第27話 光と闇の魔術
あとは、このベッドを綺麗にすれば、大掃除も終わり。私が、少しほっとしてベッドカバーを外すと、キャンディーの包み紙やお菓子のかけらが大量に床に滑り落ちて来た。よく見ると、小さな虫の死骸も紛れている。私は悲鳴を上げた。
「きゃああ!! な、な、なにこれ!!」
「あれっ、ほんとだ。僕、いつもここでお菓子食べたり寝転がったりしていたけど、まさか、食べかすがこんなに埋もれていたなんて驚いたよ!」
「もうっ、驚いたよ、じゃないでしょ?! これから、ベッドでお菓子は絶対に禁止よ!」
ルークは最初こそ「ええー!」と口を尖らせたが、次々に落ちて来るお菓子の残骸を見て、渋々承諾した。私は、新婚初夜をここで過ごさなくて本当に良かったと心から安堵する。こんなところに横たわるなんて、最悪だ。
カバーを洗濯かごに放り込み、ブランケット、シーツも剥がす。丸まっていた汚いブランケットの下から、大型の本が出て来た。ルークが叫ぶ。
「あーっ! それ、ずっと探してたんだ! なんだ、こんな所にあったのか!」
と言って、ルークはその大型本に飛びついた。そして興奮してまくし立てる。
「これ、世界に三冊しかない貴重な魔術書なんだよ! 僕のベッドにあったのか。どうりで、魔術院の本棚で探しても見つからないわけだ!」
「せ、世界に三冊って……! そんな貴重な書物を、こんな汚いベッドの中に……!」
ルークは本を抱えて、剥き出しになったマットレスに腰かけた。立派な革の装丁の本だ。彼は私を隣に座らせてから右手を表紙に向け、何かの呪文を唱えた。すると、本の表紙にぱあっと光が広がり、そこに十文字にかかっていた太い鎖が消え去った。てっきり、その鎖は表紙に描かれた模様だとばかり思っていた私は、驚いて声を上げる。
「今の、なに?!」
「魔法の鍵だよ。貴重な魔術書と言うのは、大抵、こうして鍵魔法がかかっているんだ。それを開くに値する魔力を持つ者以外が読めないようにね」
「鍵魔法? すごいわ! あなたって、本当にすごい魔術師様なのね」
私が心から感心して言うと、ルークは「まあね!」と上機嫌で本を開いた。
「これはね、僕らの世界に存在しうる魔術全般について書かれた、非常に興味深い書物なんだよ」
「存在しうる魔術?」
ルークは「そう」と微笑んで頷き、いつかと同じように、魔術院の生徒にでも講義するような口調で教えてくれた。
「一般的に、僕らの世界の魔術では、火、風、水、土のどれかの属性を持った力を行使する呪文の詠唱術と、天体の星の動きを読み解く占星術が主流なんだけど、人によっては、それより予言術や
「すごいわ! 一言で魔術と言っても、色々な分野があるのね。ねえ、ルークは? あなたも、何か得意な分野があるの?」
ルークは「ふふん!」と鼻を鳴らして胸を張った。
「やだなあ、誰に聞いてるんだ、クレア! 僕は、王国屈指の天才魔術師だぞ? だから僕はなんでも出来るけど、まあ、その中でも一番得意なのは、火の魔術だね! 火の魔術で、僕の右に出る者はいないだろうな。ちなみに……これはクレアにだけ言っちゃうけど……実は、僕は水に属する魔術は苦手だ。水や氷の魔術を行使すると、なんだか指先がピリピリする。だから、出来なくはないけど、好きじゃない。きっと、僕の血には合ってないんだろうな。普通の人にも、得手不得手ってあるだろ? それと一緒さ」
「そうなのね、ルークにも苦手なものが……。でも、分かる気がするわ。私は、絵を描くのが苦手だもの。魔術にもそういうことがあるのね」
ルークが少し目を見開いた。
「へえ! クレア、絵が苦手なんだ? それは初耳だな」
「……人に言ったのは初めてよ。私、どうしても上手く描けないの。鉤爪のせいだからじゃないわ、夜でもダメなんだもの。だから、絵がうまい人は尊敬するわ」
「今度見せて欲しいなあ、クレアの絵!」
「……いいわ。でも、笑わないでね。ねえ、それで? 魔術の話の続きが聞きたいわ」
「ああ、そうだった。それでね。魔術の世界はそういうわけで、色々あるんだけど……」
