第19話 半世紀
「昨年、
ここのところ、対抗戦の練習に熱中するあまり、寝不足気味だった。
特に
幸多の感覚も肉体も、常人を越えるものだと評判だ。それは体力測定の結果でも判明していることだ。幸多ほどの身体能力を持った学生は、いない。
事実、ただの身体能力ならば、幸多は法子に負けていない。いや、大きく勝っているといっていい。
魔法を使わない競走ならば、幸多は一度も負けなかった。
だれにも負けなかった。
昔から身体能力だけには自信があったし、その自信は、素の状態の法子と
とはいえ、幻闘は、魔法競技だ。魔法を使わない前提での結果になんの意味も価値もない。
法子の全力全開の魔法戦闘についていけないようでは、乱戦となるだろう本番の幻闘で生き残ることもできまい。
幸い、幸多は、
もっとも、統魔が訓練相手になっていたのは、小学校高学年の短い期間だけだ。中学生になってからは、母が幸多の訓練相手となった。
幸多の母、
そんな奏恵の教えに従いながら、幸多は、日夜、法子との練習に明け暮れていた。
そのおかげもあって法子の速度についていけるようになってきたのだが、同時に睡眠不足に陥りつつあるのだから痛し痒しというべきか、どうか。
幸多は、眠い目を擦りながら、教師がつぎつぎと切り替えていく
「――このように地上奪還作戦において流れた血が、失われた命が、いまのこの世の礎になっていることはいうまでもありません。過去の大いなる犠牲があればこそ、わたしたちは平和を謳歌し、未来に向かって邁進していけるのです」
央都の黎明を振り返るような歴史の授業は、星奈によってそう締められた。
なぜこの時期にそのような話をしたのかについては、幸多の寝惚けた頭にも想像がついた。
もう五月である。
「平和を謳歌っていうけどよぉ、この央都に平和なんてあんのか。どこもかしこも
「こうやってあーでもないこーでもないっていってられるのは、案外平和だからだと思うけど。そりゃ、完全無欠の平和とは程遠いけどさ」
昼休みのことだった。
学生でごった返す学生食堂の片隅に陣取るようにして、幸多たちはいる。いつもの五人だ。
それぞれ好き勝手に注文し、好きなようにお昼を食べ、その後の余った時間を過ごしていた。
幸多は、テーブルに突っ伏している。疲れが溜まっていた。
突っ伏したまま、圭悟と蘭の話のことを考えている。
二人の言い分は、どちらも正しいものだ。
実際、平和とは程遠い日常の中を央都市民は生きている。
幻魔災害は、様々な被害をもたらすだけでなく、ときには人命を奪う。そんなものが日常的に発生しているのだから、平和と呼ぶのは難しいだろう。
しかし、一方で、これでもまだまだ安全で平穏なほうなのだという考え方もできるし、一理あるのが現実だった。
現実問題として、央都以上に安全な場所はこの地上にはどこにもない。
央都は戦団の庇護下にあり、常に監視の目が光っている。
戦団は、幻魔災害の発生を瞬時に察知し、現場に小隊を急行させることができるように体制を整えているのだ。
たとえそれが真夜中であろうとも、戦団の導士たちは、文句をいうこともなければ不満を漏らすこともなく、幻魔討伐に当たる。
それが彼らの役割であり、仕事だから、というのは簡単だが。
導士を家族に持つ幸多には、なんとなく、戦団には戦団の、導士には導士の苦労があるのだろうと思えていたし、だからこそ、戦団とその組織に所属する導士たちに感謝していた。
この仮初めの平穏とも呼ばれる日常が維持できているのは、すべて、戦団という戦闘集団のおかげなのだ。
それだけは、だれにも否定できない。
幸多がそう結論づけていると、靴音が聞こえた。学食内にはたくさんの学生がいて、数多の靴音が喧噪の中に紛れている。それなのに、その靴音は妙に主張が強かった。
少し頭を横に倒してみれば、すぐ後ろまで歩み寄ってきていた黒木法子と目が合った。
「なんだ、起きていたのか。せっかく脅かしてあげようとしたのに、残念な」
「なにがですか」
「ところで」
「なんでしょう」
幸多は、もはや法子の傍若無人ぶりにはなれていたし、言いたいことを言った挙げ句黙殺してきたとしても、たじろぐこともなかった。
法子も、テーブルに突っ伏したままの幸多をそのままに話を進めていく。この数週間で、互いに互いの扱い方がわかってきたといってもいいのかもしれない。
