ついてる家

イトイ

ついてる部屋

少し前に移動で部署に来た男から、こんな話を聞いた。

40を少し入ったところで、独身の彼は趣味が釣りだという。

釣りなのか、部屋なのか―正直なところよくわからないというが、こんなことがあったのだと話してくれた。


「この部屋ついてるんですよ」


余り会話が弾んだわけではないが、休日はテニスに行くことが多いといっていた色焼けした男は自分の手首の時計をせわしなく弄りながらそう言った。


「ついてる?」

「この部屋に入ると宝くじが当たったり、そういう良い事が起こるって、そう聞いてましてね。お客さん、運がいいですよ。」


へぇ、そんな事があるんだ、その時はそう思っただけだった。

ついている、の意味を知るのはようやく生活が落ち着いて趣味の釣りに精を出し始めた頃になる。


少し小雨が降る晩、久々に初釣りにしては運が悪いな、と思ったそうだ。

見通しもよくない、薄暗い中、慣れない釣り場でよいとは言えない足場で釣りを始める。

辺りに人はいなかったそうだ。

一人きりで、雨と少しの水の音、それだけ。

釣れなくてもその時間を楽しむだけでいいと、そんな風に思っていた。

それが、次から次へと釣れたのだ。

今まで体験した事のない勢いで、魚が釣れる。あっという間にそれほど大きくないクーラーボックスはいっぱいになったそうだ。

普通なら運が良かったと思うだろうが、彼は少し気味が悪いと思った、と私に言った。


「だって考えても見てくれよ。初めての釣り場だぞ。ポイントだってわかりゃしないのに、そんな釣れる事があるわけないだろう。」


そういう事もあるかもしれないよ、と返すと、酷く苦々しい表情をした。

それが続かなければね、と。

続いたんだ、そう言いながら酷く暗い表情をして、彼は続きを話し出した。


どこの釣り場に出かけても、どんな天気や、どう見ても漁場がよくないような状況でも―釣れたそうだ。

最初はよかった、だがどんどんと、気持ち悪くなった。

釣れるはずのない状況でどんどん釣れる。魚は何かに引き寄せられるように針にひっかかる。

釣りが面白い―そう思えなくなったそうだ。


その日はもう―早々に切り上げた。

クーラーボックスもまだまだ空いているがどうにも気分がのらなかった。

怖くて―、そう怖かったのだと、そう彼は言った。


「異常だと思ったんだ、ついている、って問題でもないだろう?だってその運ってどっから持ってきてるんだよ…ってなってさ、まるでズルズルと何かに引きずり出されているみたいで、ふっと怖くなって。」


次の日が休みだったから少し遠駆けの夜釣りのせいで、戻ったのは3時頃だったそうだ。

魚を処理して、冷凍庫にいれて、明日食べる分は、とそれでもとれたものを無駄にするのは嫌だったから、一通り終えた頃、釣りを止めようと、そう思ったという。

あれだけ好きだったが、今後もこれが続くようなら―怖くて、釣りどころではないと。

釣竿を手入れしてしまおうとしたときに、聞こえたそうだ。


「それだけでいいの?」


耳の間近で、囁くような声が聞こえた。子供のようだったと彼はいった。


「確かにそう聞こえたんだよ。気が付いたらベッドで寝ていて、」


すでに日は高く登っており、釣竿も、何もかも―昨日のままだった。

着の身着のまま、倒れこんだみたいに。


だがあの声が耳にこびりついて、早々に引っ越した、と。

これが転勤で引っ越したばかりなのに、また引っ越した理由なんだよ、と教えてくれた。


「たまに思うんだ、あのままさ、あの部屋にいて、『ついてる』を満喫していたらどうなったんだろう、って」



もう知る由もないんだけど、そう笑う彼は顔こそ笑っていたが、目の奥は、酷く怯えていた。

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