第13話 魔術師に仕える者たち

 屋敷の角から現れたのは、白い仔馬だった。仔馬は、私を見て目を見開き、驚いたように言った。


「あれっ、誰かいる!」


 今度は私が驚く番だ。この子、今喋ったの? 私がその姿を無言で見つめていると、どこかから別の声がした。子供らしい仔馬の声とは違って、しゃがれた声だ。


「あれって、もしかして、ご主人様の奥方じゃないか?」


「えっ、ご主人様の奥さん? フーン。ボクが思ってたのと、ちょっと違ったな」


 そう言って、仔馬はこちらにトコトコ歩いて来た。華奢な体の白い馬だ。その背に、大きなガマガエルが乗っている。さっきのしゃがれ声は、この蛙だったのか。


「あ、あの……あなた達、一体……」


 私が戸惑って問いかけると、仔馬は、すらりと伸びた首を少し下げて言った。


「ボク、ニコ。ご主人様に仕えている一角獣だよ。で、こっちは同じくご主人様に仕えている、蛙のフロガー」


「一角獣!? 初めて見たわ」


 私は驚いて言った。一角獣は、この国では滅多に見られない。その角に、人類の万病に効く薬効があると信じられていたせいで(そんな効能は無いと最近明らかになったのだが)、乱獲されたせいだ。もう今では、一角獣は、雪に覆われた高山地帯にしか生息していないと聞いたのだが。ニコは言った。


「うん。ボク達、本当は人間の世界とは交わらないんだけど。ご主人様だけは別。ご主人様は、ボクの命の恩人だから」


 見ると、ニコには、本来あるはずの角が無い。根元から折れて無くなっているようだ。私は、その痛々しい傷跡を見て言った。


「あなたのツノ……」


「ボク、その話はしたくない」


「……ごめんなさい。聞かないわ」


 ニコは、注意深く私を見つめながら、前足で地面を引っかいている。私を警戒している様子だ。一角獣は獰猛だと聞いていたけれど、この子はとても臆病な感じがする。まだ子供だからか、人間に対して嫌な思い出があるからか。それとも、私のこの姿のせいかもしれない。ニコの背中でこちらを見ていたフロガーが言った。


「なあ。あんた、ちょいと珍しいだけど。人間か?」


 私は言葉に詰まる。彼らは、私を見つめている。けれど、人間ならきっと私に向けるであろう、恐怖や敵意は、その瞳には浮かんでいない。私は、ため息交じりに言った。


「ええ、一応ね」


「へえ。あんたみたいな人間は初めて見たな」


 フロガーが平然と言った。そののんびりした様子に、なんだか肩の力が抜けてしまう。彼らは私を、「異物」とも「醜い」とも見なしてはいなさそうだった。私は苦笑して頷いた。


「ええ。私みたいな人は、他にいないかもね。でも私も、あなた達に驚いているの。ねえ、どうして、人間の言葉が喋れるの?」


「ご主人様が、ボクに教えてくれたんだよ。ボクの頭は優秀だから、きっと人間の言葉が分かる様になるってね」


「俺ぁ、もともと話せるな。もうずうっと昔から、沼に住んでたもんでね。間抜けな人間達が沼のほとりでペチャクチャ喋ってるのを、じっと聞いてたら覚えちまった。でもな、俺の住んでた沼のほとりでしゃべくってる奴らなんて、大抵が盗賊か流れもんで、ロクな奴はいなかったね。だからご主人様にはいつも、フロガーは口が悪い、って笑われてるな」


 ニコが笑って首を振り向けた。


「フロガーは、王都のスラム近くの干上がった沼で死にかけてるところを、ご主人様に拾われてここに来たんだよね」


「おうよ。俺が人語を理解していることに気づいた人間は、ご主人様が初めてだったな」


「そうなのね」


 私は、彼ら二人の話を微笑ましく聞いていた。ニコもフロガーも、主人である魔術師をとても慕っているのが、その話しぶりから伝わって来る。ニコが、私の足元を見て言った。


「ねえ、ここで何してたの? 草ボーボーの庭だけど」


「ああ、私、ここを少し綺麗にしようと思ったのよ。あなたたちのご主人様が言っていたけど、前は畑があったんでしょう。増えすぎちゃったカモミールを少し整理したら、また畑で何か育てられるかな、と思って」


「奥様は、庭仕事が得意なのか。俺、草は食わねえけど、コオロギは好きだな」


 私はフロガーに『奥様』と呼ばれたことに驚いて、慌てて言う。


「私のことは、奥様ではなくて、クレアでいいわ。自己紹介が遅れて、ごめんなさい」


「クレア? 奥さんは、クレアって言う名前なの?」


「ええ、そうよ、ニコ。宜しくね」


 フロガーが、ニコの背からぴょん、と飛び降りて言った。


「畑になんか植えたら、コオロギもまた来るかな。この匂いのする草のせいで、最近、とんとコオロギを見ねえよ。なんでこんなにワンサカ生えちまったんだろうな、この草」


「カモミールは、生育環境が良いと、こぼれ種でどんどん増えるのよ。虫除けの効能もあるしね」


「へえー。クレアは詳しいんだな」


 小さい頃から、私の世界はあの私室と庭だけだった。私と同世代の女の子が着飾って遊びに行っている晴れた日に、私は一人、庭にいたのだ。私は、苦笑して言った。


「小さな頃から、草花とは仲良しだったから。図鑑も随分、読んでいたわ」


 私がカモミールを抜いて、フロガーがそれをまとめる。ニコは鼻をふんふん動かしながら、その辺をのんびり嗅ぎまわっていた。ある程度作業が進んだところでニコが言った。


「ねえ、朝ご飯食べに行かない? ボク、お腹減っちゃった」

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