「王都からここまで一人で来たの? あなたのような、若い女の人が?」
「いいえ。従者と一緒よ。でも……森の入り口で木に襲われて、はぐれてしまったの」
私は咄嗟に嘘を並べる。彼女はじっと私の言葉を聞いていたが、やがてため息をついて言った。
「ごめんなさい、無礼な真似をして。あなたが何者なのか分からなくて、怖かったから。私の名前はカイリー。私もあなたと同じ、家族を……兄を探しに来たの」
「お兄さん?」
「そう。狩人をしているのだけど、この森で行方不明になって……もう一月になるわ」
「それで、一人でこの森に?」
「いいえ。あなたと同じ。家族と来たけれど、森の木に襲われて、父も、母も……」
言いながら、再び肩を震わせて泣き始める。私は、その震える肩に反射的に手を伸ばそうとするも、慌ててその手を引っ込めた。異形の私は、安易に、他人に触れるわけにはいかないのだ……。
私は、怯えている彼女の肩を撫でてやることも出来ない自分にひどく悲しくなったが、気を取り直して、辺りに再び注意を向ける。今は悠長に立ち話をしている場合ではない。私は、俯いて泣いている彼女に囁いた。
「ここは危険よ。火トカゲの巣みたいだから。とにかく、この場を出ないと。話はそれからよ」
彼女は頷き、静かに私のあとをついてくる。私達は、そっとその場を離れた。火トカゲはシュウシュウ不気味な音を立てたが、自分達に危害を加える相手ではないと分かったのか、こちらにやっては来なかった。
私達は巣を出たが、森の木々はもう襲って来ない。恐らく、周囲から入って来た異物をあの巣に追い込んだら、彼らの役目はもう終わりなのだろう。灰色の木々は不気味に沈黙している。火トカゲの姿がほとんど見えなくなった辺りで、カイリーが言った。
「ねえ、あなたの探している家族というのは? この森で行方不明になるのは若い人ばかりみたいだけど、やっぱりあなたも、兄弟や姉妹を探しているの?」
「……そうね。そういう感じね」
カイリーは、じっと私を見つめている。その瞳に疑惑が浮かんでいたが、私はあえてそれを無視した。彼女は私から視線を外さないまま、ふいに、眉を寄せて言った。
「ねえ。悪いけれど、あなたのそのマント……貸してくれない? 私のドレス、木に襲われたせいで、こんなに破れてしまったから」
「……ごめんなさい。貸してあげられないわ」
カイリーは、まさか断られるとは思わなかったのだろう。空色の瞳を大きく見開いた。
「どうして?! なんて酷い人なの、私がほとんど裸だと知っているのに! あなたのように冷たい女の人、初めて会ったわ!」
「……ごめんなさい。私は、肌が弱いの。だから、このマントを脱ぐわけにはいかないのよ。本当にごめんなさい」
カイリーは、信じられない、というように私を見ている。だが、何と言われようと、この姿を人前に晒すわけにはいかないのだ。彼女だって、マントの中身がこんな異形だと知っていれば、マントを貸して欲しいなどとは口が裂けても言わないに違いない。
カイリーは、私から少しづつ距離を取ると、あからさまな敵意をこめてこちらを睨んだ。
「……あなた、なんだか変よ。考えてみたら、どうしてこの季節に、そんな分厚いマントを着ているの? ご丁寧に、フードまで被って……。それに、木に襲われてここまで逃げて来た、と言う割には、あなたのマントはどこも破れていないじゃない。あの攻撃を受けて無傷だなんて……絶対におかしいわ!」
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