第3話 結婚式

 婚礼会場となる北の教会に着いた頃には、雨はすっかり上がり、辺りは黄昏時のひそやかさに包まれていた。


 教会は、思ったよりもずっとひっそりしていた。私の結婚相手が、妻をすぐ離縁する人間だと知ってのことだろうか、参列者はごくわずかで、それは私にとっては大層好都合だった。


「お父様。参列者は随分少ないみたいね」


 私は花嫁の控室で、父に囁いた。父は頷き、真面目な顔で囁き返す。


「今回の婚礼には、国王陛下はいらっしゃらない。何せもう、お前で六人目の花嫁だからな。お相手は高名な魔術師様であるし、何より国王陛下の最側近だ。初婚の時には王都の大教会で盛大な結婚式が行われたらしいが……すまない、クレア」


 申し訳なさそうな父に、私は首を振った。


「いいえ、私にはこの方がずっといいわ。人目にさらされる危険がないもの」


 父は曖昧に頷いた。父親の立場としては、私を盛大な結婚式で送りたかったのかもしれない。でも私は、婚礼の場が薄暗い森の中の古びた教会であることに、心からほっとしていた。これだったら、万が一何かあっても、すぐに森の中に逃げ込める。昼間の私ならば、教会の屋根を跳び越えて森の葉陰に紛れることくらい、造作もないことだ。


「あなた。クレア。もうそろそろお時間よ」


 継母のアイリーンが、紫色の豪華なドレスを揺らしながら部屋に入って来た。アイリーンは教会につくなり、顔見知りらしい参列者に挨拶に行っていたのだ。メアリがいつも「孔雀の真似した意地悪女」と揶揄やゆしている彼女は、確かに派手だが、意地悪と言う程ではないと思う……ただちょっと、正直者すぎると言うだけで。アイリーンは、それこそ、孔雀の羽に似た豪華な扇を手に言った。


「ねえ、あなた。王都の高名な魔術師様の御式と言う割には、少し粗末にすぎませんこと? 宴のお料理も大したものではなさそうだし、この教会だって古臭くて陰気で、ちっとも美しくありませんわ。まあ魔術師様は、結婚するのもこれで六回目と言うことですし、『女嫌いの稀代の変人』と噂されているのも納得ね」


「アイリーン! 滅多なことを言うもんじゃない、そんな言葉が国王陛下のお耳にでも入ったら……」


「陛下はおみえにならないのでしょう。南に狩りにお出かけと伺ったわ。ああ、わたくしも、出来ればそちらに同行したかったですわ。さぞかし、豪華で楽しい旅なのでしょうね」


 アイリーンは、王城勤めの役人の娘である。彼女には年の離れた役人の夫がいたのだが、若くして死別し、その後、父の後妻として我が家に転がり込んできた。父が国王陛下と懇意にしており、なおかつ、かなり大きな領地を持つ地方領主であったところが彼女の気を引いたらしい。派手好きなアイリーンは、相変わらず全身マント姿の私に、彼女なりの哀れみらしき言葉をかけてくれる。


「クレアさん。お久しぶりね。あなたがこうして、領地のお屋敷の、あの部屋の外にいるなんて、とても信じられないわ。あなたは下二人の妹たちとは違って、人間嫌いで、外との付き合いはほとんどないものね。そんなあなたが結婚だなんて、到底信じられないけれど。まあ、お相手はあの、女嫌いで有名な魔術師様だもの。あなたとお似合いだと思うわよ。どうぞお幸せにね……と言っても、すぐに離縁されて出戻りにならなければ、の話だけれど」


 呆れて天を仰ぐ父の隣で、私は彼女に軽く頭を下げた。


「ありがとう、アイリーン。ええ、私なりに、幸せになるわ」


「それがいいわ。いつまでも未婚の娘が屋敷にいると、母である私の責任と思う方もいらっしゃるから。ああ、それと、わたくしたちの領地の財政に余裕がないことは知っているわね? あなたが離縁されて戻って来ても、あまり援助は出来ないからそのつもりでね」


「アイリーン!」


 父のたしなめる声に肩をすくめ、アイリーンは靴音高く行ってしまった。父が首を振った。


「すまない、クレア。彼女に悪気はないのだが……」


「分かっているわ、お父様。気にしないで」


 私は苦笑する。アイリーンの言葉に嘘はない。メアリは意地悪だと言うけれど、私は別に彼女のことは嫌いじゃなかった。自己愛が強く打算的なので、思考が分かりやすいからだ。父との再婚だって、愛情だとかなんだとかより、経済的な後ろ盾の欲しかった彼女の戦略に違いない。


 部屋を出て行ったアイリーンと入れ違いに、礼服姿の老人が迎えに来た。背の高い、物腰は丁寧だがどこか人を見下した感じのする男性だ。


「お時間です。どうぞこちらへ」


 私の胸がドキリと鳴る。そっと窓の外を見るが、まだ陽は沈み切っていない。私は動揺を悟られぬよう、立ち上がった。私より余程、動揺を顔に出した父が、老人に詰め寄った。


「時間だって? 待ってくれ、婚礼の刻限は、暮れ方のはずだが」


「もう陽は沈みかけています。何か問題でも?」


「いや、その……」


 口ごもる父を助けるように、私は小声で訴えた。


「申し訳ありません、その……わたくしの肌はとても弱く、夕方とはいえ、陽の光は少し刺激が強すぎるもので」


「ああ、そんなことですか。ならば、そのマント姿のままお出でになればいいでしょう」


「マントのままだって? フードもかぶったままでということか?」


 父が驚いて叫んだ。老人はいとも平然と答える。


「ええ、そのお姿のままで結構ですよ。我が主は、身なりなど気にしませんし……むしろ主の方こそ、仮面にマントをお召しにございますから。一般的な婚礼の儀と違い、我が主の婚礼では、誓いのキスも指輪の交換もございませんので、ご心配は無用です」


 私は父と顔を見合わせた。父が呆れたように頭を抱える。


「なるほど、さすがは噂の魔術師様だけはあるということか……」


 だが私は、頭を抱えて嘆く父とは対照的に、晴れ晴れとした気持ちで頷いた。


「分かりました。ならば、わたくしはこのまま参ります」


 私はこうして、初めての結婚式を、森の中の教会で迎えることになったのである。

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