第10話 国王の伝令
倉庫のドアノブが、ガチャガチャと力任せに回された。鍵がかかっているので、もちろん開かない。木のドアが、ばんばんと乱暴に叩かれる。私は、ドアに顔を寄せて、ドアの向こうに声をかけた。
「……あの……おはようございます」
「クレア!」
心底ほっとした声で、彼が叫んだ。が、一瞬のち、彼は大声でまくしたてる。
「ねえ、そんなところで、何しているの?! 僕達、あんなに幸せな夜を過ごしたのに、なんで朝起きたら隣にいてくれないのさ! 僕、優しくなかった? 何かきみの嫌なこと、した? まさか僕のこと……嫌いになったの?」
しょげたような声に、私は慌てて否定する。
「いいえ、そんなはず、ないわ! あなたは、その……とても優しくて……私はとても、幸せだった」
昨夜のことを思い出すと、体の芯が熱くなってくる。どうしたらいいのか、分からない。この場から逃げ出したい、誰にも見つからないように。だが彼は、私の言葉を聞くと、再びドアノブをガチャガチャ回し始めた。私は、この古いドアノブが壊れないかと、心配でたまらない。
「なら、いいじゃん! ねえ、どうしてこんな所に隠れているの? 出て来てよ! 一緒に、朝ご飯食べようよ。僕、きみのこと、もっと知りたいんだよ! もっとお喋りしたり、抱き合ったり、キスしたり……とにかく、もっとたくさん、一緒にいたいんだ!」
その言葉に、嘘はない。それは、この人の脈拍や体温や、声の振動で、私にはよく分かる。でも私は、なんと言ったらいいのか、分からなかった。悦びと共に、底知れぬ恐怖が沸き上がる。
こんな風に、私と関わり合いたいと思ってくれた人は人生で初めてだった。気が遠くなるほど嬉しい、だからこそ余計に……会うわけには、いかない。私は、この、生まれて初めて温かな繋がりを持てた大切な人に、嫌われたくない。嫌悪の目で見られたくない。私は、掠れた声を絞り出した、まるで、泣いているような声を。姿と違って、声帯だけは変貌しないことに、心から感謝しながら。
「……ごめんなさい。私……ここから出られないわ……」
「なんで?!」
「……その……恥ずかしい、から」
「えっ?!」
ドアノブの動きが止まった。私の言葉の意図を探っているのが、気配で分かる。私は慎重に、怪しまれないように、泣きそうな声で言った。実際、泣きたい気分ではあったのだけれど。
「昨夜、上手く出来なくて、ごめんなさい……私きっと、変、だったでしょう?」
それは本心だった。私は、何も出来なかったのだから。
「クレア……」
夫は、そう言ったきり、暫く無言になった。そして、深いため息をつく。ドアにゴツン、と何か当たった音がしたのは、恐らく、彼の額だ。彼は、喉の奥から絞り出したような声で囁いた。
「ちょっと待って? なにそれ。きみってさ、もしかして、男を
ずず、と衣服が
「僕、ちょっとこういう、焦らされるのも嫌いじゃないんだよね、実は。デザートは最後に取っておくほうだから。その代わり、最後に死ぬほど堪能したい派で……」
私は尖った耳を鋭く動かした。何か、外から近づいて来る。これは玄関の方だ。何の音だろう。私がこれまで、聞いたことのない音だ。彼が「げっ」と言って体を起こした気配がする。
「メイルバード! なんか用? 僕、今ちょっと忙しいんだけど!」
ぎゃぎゃ、と潰れた声がした。この声帯は、鳥類だ。空気の振動から、ちょうど、オウム位の大きさの鳥に違いない。大きな二つの翼で揚力を得ている気配がする。
「ご主人様、国王陛下より伝言です。大至急、王城にいらっしゃるようにとのこと。大至急、大至急! 本日のご朝食も、王城で取れとのご命令です」
「ええーっ?! もう、なんだよ、デズの奴! 僕が新婚ってこと知らないのか?」
「大至急です!」
オウムらしき鳥は、以降、「大至急!」とのみ繰り返した。彼が叫ぶ。
「ああ、もう、分かったよ! 分かったから黙れって! しょうがないなあ。でもまあ……この前のことがあるからな。確かにちょっと、ヤバいかもしれないな……」
そう言って、暫く沈黙する。思案に沈んでいる気配に、私も、その場でじっとしていた。やがて、「よし」と冷静な声がした。
「クレア。悪いけど、僕、ちょっと出かけなきゃならなくなった。多分……そうだな、四、五日、家を空けると思う。ごめんね、新婚早々だって言うのに」
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