第23話 火トカゲの魔女

 国内屈指の武の名門、デイヴィス家。ウェルスに拠点を持つ、国王に次ぐ地位の大貴族だ。国内五大組織の一つ、軍事院のおさは、代々デイヴィス家の当主が務めている。国内でその名を知らぬ者はいないだろう。私は驚いて言った。


「あなたが、あのデイヴィス家出身?! ごめんなさい、名前を聞いただけでは、気が付かなかったわ! ルークが、そんなすごい家柄の人だったなんて……だって、デイヴィス家と言えば、軍事院の……」


「うん、そう。今は、僕の一番上の兄さんが、軍事院の長をやっているよ」


 ルークはあっさり頷いた。国内五大組織のうち、軍事院と魔術院という二つの巨大組織の長が、兄弟だったとは。私は、ルークがこれほど若くして魔術院の長、さらにはデズモンド国王の最側近の地位を得た理由にやっと納得した。


「そうだったのね……。それであなたは、国王陛下の最側近に……」


 頷いて言う私に、意外にもルークは首を振り、自信満々に言い放った。


「いや、それは違う。そもそも僕はもう、デイヴィスの人間じゃない。実家は随分前に出奔しちゃったから。僕がデズの傍にいるのは、単に僕が天才で、デズが僕の能力を必要としているから、というのが正しいね。あと僕、これでもデズのこと結構好きだからさ!」


 あっけらかんと笑うルークに、私は絶句する。私が何か質問を紡ぎ出すよりも前に、ルークが言った。


「さ、着いたよ、クレア! 悪いんだけど、ちょっとこの箱持っていてくれる?」


「えっ?! あ、あの……ええ、分かったわ」


 ルークは例の黒い箱から一つの結界石を取り出し、私に箱を渡した。私は戸惑いながらも、その箱を受け取る。まただ。いつかの朝にもこんなことがあったが、彼は、あることに……それは主に魔術や彼の仕事に関することだと思うのだが……集中すると、全く別人のように変貌してしまう。今、彼の端正な横顔からは何の感情も読み取れなくなっていた。まさに、「得体の知れない魔術師」そのものだ。今の状態の彼に、これ以上話を聞くことは出来ないだろう。知りたいことは増えるばかりだが、今夜にでも機会を見て聞いてみるしかない。


「ほら、これだよ、クレア。見てごらん。もう、魔法の輝きがかなり消えているだろう?」


 彼は、葉叢はむらに隠れてひっそりと佇む大理石の台座を私に見せた。弱々しい光を放つ魔法の珠が、白い大理石の円柱に守られるように浮かんでいる。私の尻尾が、その魔術の力に反応してチリチリした。


「ええ。けれど、それでもすごい力よ。尻尾がチリチリする」


 ルークは少し目を見開いた。その美しい灰色の瞳から優しい甘さが消え、純粋な好奇心と探究心が燃え始める。


「へえ、すごいな! きみの身体感覚は、やはり一般の人よりかなり鋭いみたいだ。普通の人はこれを見ても、魔力を感じることは出来ない。せいぜい、光の強弱を見分けられるくらいだよ」


「そう……でも、だからと言って、そうやって私を『観察』するのはやめて欲しいわ」


「ああ、ごめん! でもこれも、僕の愛情表現の一つだと思ってよ」


 と言って彼は醜い私の額にキスをして、私の固い頭を慣れた手つきで撫でてくれる。私はくすぐったくて身をよじった。彼は真顔で言った。


「それと、一応言っておくと、この結界装置には、僕が特別に許可した者以外は触れられない。まあそもそも、部外者はここに立ち入ることすら出来ないんだから、そんな心配はないわけだけど」


「つまり、これを交換できるのは、あなたとニコ、フロガーだけということかしら」


「あと、もちろんきみもね。使用人のテオには、許可は与えていない。あいつはもともと魔術の心得が無いし、他にやってもらうことが沢山あるから」


「そう。分かったわ。じゃあ、次回は私もお役に立てそうね」


「うん。とはいえ、クレアはいつも僕と一緒にいてくれればいいよ。結界石は年に一度交換するだけだから、また来年のこの時期に、二人で仲良くお散歩しよう」


 ルークは手慣れた様子で、魔力の薄れた石を台座から抜き出した。と同時に、私は尖った耳を鋭く動かして目を細める。これまで感じたことのない、嫌な気配。


「何かしら……何かいる」


「下がって、クレア」


 というルークの落ち着いた声と共に、彼の手元から眩い光がほとばしった。光の帯は音もなく滑らかに草の上を進み、丸く収斂しゅうれんする。一瞬の出来事だった。


「な、何?」


「大したものじゃない。ちょっと待ってて」


 ルークは謎の塊をそのままに、手早く新しい結界石を四本の支柱の間に入れる。石は音もなくその空間に浮かび、強い緑の光を放った。私の全身が総毛立つ。なんという強い魔力! 先程とは比べ物にならない。ルークは「これで良し」と言い、淡々と述べた。


