第18話 真白と黒乃

 九十九真白つくもましろは、戦団本部に帰投するなり、軍団長に呼び出しを食らったという事実に対し、ただ怪訝な顔をした。

 通常あり得ないことのように思えたからだ。

 任務は上手くいった。初めての任務だったが、なんの問題も、失敗もなかった。ハイパーソニック小隊の面々が手慣れていたこともあるだろうが、真白たち兄弟も十二分に活躍できたはずだ。

 だれひとり負傷者はおらず、二次災害も起きなかった。

 なんの問題もない。ましてや、軍団長に呼び出される謂われはないはずだった。

 真白の名の通りに真っ白な髪色をした少年である。目は白目がちで、ややきつい印章を与えるかもしれない。灰白色の虹彩は、透き通っていて綺麗だ。身の丈は、十六歳男性の平均よりやや低いくらいか。体つきも細身に見える。

「どうしたんだろ?」

 後ろを歩く九十九黒乃くろのが、当然の疑問を口にした。

 黒乃は、真白と瓜二つの少年である。道理としか言い様がない。

 ふたりは、一卵性双生児なのだ。

 ただ大きく異なる点があり、それは髪の色だった。

 黒乃は光沢も綺麗な黒髪だった。黒目がちな目による印章も大きく異なる。黒檀のような虹彩は、宝石のようだと評判だ。身長体格は、真白とほとんど変わらない。

 ふたりともまったく同じ導衣どういを身につけており、髪色と虹彩の色さえ同じならば、他人に見分けができないのではないかと思えた。

 そんなふたりが向かっているのは、第八軍団の兵舎だ。

 戦務局戦闘部は、全部で十二の軍団にわかれている。それぞれが異なる軍団長の指揮下にあり、それぞれ異なる気風や思想、方針の下で活動している。

 戦団本部の広大な敷地内には、本部施設とは別に戦闘部十二軍団それぞれの兵舎がある。そしてそれら兵舎は、すべて異なる外観をしていた。兵舎の外観には、軍団長の趣味趣向が反映されているといっても過言ではない。

 第八軍団兵舎は、軍団長天空地明日良てんくうじあすらの趣味趣向により、豪奢な宮殿とでもいうような外観をしていた。とても兵舎とは思えないような外見だが、中に入れば、機能性を優先した作りになっているため、安心感すら覚える。

 兵舎内のもっとも奥まったところに軍団長の部屋がある。固く閉じられた黄金の扉は、二人の到着とともに勝手に空いた。

 室内には、第八軍団長にして星将せいしょう・天空地明日良がたったひとりで待ち構えている。いかにも狂暴そうな顔立ちの若い男だ。

 真白たちと同じ種類の導衣を身につけているが、体格がまるで異なるため、まるで別物のようだ。

 そして、強面。真っ青な髪と緑色の瞳が印象に残らないほどの力強さが顔面にあった。

 彼は、なにやら机の上に広げた端末を操作していたようだが、真白たちが入ってくるなり手を止め、作業を中断した。

「どうだった、初任務は。緊張したか?」

 その荒々しい風貌からは想像もつかないほどの優しさが、その声音には感じられる。

「いいえ、おれはそこまでは」

「き、緊張しました」

「ふ、正直でよろしい。きみらの活躍は聞いている。空護くうごたちからの評判も上々だ。しばらくは彼らについて回るといい。そうすれば、きみらもすぐに上に上がれるだろうよ」

