第4話 仮面の魔術師
婚礼は、黄昏の薄闇の中、小さな森の教会で行われた。
この教会のことを、アイリーンは古臭くて陰気、と
「とても素敵な教会ね、お父様」
父と共にヴァージンロードを歩きながらそっと呟く私に、父はうわの空で応えた。
「そうだな……」
父の視線の先に、背の高い人影が見える。そうか、あの人が、私の婚約者か。なるほど確かに、噂は嘘ではないらしい。
まず目を引くのが、その仮面だ。目が細くくりぬかれているが、あとは顔をすっぽり覆い隠しているので、素顔は全く分からない。白地の仮面の、右頬の部分には幾つかの星が散りばめられていて、小さいながらも本物の宝石があしらわれている。左頬の部分は半分黒色で、一面にツタのような文様が黄金で描かれていた。頭にも、豪華な羽飾りのついた緑と黄金の幅広帽子を被っていて、髪の毛一本すら見えない。
体には派手な濃緑色のマントを纏っていて、首元も一面の宝石と羽飾りで覆われている。手には白い手袋をしているし、足には革のブーツを履いているので、この人の肌は、噂通り全く見えない。マントの背の部分には、豪華な紋章が金糸で刺繍されていた。なんだか豪華なような恐ろしいような、胸ざわめかせる出で立ちだ。
「お父様……あの方が、私の?」
「夫となる方だ。……さあ、クレア。お行き」
ヴァージンロードを歩き終えた私の手を、父が名残惜しそうに離した。結婚相手は、体をこちらに向けてはいるが、私を見ているのか見ていないのか、仮面の奥の目は見えない。だが彼は、父に手を離されて戸惑いそうになった私の前に、スッと手を差し出した。私は驚き、ちら、とその顔を見上げる。仮面はこちらを向いている、視線は追えないけれど、きっと仮面の奥の瞳は、私の姿を見ているに違いない。
私はお腹に力を入れて、背筋を伸ばした。そして、差し出された手に、そっと……私の手の固さが伝わらないように細心の注意を払って……手を預ける。祭壇の司祭が、無事に二人並んで立った新郎新婦を見て言った。
「それでは、結婚の誓いを。王宮の最高位魔術師殿。あなたは、クレア・モーガンを妻とし、夫として愛と忠実を尽くすことを誓いますか」
私は内心、ひどく驚く。結婚の誓いの場であるのに、夫の名が明かされないなんて。確かに、この人の本当の名前は、国王陛下しか知らない、と国中で噂されている。それは本当だったのか。
『王宮の最高位魔術師』とやらは、無言で頷いた。はい、の言葉一つない。私は急に、とてつもなく恐ろしくなってきた。この人は、本当に人間だろうか。私が言うのもおかしな話ではあるが、隣に立つのが、正体不明の怪物のような気がしてきた。少なくとも、私は名前も素性も明らかになってはいる、ただ、誰も姿を見たことが無い、というだけで。
司祭は、毎度のことであるのだろう、無言で頷いただけの魔術師に特に異を唱えることもなく、あっさりと頷いて、今度は私の方へと向き直った。どきり、と心臓が大きな音を立てる。そういえば、私だって、全身、それこそ顔まで、分厚いマントで覆った得体の知れない新婦ではあるのだった。だが司祭は、やっぱりそんなことはどうでもいいとばかりに、淡々と決められた台詞を述べた。
「クレア・モーガン。あなたは、王宮の最高位魔術師殿を夫とし、妻として愛と忠実を尽くすことを誓いますか」
「……はい、誓います」
なんだか本当に誓ってしまっていいのか分からないまま、私は頷いた。それに、この小太りで無表情な司祭が『王宮の最高位魔術師殿』と機械的に連呼するので、思わず笑いそうになってしまう。私だったら、とてもそんなにスラスラと言えなそうだ。私の誓いの言葉を聞いた司祭は、これもまた、機械的に結婚の成立を宣言した。
「今ここに、お二人の結婚は認められました。お二人に祝福があらんことを」
少ない参列者から拍手が送られた。私は再びドキリとする。確か、この後、新郎新婦は、共にこの場を後にしなければならない。私は、ちら、とたった今私の夫になったばかりの人を見上げる。どうしよう、腕を組むことになってしまったら。マントの袖から、私の肌が見えてしまったら。だがその心配は無用だった。
魔術師は、先程と同じく、白い手袋をした手をスッと差し出した。この手を取れ、という意味だろうか。私は、恐る恐る、その手に再び手を預ける。やっぱり、ほとんど触れないくらい、慎重に。すると彼は、ほぼ触れていない私の手を、あたかも握っているように見せながら、前に歩き始めた。こうしてみて初めて気づいたのだが、この人の手は思ったよりも大きい。ちょうど私の手がすっぽり隠れているので、きっと、参列者からは違和感なく見えるはず。私は、彼がそれを意図したかは別として、この状況に助けられながら、彼の歩幅に合わせて、参列者の拍手の中、歩いて行く。参列者席の一番前で、アイリーンが退屈そうに拍手をしているのと、蒼白な顔の父が、操り人形のように一生懸命拍手をしているのが視界に移った。私は急に淋しい気持ちになって、胸の前で左手を握りしめる。
(お父様、アイリーン。この先どうなるか分からないけれど。ひとまず……さようなら)
二人揃って礼拝堂を出ると、魔術師は私の手をすぐに離し、教会を出て行こうとする。私がどうしたらいいのか分からずに突っ立っていると、彼がふいに振り返った。そして、私に手招きをする。私は戸惑いながらも、彼のあとについて教会の外に出た。
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