蜜月
第18話 ささやかな宴
「じゃあ、僕達のこれからに乾杯! これから仲良くやっていこうね、クレア」
ルークが上機嫌でグラスを掲げる。ここは屋敷のダイニングルームで、今はもう夜だ。丸いダイニングテーブルの上には、葡萄酒やオードヴル、鶏の丸焼きなどがずらりと並んでいた。ニコはグラスを持てないので、彼の前にはミルクの入った平たい皿が置かれている。フロガーは、彼専用の小さな陶器のマグカップを手にしていた。グラスを合わせる私とルークを見て、ニコがぶるん、と鼻を鳴らした。
「ご結婚おめでとう、ご主人様、クレア! ボク、クレアが来てくれて嬉しいな。クレアはボクに優しくしてくれるし、毎日、美味しい御飯を作ってくれるんだもん」
そしてニコは、目の前の皿に取り分けられたポテトグラタンをぱくんと食べた。ルークが真面目な顔で頷く。
「僕は驚いたよ。まさか、クレアがこんなに料理上手だったなんてさ! どれもこれも、王城の食事よりもずっと美味しい」
そして彼は、私が焼いた鶏肉を頬張った。ニコが恨めしそうにルークを見る。
「ご主人様だけだった時は、クラッカーと冷たいハムばっかりだったもんね」
「仕方ないだろ。僕は、料理は好きじゃない。第一、そんなことしてる暇があったら、魔術の研究をしたいからね」
ふふん、と胸を張るルークに、ニコが鼻を鳴らす。
「料理だけじゃなくて、掃除も洗濯も嫌いでしょ、ご主人様は」
「ぐっ……いいだろ、別に! 僕は、そういう面倒なことは嫌いなんだよ……って、そういえば、クレアに聞いたけど、お前たち、家の掃除を手伝ったんだって? 驚いたよ、今まで一度も、そんなことしなかったくせに」
フロガーが、小さな陶器のカップに入った葡萄酒をちびちび舐めながら言った。
「そりゃあ、ご主人様じゃあ、片付けた先から散らかすのは目に見えてたからな。俺ぁ、無駄骨折るのは嫌いなんだよ」
ルークが呆れたように肩をすくめる。
「フロガーのは、単なる怠慢だろ? お前、いつもその辺の水たまりで仰向けになって、ゴロゴロしてばかりじゃないか」
「あのなあ。ちっぽけな蛙にだって、思索の時間は必要なんだよ。俺は一見怠けているように見えて、その実、宇宙の深淵や生きる意味について考えてんだよ」
ルークは「あっそ」とそっけなく言って、私に笑顔を向ける。
「とにかく、美味しい御飯を作ってくれてありがとう、クレア。これから毎日、こんなに美味しい御飯が食べられるなんて、僕達は幸せ者だよ」
私は、顔が熱くなる。実家では誰かに料理を振舞うことなんて無かったから、自分の料理が美味しいかどうかなんて、測る指標が無かった。私は、メアリがいない時に自分の分だけ用意して、自分一人で食べていたのだから。
「……ありがとう。そう言ってもらえると、嬉しいわ。その……昼間は凝った料理は作れないのだけれど、夜なら、少しは出来るから」
昼間は、あの
「でもボク、前にクレアが作ってくれた、あの豪快なサンドウィッチも好きだな」
私は苦笑する。数日前、私はふと思いついて、あの鉤爪で丸パンを切り裂き、同じく鉤爪で分厚く裂いたハムとキャベツを挟んで昼食に出してみたのだ。切り口はどれも恐ろしくギザギザだったけれど、二人は喜んで食べてくれた。ハムの好きなフロガーなど、特に大喜びだ。
「……そうね。たまには、包丁を使わない料理も、いいかもね」
「テオだって、包丁使わないよ。たまにボクたちにスクランブルエッグ作ってくれるけど、それと、パンと丸ごとのきゅうりだけだもん、テオが出してくれるご飯は」
フロガーが、葡萄酒をおかわりしつつ、ルークに聞いた。
「なあ、ご主人様。そういえば、テオは今日いないのか?」
「ああ、テオは町にいるよ。ちょっと調べてもらいたいことがあってね。二、三日は帰って来ないな」
「あいつも忙しい奴だな。このところ、ほとんど家にいないじゃねえか」
「仕方ないさ。彼は僕の唯一の助手だからね。色々と、お願いすることがあるんだよ。特に最近は……ちょっと色々あってね」
「フーン。大変なんだな、人間ってのはよ」
「それは蛙もユニコーンも同じだろ? どこの世界だって、みんな必死に生きてるんだからさ」
「そりゃそうだ」
私はルークをちらと見た。彼は憂いを帯びた顔で葡萄酒を飲んでいる。ルークを襲ってきたあの虎に、確かルークは「サイラスの犬」と言っていたが……。サイラスとは一体何者なのだろう。
ひと通り料理を食べ終わっていたニコが、大きなあくびをした。
「ボク、お腹いっぱいで眠たくなっちゃった。もう行っていい?」
「俺も行くかな。ちっとばかり、飲み過ぎちまった」
そう言うフロガーの、茶色い顔が心なしか紅潮している。目がどろんとしていて、いかにも酔っ払いだ。ルークが肩をすくめた。
「フロガーは酒好きだからな。おいニコ、フロガーを家まで乗せて行ってやれ。そうしないとこいつは、また前みたいに、違う蛙の家に帰って強盗扱いされることになるぞ」
「余計な世話だよ、ご主人様。あれはちょっと、運が悪かっただけさ」
そう言いつつも、フロガーはのろのろとニコの背に乗り、二人は「お休み」と言って裏口から出て行った。フロガーの、ガラガラ声で気持ちよく歌う歌声が次第に小さくなる。私は、なんだか幸せな気分で言った。
「このお屋敷では、みんなが仲良しなのね。私嬉しいわ、仲間に入れてもらえて」
「まあね。僕達、争いごとは嫌いなんだ。クレアだってもちろん、大歓迎さ」
家事の嫌いなルークが後片付けを手伝ってくれるとは思ってもいなかったが、彼がやけに張り切って「一緒にやる!」と言い張るので、私達は二人でキッチンに立った。私が洗った食器を、彼は悪戦苦闘しながら拭いている。明らかに、慣れていない手つきだ。私は、今にも落としそうな危なっかしい手つきでワイングラスを拭いているルークに、ハラハラしながら言った。
「あの……ルーク、大丈夫?」
私が、隣に立つ彼を見上げてそう言うと、彼はじっと私を見つめた。何を考えているのか、よく分からない表情だ。なんだか、まるで私の言葉など、聞いていないみたい。
「ルーク?」
「……いい……」
「え?」
「可愛い奥さんと、二人でキッチンに……。僕、ちょっと憧れてたんだよね、こういうの。ちょっとエロい……じゃなかった、仲良しな感じがしてさ!」
そして彼は、ポケットからウキウキと何かを取り出した。タッセルの付いた金色の紐で口が縛られた、小さな麻袋だ。
「なあに、それ?」
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