第28話 親切な商人、冷淡な従者

 翌朝は案の定、雨になった。夜半から降り出した春らしい霧雨で、森は瑞々しく緑に煙っている。雨のせいで気温が低く、肌寒い。


 私達はいつも通り、オムレツと丸パンの簡単な朝食を済ませ、居間で寛いでいた。ルークは大きなソファで紅茶片手に魔術書を読み、ニコは私の揺らしてやる尻尾にじゃれついて遊んでいる。私の尻尾は長くしなやかなので、ニコにはちょうどいい遊び相手だ。フロガーは暫く窓辺で外を見ていたが、やがて「止む気配ねえな。土手の家に帰って昼寝するわ」と言って、ふらりと出て行ってしまった。


 窓から、霧雨に白く煙る森が見える。その森の中を、幌馬車が一台、こちらにやって来た。私は振り向いて言った。


「ルーク、町の商人さんよ。配達、今日は早いのね」


「ん? ああ、ほんとだ。午後から雨がひどくなるみたいだからね、早めに来たんだな」


 私は姿を見られないよう、いつも通り二階に避難した。玄関を開けて出たルークに、商人が驚いて声を掛けている。私の耳には、二人の会話が筒抜けだ。


「おや、坊ちゃんじゃないですか! 珍しい、今日はご在宅で?」


「久しぶりだな、イアン! ああ、そうなんだよ、珍しく長い休みが取れてね。僕って働き過ぎだから、たまには休むのもいいかなってさ」


 坊ちゃん? 私は、商人が発した言葉に首を捻る。やけに親しそうな様子だ。


「あはは、そりゃそうですよ、いくら坊ちゃんがお若いと言っても、働きづめはよくありませんや。……はい、これで今日の分のお荷物は全部、あとこちらが、町の情報屋の日刊4日分と、郵便屋から預かって来た郵便物で」


「ああ、いつもありがとう。すまないな、こんなに遠くまで。良かったら、上がってお茶でも飲んで行くか?」


「こりゃあ、有難いお申し出ですが、謹んで辞退させて頂きますよ。何せ、午前中だけであと五件も配達が入ってますんでね。坊ちゃんの元気そうなお顔を見れただけで幸せです。どうぞこれからもご贔屓に! まいどあり」


 そう言って、商人は馬車を飛ばして帰って行った。私は階下に下り、玄関に並んでいる大きな箱を二つ、ひょい、と抱えてルークに問いかけた。


「ねえ、あの商人さん、ルークの知り合いなの?」


「わっ、クレア! さすがに力持ちだな……ああ、うん、そうだよ。あのイアンは、元はデイヴィスのお抱え商人の店で働いていてね。最近あいつ独立して店を構えたから、僕が最初の顧客になったってわけ」


「そう……でも、大丈夫なの? 彼から、あなたの正体がバレたりしないの?」


 ルークは「それはないね!」と破顔はがんした。


「才気ある商人は、そこら辺の貴族なんかより、よっぽど口が固い。商売というのは人を相手にするものだから、信頼第一なんだよ。彼らは、自分の顧客の不利になるようなことを、絶対に口外しない。イアンは昔から信頼に値する男だからね。安心していいよ」


「そう、良かった」


 食品庫に荷物を運び終え、ルークはソファに座って受け取った何通かの手紙を読み始める。私が再び尻尾でニコを遊ばせていると、ルークが「おっ」と声を上げた。


「テオだ。明日帰って来るって。……ふん、今回の調査は空振りか、仕方ない」


 ルークは手紙を読みながらブツブツ呟いている。ニコが私を見上げて言った。


「ねえ。クレアは、テオに会ったことがあるの?」


「ええ。結婚式の夜にね。馬車でここまで送ってくれたわ」


「不愛想でしょ。でも、悪い人じゃないんだよ。不愛想なだけで」


『不愛想』と連呼するニコに笑ってしまう。


「そう、残念だわ。けれど、そんなことより……これから私、昼間はどうしようかしら」


 ルーク以外の人間に、この姿を見せるわけにはいかない。しかもテオはルークの従者だ。あるじの妻がこんな恐ろしい異形の女と知ったら、どんな反応を見せるだろう。だがそんな私の心配をよそに、ルークは顔をあげてあっさり言った。


「どうしよう、って? クレアはいつも通り、そのままでいいよ。テオは忠実な男だからね。主の妻であるきみに関して何を見聞きしても、それを口外するような軽率な真似は絶対にしない。断言できる」