「五月といえば
法子からの予期せぬ質問に幸多たちは顔を見合わせた。法子の質問の意図が読めない。
「先輩、もしかして暇なんです?」
「きみはわたしをなんだと思っているのだ。わたしほど多忙な人間はこの世にはいないよ。当然、英霊祭当日も予定で一杯だ」
「
「そうだが?」
なにが疑問なのか、とでもいわんばかりの法子の反応は、いつも通りの自信に満ち溢れている。
「なるほど」
「なにを納得したのかは敢えて聞かないが、君たちは、まさか、英霊祭の最中も対抗戦の練習をするというつもりではないだろうな?」
法子が、怪訝な顔で一同を見遣る。
それを心配してくれたのかと、幸多は、法子の配慮になんともいえない温かみのようなものを感じた。
四月一杯を練習漬けで過ごしてきたということが、法子の心配に繋がったのは想像に難くない。法子がそのようなことまで考えてくれるというのは想像できなかったことではあるが。
幸多は、圭悟に視線を向けた。幸多が顔を向けた方向に、彼の席はある。圭悟は頭の後ろで腕組みしており、少しばかり考えてから、口を開く。
「そんなこと、あるわけないじゃないっすか」
まったく心の籠もっていない言葉は、彼が英霊祭も練習漬けにするつもりだったことを示しており、幸多たちは顔を見合わせ、一斉に圭悟を睨み付けたのだった。
英霊祭。
央都最大の祭事である。
毎年、5月14日に行われるその行事は、戦団にとっても、央都市民にとっても、極めて重要で重大な意味を持っている。
星奈の言っていた古い言い方をすれば、およそ半世紀の昔、
そこから、すべてが始まったといっていい。
地上奪還部隊は、人類復興隊と名を改め、活動を開始。
幻魔の世界に変わり果てた地上を人類の手に取り戻すため、人類を復興させるために動き出したのだ。
さらに戦団と名を変えたのは、人類復興に必要なのは、戦う力であり、戦う組織だと認識を改めざるを得なかったからだとされている。
地上奪還作戦以来、戦団は数え切れないほどの血を流し、それこそ無数の犠牲を払い続けてきた。
いまもなお、どこかの戦場で、幻魔との戦いによって命を落とす導士がいて、そうした犠牲のおかげでこの仮初めの平和が成立しているのだ。
そのように数多と散っていった
その日の練習後、幸多は、まっすぐ家に帰った。
いつもなら部活後は、部員たちでどこかの飲食店に寄って、取るに足らない世間話や、蘭による情報収集結果の披露などがあるのだが、今日は酷く疲れていた。
ここのところ、練習に力を入れすぎているせいなのは、わかりきっている。
今日は、朝から気怠かった。
といって、魔法による治療行為を受けられるものではない。
これが常人ならば、魔法士でなくとも、ただの魔法不能者ならば、魔法医療の恩恵を受けることだってできるのかもしれないのだが。
幸多は、そうではなかった。
完全不能者なのだから、仕方のないことだった。
骨が折れるほどの大怪我をしても、魔法は容易く完治させた。
どんな肉体的、精神的な病も、発達した魔法医療は瞬く間に治してしまった。
魔法が神の御業の如く賞賛されたのは、あらゆる病を根絶していったからでもあるのだ。
人類が病を克服し、極めて健康的な肉体を手に入れたことによって、寿命が大幅に伸びたといわれている。若さを保ち続けられるようになった、とも。
幸多は、どうか。
この途方もない疲労感は、魔法の恩恵を受けられないからなのか、それとも、まったく別の理由があるからなのか。
幸多には、まったく判別できない。
(頭も回っていないし……って、ん?)
ふと見ると、携帯端末が通知を報せるために点滅していた。立ち上げてみれば、ヒトコトへの通知であり、統魔からの伝言だということがわかる。
「英霊祭で会おう……って、なにかっこつけてんだ、あいつ」
統魔からの伝言を読み上げて、幸多は笑うほかなかった。
なんだか張り詰めていたものが解れていくような気の抜け方だった。
幸多は統魔に伝言を返すと、そのまま眠りについた。
夢を見たはずだ。
戦団の導士として、小隊長として幻魔の群れと戦う夢だった。
けれどもその夢は、翌朝には忘れてしまっていた。
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