と言って彼は、分厚い書物の、あるページで手を止めた。何か怖い絵柄と、私には読めない魔術文字がびっしりと並んでいる。ルークはその文字に指を滑らせながら言った。
「その中でも、極めて特殊な魔術が二つある。それが、光と闇の魔術だ。この二つは、全属性魔法の頂点に立つ最高の術で、非常に高い魔力と精神力が要求される、いわば奥義みたいなものだ」
「光と闇って……確か、前にあなたが火トカゲを退治した時、光魔法って言っていた気がするけれど……」
「そう。実は、あの光魔法を扱える者は、僕が知る限り、世界でも僕以外にたった一人しかいない。なぜ僕が世間で天才と言われているかというと、それは僕が、あの光魔法を行使できるからなんだよ」
「え……ええっ?! そんな、すごいわ……! 私、全然知らなかった!」
ルークは平然と話しているが、私は、改めてこの人の偉大さに感服する。と同時に、突然、あることに思い至った。そんな強大な魔力を持つルークでさえ手を焼いた、あの時の黒い虎……とてつもなく強い魔力を帯びた、あの、紫に輝く獰猛な瞳は……。
「まさか……あの時の、あの黒い虎は……」
私の呟きに、ルークは重々しく頷いた。
「そうだ。あれこそが、闇の魔術の力。僕には扱えない魔術だ。僕の知る限り、闇魔法を扱える者はこの世界にたった二人しか存在しない。そのうちの一人が……」
「あなたがあの時口にした、サイラ……」
と言いかけたところで、突然、ルークが私の唇に自分の唇を勢いよく重ねた。キス、などというロマンチックな名ではとても表現できない、まさしく口封じ、としか呼べないような強引な口づけ。私は「んー、んんー!!」と唸って、彼から唇を離す。
「ぷはっ! な、な……?! いきなり、な、にを……」
目の前のルークは、氷のような微笑を顔に貼り付けていた。怖い笑みだ。私は、訳が分からずに、恐る恐る問いかけた。
「あ、あの、ルーク……? 一体、どうし……」
「……なんかムカついた。今、絶対にきみがその愛らしい唇で発するべきではない、最低最悪の文字の羅列が聞こえた気がして」
「えっ? あの、なんのこと? それってもしかして、サイ……」
再び、ルークが私の唇を封じた。口を塞がれた私は「んー!!んんー!」と唸って、じたばたもがいた。ぷはっ、と空気を求めてその戒めから逃れると、彼はさっきと同じ氷の微笑を浮かべつつ、明るい、けれどどこか狂気を感じる声で言った。
「自分でも驚いたなあ……きみの口からソレを聞くのが、これほど耐えがたいことだとはね! 僕が世界で一番大切に思っていて大好きで食べちゃいたいほど可愛いクレアが、よりにもよって、史上最低で最悪で、今この瞬間にこの世から永久に消滅すべき存在を表す四文字を口にするなんて……! 僕にとっては、拷問以外の何物でもないよ」
笑顔のルークは淀みなく早口でそう言った。目が笑っていない。彼の周囲の温度が急激に下がった気がした。私は、ごくりと唾を飲み込んで、そっと呟く。
「……私、もう絶対に言わないし、それについて知ろうともしないわ……」
ルークは張り付いた笑顔で私の頭を撫でている。どうやらルークと、そのサイラス(私がルークの前でその名を呼ぶことは二度と無いだろう)なる人物は、余程の因縁があるらしい。私は、洗濯物を抱えて慌てて立ち上がった。
「えっと、その……せ、洗濯をしてくるわ! お天気がこんなだから、その……早くしないと、雨が降ってくるかも。あなたはここで本を読んでいて。じゃ、じゃあね!」
私はルークを残し、そそくさと階下へ向かう。一階の裏口を出たところで、はあ、と詰めていた息を吐いた。
「サイラス……か。ルークの前でうっかり口にしないように、これから気を付けないと」
私は山盛りの洗濯物を大きなたらいに詰め込み、湖に向かった。暖かな春の大気が、湿気を帯びている。近いうちに雨になりそうだ。
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