 天空地明日良の外見とは裏腹の気遣いには、真白も黒乃も目を丸くするばかりだった。

 第八軍団に配属されて間もないのだ。軍団長のひととなりはまったく知らなかった。もっと人当たりの厳しい人物だと想像していたのだが。

 それから少しばかり任務内容に関して話し込んだ。

 軍団長室を後にした真白と黒乃は、そのことについて話し合いながら本部棟に入り、一階大食堂に向かって歩いていた。

 すると、

「初任務、なんの問題もなかったらしいじゃないか」

「残念残念。また盛大にやらかしてくれるものと期待していたのに」

 これ見よがしに聞こえてきた話し声が、通路を歩く真白たちに向けられたものだということは、すぐにわかった。聞き慣れた声だ。何年も何年も飽きるほどに聞いてきた声。

 もっとも、その記憶の中の声音と、いま現在の声音の間には大きな違いがあるのだが。

 見れば、通路の壁にもたれかかった男女がこちらを見て、嘲笑している。紫の髪の女は、八十八紫やそやむらさき。黄緑色の髪の男は、九尾黄緑くおきみどり

 九十九兄弟と同じく、九月機関くがつきかん出身の導士だ。

「失敗作なら失敗作らしく、惨めったらしく無駄に無意味に生きていればいいのよ」

「そうそう。それがきみらにはお似合いだ」

 そういって、ふたりは冷笑した。そして、言いたいだけ言って去って行く。

 真白は、黒乃が二人と目を合わせることもなく俯いており、震えていたことに気づく。その背中をさすってやりながら、つぶやいた。

「気にするなよ、あいつらのいうことなんて」

「……うん。わかってるよ、兄さん」

 黒乃の震えが収まるまで、時間はそれほどかからなかった。

「なんだってあいつらはああなったんだ」

「わからないよ……全然、わからない」

 黒乃が強く頭を振る。

 彼の頭の中には、いつでも優しく朗らかに笑いかけてきた二人の姿が浮かんでいるに違いなかった。

 真白も同じだ。

 先程悪罵してきた二人からはまったく想像もつかない柔和な笑顔が、真白の脳裏に浮かんでは消えた。



 4月21日の日曜日は、幸多こうたはひとりで過ごすことになった。

 この日は、圭悟けいごが家の用事で練習会に行けないということで、休日を返上した練習会そのものが中止されることになったのだ。

 圭悟がまとめ役だった。

 対抗戦部の部長は、なぜか幸多ということになっているのだが、幸多は、まとめ役ができる人間ではなかったし、無理をしてまで練習会に参加して欲しいといえるはずもなかった。

 ましてや、元より乗り気ではない亨梧きょうご怜治れいじをこき使えるのは、圭悟くらいのものだ。いくらなんでも幸多には圭悟の真似は出来ない。

 だから、今日は一人で鍛錬でもしようと考えていたのだが、そうはならなかった。

 玄関から呼び出し音がして、そそくさと扉を開けると、黒木法子くろきほうこが立っていた。

 幸多が思わずのけぞったのは、当然の反応だろう

 法子は、その反応に納得が行かないような表情だったが。

 

 法子が幸多の家を訪ねてきたのは、幸多が暇を持て余していそうだったからだ、という。

 そして、自分も暇を持て余しているから、暇潰しのために練習に誘ってくれるというのだ。

 法子は、現実世界での法器乗りの練習をするべきではないか、と、提案した。幸多もその提案には賛成だった。

 現実と幻想空間における差違というのは、実感としてはほとんどない。あったとすれば、設定が甘かったり、調整が間違っていたり、あるいは幻想体げんそうたいに手を加えているような場合だけだ。それ以外では、差違を実感することなど出来まい。

 それくらい、幻創機げんそうきが作り出す幻想空間と現実世界の境界は曖昧であり、幻想体の感覚というのは実際の肉体の感覚と差がなかった。神経接続技術の賜物というべきか。

 難点があるとすれば、あまりにも現実との差違がないというところだろう。

 そして、幻想空間での練習会では、痛覚を遮断しているという点も、現実との大きな差違となる。

 幻想体がどれだけ傷つこうとも、骨が折れるほどの打撃を食らおうとも、頭から真っ二つに断ち割られようとも、痛みを負うことがない。そのように設定しているのだから当然だし、そうしなければ、優秀すぎる神経接続によって脳が死を誤認する可能性がある。