「この石を交換する時、この一帯は完全に無防備になる。結界石は、四つ揃っていて初めて効力を発揮するものだからね。どれか一つでも台座から外されれば、たちどころに結界は消滅する。で、知っての通り、僕らは四方向それぞれ別で作業しているだろ? 全てを完全に同じタイミングで交換することは出来ないから、一瞬のスキが生まれるんだよ。本当に一瞬だけどね」


 ルークは草むらの上に転がる塊に手を伸ばした。


「さっき言った、結界が消える一瞬。たまにこういう外敵が入り込んだりするんだ」


 ルークが差し出した塊。その中に捕らえられた生物を見て、私は悲鳴を上げた。どす黒い赤と、タールのように黒い縞模様の、長い尻尾と固そうな背びれを持つグロテスクな生物。毒でも持っていそうな青紫色の舌が、口からだらしなくはみ出ている。


「と、トカゲ……なの?」


「そう。正確には、火トカゲだ。地方によっては、サラマンダーと呼ばれることもある」


「火トカゲ!? 『危険な魔法生物』の図鑑で見たことがあるわ! 実物を見るのは初めてだけれど……し、死んでいるの?」


「ああ。光魔法は、邪悪な魔法生物を簡単に即死させることが出来る。他にも、氷魔法なんかも有効だね。だから、僕みたいな高位の魔術師にとっては火トカゲなど怖くもなんともないが、普通の人にとっては危険極まりない。この程度の大きさでも、かまどの火より余程大きな火を噴くから。見かけたら退治するに越したことは無いさ」


 話しているうちに、彼の手のひらの上の火トカゲは、それを捕らえた光の檻と共に音もなく消え去った。ルークが私を見下ろして言った。


「クレア。きみはよく本を読んでいたと思うけど、この辺の地理は詳しかったかな」


 私は少し考えて、首を振る。


「いいえ。国内の地図くらいは見ていたけれど、この辺りは辺境でしょう。あまり細かく書いてある本は無かったわ。だから、あなたが結婚式にあの教会を指定した時、私はそれがどこなのかよく分からなかった」


「はは、そうか。なら、伝えておかないといけないな」


 と言って、ルークは私を連れて歩き出した。少し行くと、湖の岸辺に出た。どうやら、この湖は東側がかなりふくらんだ形になっているらしい。ルークの屋敷から臨む時よりも、対岸が遠く見える。


「この湖の向こうに広がる灰色の森。実は、ちょっと厄介な隣人が住んでいる。ちょうど、僕の屋敷から見て北東の方だ」


「厄介な隣人?」


「そう。人から『火トカゲの魔女』と呼ばれている、性悪な婆さんだ」


「火トカゲの魔女……」


 私は対岸に目を凝らす。靄のかかった対岸は、私の優れた視力をもってしても、あまりよく見えなかった。ルークが言った。


「彼女も、僕同様、辺り一帯に幻術をかけている。クレアの目がどれだけよくても、きっと見えないだろうね」


「ええ、靄がかかっていて、よく見えないわ。人間の気配も感じられないし。ねえ、さっきの火トカゲは、彼女が送り込んだものなの? まさか、ルークを狙って?」


 私が心配してルークを見上げると、彼は笑った。


「あの魔女に、この僕に対抗できるほどの強い魔力はないよ。第一、彼女は、僕がここに住んでいるという事実すら知らないさ。そこらの下級魔女ごときに、僕の幻惑術は絶対に破れない。さっきの火トカゲは、単に迷い込んできただけだろう」


 私はほっと息を吐く。


「そう。それなら、良かったわ」


「うん。でもね、あの魔女は、使役の魔術が得意だから、あの一帯に生息する火トカゲや毒ガエルを操って、迷い込んできた人間に害を及ぼすことがある。だからクレア、対岸に行ってはいけないよ。まあ、あちらには何も無いし、行く機会もないと思うけどね。一応、伝えておきたかったんだ。さて、じゃあ、南の結界装置に向かおうか」


 私は頷いた。ルークは「さあて、最後の一つだ、さっさと片付けよう」と言って道を戻り始める。私は、その背を追いながら、暗い灰色の靄に覆われた対岸を見やった。


「灰色の森……陰気なところね」


 対岸の靄は、このうららかな春の陽ざしが届いていないかのように、重苦しく沈黙していた。

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