第7話 夜のクレア
私はマントの中で、胸元に置いた両手をぎゅっと握りしめる。その手が少し震えていた。なぜなら、私は、今までの人生で一度も、他人の前に姿を晒したことがないからだ。呼吸を整えつつ、フードの下から、もう一度外に視線を向ける。大丈夫、今は、夜。ほら、三日月も夜空に浮かんでいる。
彼はじっと私を見つめている、まるで私を観察しているかのように。私は観念して、マントの首元のリボンを解き、フードを外した。彼が少し驚いたように目を見張る。
「へえ! きみって、思ってたよりずっと綺麗な顔してる」
私は『綺麗』と言われたことに幾分ほっとして、するするとマントを脱いだ。大丈夫、大丈夫。今の私は、人間の姿なのだから。彼は、私がマントを脱ぎ終わると、小さく口笛を吹いた。
「なんだ。モーガン家の長女クレアと言ったら、余程の変な女だとばかり思っていたんだけど……まさか、こんな絶世の美女だったなんてね。予想が外れたな」
「……ねえ。一つ聞いていいかしら」
「何?」
「あなたは今、モーガン家のクレアは変な女だと思っていた、と言ったわよね? それなのに、なぜあなたは私に求婚して来たの?」
私が彼の目を見つめて問いかけると、彼は足を組み、平然と答えた。
「そのままだよ。僕はきみの噂を聞いていた。『モーガン家の長女クレアは、人間嫌いで屋敷から出たことはない』ってね。だから、僕はきみと結婚しようと思ったんだ。だってさ、人間嫌いなら、当然、僕のことも嫌いになるに違いないだろ? そうしたら、結婚してもすぐに家を出て行く可能性が高いわけだ。だから、きみに結婚を申し込んだ」
「……意味がよく分からないのだけれど」
「つまりさ、僕は、誰とも結婚したくなかったんだ。妻なんて持つと面倒だからね。僕はいちゃいちゃ構われたい女の相手をしているほど暇じゃない。なのに、あのデズが……ああ、ごめん、デズってのは、国王のデズモンドのことだけど。そのデズがさ、どうしても僕に結婚しろってうるさくって。もう五人もお払い箱にしてるってのに、しつこい奴だよ、全く。今度ばかりは、僕が身を固めないと新しい魔法具の開発費用を出してやらないって言い張るから、仕方なく、僕なりに作戦を考えたわけ。つまり、男嫌いの女を探して、その女と結婚すればいいんだってね。デズの言う通り結婚しても、相手が逃げて行っちゃったら、僕のせいにはならないだろ? これなら開発費用ももらえるし、女はいなくなるし、で一石二鳥だと思ったんだ。それで、国中を密かに探してみたら……『人間嫌いのクレア』の噂を聞きつけた、ってわけ」
私はじっとその場で聞いていた。つまりこの人は、私が自分から逃げていくことを望んでいたわけか。別に、何かを期待していたわけじゃない。もとから怪しい縁談ではあったのだから。でも私の胸の中には、とても冷たい風が吹き抜けた。
「そう……」
小声でそう言うのがやっとだった。悲しい気分で、散らかった床をじっと見つめる。なんだか、とても疲れてしまった。
「……でもさ」
人の動いた気配に、ゆるゆると顔を上げる。魔術師が、体を起こして立ち上がった。
「さっき教会で初めてきみに会って、考えが変わった。きみ、なんだかすごくいいから」
私は無言でその顔を見つめる。発言の意図が分からない。魔術師が微笑んだ。
「知ってる? 僕が家に招いた妻は、実はきみが初めてだ、って」
「……どういう意味?」
「そのままだよ。今まで僕は、五回結婚している。だけど、その中で、この家に一緒に帰って来たのは、きみが初めてだってこと」
私が眉をひそめていると、彼は笑って言った。
「あ、信じてないでしょ? でも本当だよ。最初の結婚は、王都の大教会だった。僕はそこで初めての妻を迎え……もう顔も名前も忘れちゃったけど……その人と王都の宿場で一晩過ごして、はいさようなら。だってさ、何を聞いても、なんだか間の抜けた答えばかりで、一緒にいても面白くもなんともなかったんだもん。二番目の人と三番目の人とは、デズのお膳立てで、よく分からない海辺の教会で結婚したけど、やっぱりその辺の宿で一晩過ごして、僕そのまま帰って来ちゃった。この二人は、なんでか知らないけど、僕にぴったりくっついてきて、気味が悪くて。二人とも胸はでかかったけど、それだけだね。それで、四番目と五番目の派手な女達は、きみと同じあの教会で結婚したよ。でも、二人とも退屈そうにしてたから、なんか腹が立って、そのまま追い返しちゃった」
私は無言で彼の結婚遍歴を聞いていた。結婚式の夜に、相手のこれまでの女性関係を赤裸々に聞かされると言うのも、珍しい気がする。私はなんと答えていいのか分からず、やっぱりその場にじっと立っていた。魔術師は言った。
「それに比べると、きみって、なんかちょっと違うんだよね。独特の雰囲気、あるよ。僕、初めてだなあ、こんな風に女の人に興味をかきたてられるのって。きみって、ほんと変わってるね」
そして、突っ立っている私の周りをぐるぐると歩き回りながら、楽しそうに私を見つめてくる。私は思わずため息をついた。
「あの。褒められているのか、けなされているのか、分からないのだけれど」
「やだなあ! 僕、人生で一番、女性のこと褒めているつもりなんだけど!」
「そう。でもなんだか、珍獣でも見るような目つきだわ」
私が首を振って呆れていると、彼は笑って、私の前でぴたりと足を止めた。そして、爽やかに微笑む。
「ねえ。キスしてもいい?」
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