クレアと魔女

第30話 嵐

 ルークが王都に発って数日後、私達は全員、屋敷の中に閉じ込められていた。降り続いていた小雨はいつしか本降りとなり、遂に嵐がやって来たのだ。風の音が唸り、窓を激しく揺する。断続的に雨脚が強くなって、窓を叩きつける雨粒の音がたまに強くなった。


「ねえ、クレア。雨、いつ止むのかなあ」


 ニコが居間の窓に張り付いて、不安そうに聞いた。外は土砂降りの雨。いつもニコが遊んでいる前庭も、緑の森も、全てが雨の滝に沈んでいる。


「そうね。まだ雷の音がするから……あの黒い雷雲がいなくなるまでは、雨も止まないでしょうね。でも平気よ。食べ物もいっぱいあるし、嵐が過ぎるまで、ここにいましょう」


 私は夕食後のお茶を飲みながら答えた。昨日、あの商人イアンが荷物を届けてくれたおかげで、食品庫はパンパンだ。彼は嵐の前に、予定より早く、多めの食品を置いて行ってくれたのである。彼はルークの言った通り、良い商人だった。


 バリバリ、と大きな雷の音がして、ニコと私は首をすくめる。ニコが窓を離れ、私のそばに飛んできた。


「落ちた?! ねえ、どっかに落ちたよ、雷! クレア、この家は平気なの?」


「大丈夫よ。この屋敷は、森の木々より背が低いから。きっと、高い木のてっぺんに落ちたんじゃないかしら」


 再び窓の外が一瞬明るくなった。ニコがぴゃっと声を上げて、私にへばりついてくる。私は笑って、その美しい首筋を撫でてやった。


「すごい雷ね。でも大丈夫。このお屋敷は、頑丈そうだもの。さあ、今晩はもう寝ましょう。明日の朝起きたら、きっといいお天気になっているわよ」


「待って! ボクもクレアと一緒に上に行く!」


 カップを手に席を立った私に、ニコが慌ててすがりついた。私は笑って言った。


「別にいいけれど、暖炉にまだ少し火が残っているから、居間の方が暖かいわよ。フロガーもいるし、怖くないでしょ?」


「駄目だよ! だってフロガー、最近いっつもぼんやりしてるもん! 半分冬眠してるんだよ、きっと!」


 フロガーは、暖炉の前で火を見つめてぼんやりしていた。雷も気にならないらしい。ここ数日、彼はずっとあんな調子で暖炉の前に陣取っている。私はため息をついた。


「それはそうね……まあ、雨が降り始めてから、冬に逆戻りしたみたいな寒さだし……蛙のフロガーにとっては、寒すぎるのかも。可哀想だから、暖かい日が戻ってくるまで、そっとしておいてあげましょうか。きっとこの嵐が過ぎれば、本格的に春になるわ」


 私はフロガーを居間に残し、ニコを連れて廊下に出た。屋敷が雨の匂いに満ちている。暗い廊下に、激しい雨音が響いていた。台所にカップを置いて二階の寝室に上がる。度々聞こえる雷鳴に、ニコは首をすくめながら私に身を摺り寄せている。


 私は棚からブランケットを出し、二階の寝室の、窓から一番遠い壁際に、ニコの寝床を作ってやった。私がいつもの子守唄……私が唯一知っている、母が歌ってくれた子守唄……を歌ってやると、ニコは横たわったまま暫くじっと耳を澄ませていたが、やがて健やかな寝息を立て始めた。私はニコの頭を撫でてやり、ろうそくの灯を消してベッドに入る。


 夢の中で雨の音を感じていた私の耳に、突然、大きな衝撃音が聞こえた。私はハッとして体を起こす。起き上がると、同じく目を覚ましたらしい壁際のニコと目が合った。ニコは眠そうに言った。


「クレア……? 今、なんか、音がした……? 夢?」


「分からない……私も、何か聞こえた気が……」


 大きな寝室に聞こえているのは、窓に叩きつける雨の音と、風の唸りだけ。窓も、寝室の扉も閉まっている。全ては眠りについた時と同じ、何も変わっていない。私は息を吐き、呟いた。


「気のせい……? ただの、外の風の音だったのかしら……」


 ニコがあくびをし、私達が再び横たわろうとした時。もう一度、バンッという大きな音が、風と雨の音に紛れて聞こえた。ニコが弾かれたように立ち上がり、私も咄嗟に夜着の上にガウンを羽織っていた。


「やっぱり、気のせいじゃないわ! 何の音かしら」


 私は、ナイトテーブルから銀のナイフを取り出した。そして、恐怖に跳ね上がった動悸を抑えつつ、火を灯したろうそくを手にする。ニコが慌てて私の傍にすり寄ってきた。彼は押し殺した声で言った。


「ねえ、なに?! この音、なに?」


「分からないわ。でも、上から聞こえない? ……ルークの部屋よ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る