 とはいえ、幻想訓練においては、痛覚をある程度抑えておかなければならないのも道理だ。

 故にこそ、法子は幸多を空中散歩に誘ってくれたのだろう。

 幸多はいま、法子とともに法器に跨がり、蒼空を駆け抜けている。幻想空間の空よりも遥かに低いが、それでも落下すればただでは済むまい。

 常人ならば、だが。

 幸多は、相変わらずの横座りで法器に乗っている法子の楽しげな横顔を見つめながら、ふと湧いた疑問を口にした。

「なんで、ここまでしてくれるんですか?」

「……きみに感謝しているからだよ」

 想像だにしていない言葉が返ってきたものだから、幸多は、一瞬混乱した。しかし、まっすぐにこちらを見つめる真紅の瞳を見れば、そんな混乱も収まろうというものだ。

曽根伸也そねしんやを知っているだろう。きみに喧嘩をふっかけた時代遅れの差別主義者だ」

「はい」

 曽根伸也の暴力的な笑みが脳裏を過る。あの一連の出来事を喧嘩で済ませていいものかどうか。暴力沙汰というべきであろうが、法子がそこまで知っているとは思えなかった。

「曽根伸也は一年先輩だが、小学校以来の付き合いでね。その頃はまだ良かった。曽根家の嫡男であることを誇りとし、親の威を借るだけのありふれた愚者だったからな。可愛いものだった」

 法子は、どうやら曽根伸也のひととなりをよく知っているようだった。幸多には知らないことだったし、知ろうともしなかったことだ。知る必要性を感じなかった。

「だが、彼は中学時代から変わってしまった。悪い方向にな。見るもの全てを悪罵し、触れるもの全てを傷つける、そんな厄介者に成り果ててしまったのだ。理由は知らないし、知りたいとも思わん。心底どうでもいい」

 飛行高度を下げながら、法子が告げる。淡々と、ただの事実を羅列するように。

「しかし、だ。わたしはともかく、我孫子雷智あびこらいちまでも面罵し、愚弄する彼の在り様は、到底認められるものではなかった。わたしは何度となく警告したのだが、彼は聞き入れず、増長する一方だった。彼には、曽根家の威光があり、財団の力がある。そのせいでだれもが彼を野放しにしていた」

 増長するのも無理のないことだ、と、彼女は言外にいった。

 確かに、だれもが彼の在り様を放置していたようだった。教師たちでさえ持て余しており、扱いかねている様子だったのだ。曽根家の威光は、天燎高校ならば効果覿面てきめんだったはずだ。だからこそ、教師たちもなにもいえず、諦めるしかなかったのだ。

 そういう意味では、教師たちにも同情する。

「だから、きみが曽根伸也を打ちのめしたという話を聞いたときには、我孫子雷智と一緒に跳ね回って喜んだものだよ」

「そこまでですか」

「そうとも。それほどまでに曽根伸也は悪さを働き過ぎた。だれもが彼を忌み嫌い、拒絶していた。面と向かってはなにも言えなくともな。だから、きみの勝利を喜んだのは、わたしだけではないのだよ。彼に苦しめられていた多くの生徒たちが、同じように喜んだはずだ」

「……あれ、でも、曽根伸也の事件ってもみ消されたんじゃ」

「ああ、そうだな。しかし、事件をもみ消し、箝口令を敷いたところで、すべての人間の口を封じることはできまい。その一部始終を見届けただれかが、あるいはその事実を知っただれかが、ネットワーク上に書き込むことなど、造作もないのだ」

「なるほど」

 そして、そうしてネットワーク上に刻まれた情報は、いかに天燎財団といえども、消せるものではない。

 天燎財団は、確かにいまや飛ぶ鳥を落とす勢いだが、央都を支配しているのは戦団である。どれだけ財力が有り、権勢を誇ろうとも、戦団に敵うわけがなかった。 

「あれ以来曽根伸也が登校してこないのは、きみにコテンパンにやられたからだろうな。彼は歪に肥大した自尊心の持ち主だった。その自尊心を打ち砕かれたのだ。しばらくはだれにも顔を見せたくないはずだ」

「なるほど、道理で全然登校してこないんですね」

「まあ、そのうちあの憎悪の塊のような面をぶら下げてやってくるだろうが」

「随分と辛辣ですね」

 それだけ辛酸を舐めさせられたのだろうし、困っていた相手なのは想像に難くないのだが。

「これで辛辣と感じるきみには、本音を吐き出さなくてよかったな」

 そんな恐ろしげなことを言って微笑してくる法子こそ、悪魔的なのではないかと思った幸多だった。

 もっとも、法子の悪魔的な魅力は、良い意味でのそれであり、幸多は彼女のことをますます好きになっていた。

 尊敬する先輩として、だ。

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