第4話 いつもの景色が違って見える

 父のリトルカブを引き取った時、一番期待したことは「今までとは違う、新しい景色が見えるのではないか」といったものだった。そして、その期待は概ね満たされているように思う。


 時速30キロメートル制限とはいえ、日頃は車という「閉鎖空間」で移動していた場所を、全身むき出しの状態で走る爽快感は格別だった。


 ただ、これまでに執筆した自著の小説の中ではバイクに乗ることを「風になれる」と表現していたが、いざ実際にバイクに乗って走ってみると「風になれる」というよりは「風を切り裂いて走れる」が正しいのではないかとも思った。いずれにせよ、むき出しの身体の周囲を景色が流れていく感覚は、学生時代に通学用でスクーターに乗っていた頃以来、ずっと忘れていたものだと言えた。


 年期の入ったヘルメットのシールドは結構傷だらけだったので、敢えてシールドを開けて走ることもちょくちょくある。特に夜間は光が傷で乱反射して、視界不良になることもあったからだ。


 しかしながら、追加装備の大型ウィンドシールドのおかげで、風が目に当たることもなく、虫が目に飛び込んでくるようなこともない。肉眼で直接見られる夏のビビッドな風景が、とても新鮮だった。


 スピードが遅くていつでもすぐに路肩へバイクを停められるというのも、今まで気づかなかった風景と出会うことに一役買ってくれているように思えた。子供の頃に自転車で通っていたような古い町並みの細い路地なんかにも、結構気軽に入っていける――そういった意味では、懐かしい風景を再確認することが出来たりもして。こういう芸当は原付や小型二輪の特権とも言え、中型以上のバイクではなかなか難しいだろう。


 いずれにせよ、昔はちょくちょく走っていたけれども、車に乗り色々と忙しくなって通る機会が減っていた道を、休日にリトルカブでトコトコ走るのは、思っていた以上に楽しかった。これだけでも、リトルカブを我が家に招いた価値はあったようにも思えたりする。

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