「でも……」


「まあ、そもそも、あいつはほとんど離れにいるから、こっちの屋敷に来ることはないけどね」


 ニコが頷いた。


「今までも、テオがこっちに来るのは、ご主人様が病気で寝込んだりした時くらいだったよ」


「そう……でも私、やっぱり、暫く昼間はマントで過ごすわ……」


 ルークは「クレアが気になるなら、それでいいよ」と笑顔を見せ、再び手紙に目を落とした。私の尻尾で遊ぶのに飽きたニコは、雨の森に出て行って遊び始める。私は、ニコが雨の中で楽しそうに飛び跳ねているのを見ながら、明日からの昼間の生活に思いを馳せる。テオが私に、拒絶反応を示さないといいのだが。


 翌日、テオが帰宅したのは、夕方遅くになってからだった。霧雨はとうに上がっていたが、一日中薄暗い曇天だったせいか、ひどく肌寒い。夕飯のシチューを煮込んでいる時、表に馬車の音がして、ニコが裏口から飛んで入って来た。


「テオが帰って来たよ! なんか馬車にいっぱい荷物積んでる! お土産かなあ」


 ニコは台所の私にそう声をかけると、そのまま居間へ飛び跳ねて行った。私はドキドキして、窓の外に目を向ける。大丈夫、日没は過ぎた。私は今、人間の姿だ。


「こんなに緊張するのは、久しぶりね……ルークに初めて姿を見せた、あの夜以来」


 胸の前で握った手が、恐怖に震えてしまうのは仕方がない。本当は今すぐにでもマントを取りに行きたいが、自分の主と結婚した女が家の中でそんな恰好をしていては、不審に思われるに違いない。せめて夜だけでも、人前に出ることに慣れなくては。


 玄関の開く音がして、微かに聞き覚えのある声がした。私は覚悟を決めて、居間に出る。


 居間では、薄いコートを着込んだ老紳士とルークが立ち話をしていた。玄関はまだ開いていて、外のポーチに馬車が止まっている。ルークが私を振り向いて笑顔を見せた。


「あっ、クレア! テオが帰って来たから、改めて紹介するよ」


 私は無言で頷いて、彼らの元に歩いて行く。テオは、まさにあの夜見たままだった。背が高く、鷲鼻で、ちょっと人を見下した感じのする老紳士。ルークが言った。


「テオ、こちらはクレア。知っての通り、僕の妻だ。それから、クレア、こちらはテオ。僕の従者兼助手だ。結婚式の夜に会ったの、覚えているかな?」


「ええ、もちろん。……初めまして、でいいかしら、テオさん。あの時は、あなたのお名前も存じ上げませんでしたから」


 私が会釈すると、テオは胸の前に右手を置き、背筋を伸ばして礼をした。


「改めまして、テオ・カーターです、奥様。どうぞお見知りおきを。それから、わたくしには敬称も敬語も不要です。ご用の際は、何なりとお気軽にお申し付け下さいませ」


 彼はそう言って頭を上げたが、言葉と裏腹に、その顔つきは私を値踏みするような冷淡さに満ちている。私は少し身を引いて言った。


「……そう。では、そうさせてもらうわ。これから宜しくね、テオ」


 テオは無言で頭を下げ、玄関を出て行ってしまった。馬車の音が離れへと遠ざかる。ルークが呆れたように肩をすくめた。


「あいつは昔からああだからね。気にしないでいいよ、クレア」


「テオは、いつからあなたの従者を?」


「あいつは、元はデイヴィスの家の従者だったんだよ。だから、僕が子供の頃からの付き合いだね。僕が実家を出奔しゅっぽんしたのは前に言ったよね? その時、なぜかあいつも付いて来たんだ。僕としては意外だったな。あいつは生粋のデイヴィスびいきだと思っていたから」


 ルークはそう言って、ふいに口を閉ざしソファの肘掛に浅く腰かけた。床を見つめているその横顔に、影が落ちる。私は、何も問いかけてはいけない気がして、黙っていた。居間が静かになる。久しぶりに火を入れた暖炉から、薪がはぜる小さな音がした。それを合図にしたように、ルークが「さて」と言って身を起こす。


「夕飯にしよっか! いい匂いだね、今日はシチュー? 僕も何か手伝うよ!」


 私は黙って頷いた。誰にだって、人に触れられたくない事情はある。

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