第15話 伊佐那義一

 現実と幻想の境界が曖昧になる症状を、幻想症候群と呼ぶ。

 戦団せんだんにおいて、幻想訓練は日課のようなものであり、任務がなければ一日中幻想空間に入り浸っている導士どうしもいる。

 導士にとって、訓練もまた、重要な仕事なのだ。

 みずからを鍛え、技を磨き、術を研ぐ。

 それこそ、戦団が戦団たりうるために必要な行いだ。

 その結果、幻想症候群にかかってしまうものも稀にいるらしい。

「日々の鍛錬と研鑽こそが、折れぬ杖を作る一番の近道――」

 戦団本部敷地内にある総合訓練所にて、皆代統魔みなしろとうま率いる皆代小隊の面々が集まっていた。

 今日は、皆代小隊は非番の日だった。休日である。当然、自由に行動して良かったし、遊びに行っても、どんなことをしていてもいい日なのだ。

 しかし、小隊全員が訓練所に集まっていた。これは示し合わせたことではなく、偶然だった。

 訓練所は、それ自体が広い施設だ。

 葦原市中津区の中心近くに位置する戦団本部、その広々とした敷地内の一角に作られている。とはいえ、この広い訓練所内で魔法をぶつけ合うわけではない。そんなことをすればせっかく作った建物が瞬く間に崩壊してしまうだろう。

 どれだけ頑丈に作られていても、強力な魔法の衝突には耐えられない。

 魔法士の訓練といえば、幻想空間上で行うのが昔からの常識であり、鉄則だ。

 対象の傷を癒やす魔法や、飛行魔法などの移動に関連する魔法、身体能力を強化する魔法などの補型ほけい魔法ならば、どこで使用し、訓練しても大きな問題にはならない。

 しかし、対象を攻撃するための魔法、攻型こうけい魔法の類となれば話は別だ。

 たとえ、訓練に他者を付き合わさせず、ただひとりで魔法を使うのだとしても、周囲に被害が及びかねないのが攻型魔法なのだ。

 かつて、人類は地上のほとんどを領土とし、地上の支配者として君臨していたが、その時代ですら魔法の訓練は仮想空間で行うべきだという論調があった。

 魔法の黎明においては仮想空間における魔法訓練などできなかったといい、そのために広大な敷地を訓練のために確保しなければならなかった。でなければ、安易に放った魔法が予期せぬ災害を巻き起こしかねないからだ。

 魔法とは、それほどまでに強力で凶悪なのだ。

 だから、戦団の訓練所には、最新鋭の幻想空間創造機構・神影しんえいが取り揃えられており、それらを用いた魔法の訓練を行う導士たちで盛況なのだ。

 神影は、戦団技術局が開発した最新鋭の幻創機げんそうきである。その設定は、市販の幻創機である電影でんえい雷影らいえいよりも事細かく調整可能であり、また、同時により多くの人数で訓練することができた。

 あらゆる面で高性能なのだ。

 そのため、設定や調整を行う技術者が必要であり、神影を活用した訓練には、技術局の技師が立ち合った。

 当然、統魔たちの訓練も技術局の技師が調整してくれた幻想空間で行われてきた。

 そして現在、統魔たちは訓練所の片隅にある休憩所に集まり、疲れた精神を癒やしていた。

 休憩所には様々な飲食物を取り扱う自動販売機が並んでおり、四人はそれぞれ好みの飲み物、あるいは食べ物を買っていた。

伊佐那美咲いざなみさきの名言だな」

 統魔は、糖分たっぷりのカフェオレで喉を潤した。

 幻想空間で行う訓練、いわゆる幻想訓練は、身体への負担はほとんどない。消耗するのは魔力であり、精神である。さらに頭を使うためか、訓練を終えるといつも糖分を欲した。

「さすがは隊長、よく御存知で」

「それくらいはだれでも知ってるだろ。なあ?」

「え、ああ、まあ、有名だよね」

「たかみー、本気でいってる?」

 新野辺香織しのべかおりは、疑いのまなざしを長椅子の隣に腰掛けている高御座剣たかみくらつるぎに向ける。香織はミルクティーを、剣は紅茶を飲んでおり、六甲枝連ろっこうしれんは焼きそばに食らいついていた。濃厚なソースの匂いが立ち込めている。

「本気だけど」

「ふーん、あっそー、そうやって隊長の機嫌取るんだあ、へー」

「なんでそうなるのかな」

 香織にいじられてふて腐れる剣、という構図は、星央魔導院せいおうまどういん時代からなんら変わらなかった。それはふたりの相性の良さ、仲の良さを示すものだ、と、統魔は微笑ましく思っている。

 そしてそれはどうやら、統魔たちにとっての共通認識であるらしい。

「相変わらずおふたりは仲良しですね」

 そういって休憩室に姿を見せた上庄字かみしょうあざなもまた、剣と香織のやり取りを微笑ましく思っているようだった。

「そだよー、わたしってば、たかみーがいなかったら寂しくて寂しくて、夜もよく眠れちゃうの」

「眠れるんじゃないっすか」

「そうだよ。おかげでお肌もつるつる。触ってみる?」

「え、遠慮しときます」

「なんでよお、けちー」

 などと頬を膨らませながら、香織は、剣の頭に顎を乗せて見せた。距離感の近さもまた、昔からだ。最初からだったかもしれない。

 統魔は、そんな二人から字に視線を移した。字は、自販機で飲み物を購入している。

「で、どうだった?」

 統魔が尋ねたのは、字が彼の隣に腰を落ち着けてからのことだ。

「情報局に問い合わせてもどうしようもなかったので、局長に直接聞いてみたのですが、現在調査中との一点張りで……」

「そうか。だろうな」

「なにか、気になることでも?」

「少しな……」

 統魔は、字の疑問に対し、明確な回答を返せなかった。

 いまこうして皆代小隊が訓練所に揃っているのは偶然だが、字にだけは統魔から頼み事をしていたのだ。

 それは、数日前、特定壱号が襲ったのだろう市民に関する情報について、だ。

 特別指定幻魔壱号、通称ダークセラフ。

 その出現後、出現地点周辺に幻魔災害が発生することの関連性が取り沙汰されるようになったのは、十年近く前のことだ。

 ダークセラフの出現と幻魔災害の発生に関係性があり、ダークセラフが出現した以上、必ずや幻魔災害が発生すると断定されたのは、数年前。

 それから、ダークセラフの出現が確認されれば、待機中の小隊を総動員し、出現地点周辺に派遣されるようになった。

 もちろん、ダークセラフそのものを捕捉し、撃滅するための動員も行われている。が、ダークセラフは鬼級幻魔であり、生半可な戦力では相手にならない。そして、ダークセラフは、出現後、すぐに消失してしまう。

 魔法による空間転移かなにかで移動しているのだろう。

 故に、戦団はダークセラフそのものよりも、その後発生する幻魔災害への対処に全力を上げてきた。

 そのおかげで、幻魔災害の被害は最小限に抑えられているのだ。

 とはいえ、幻魔災害が発生するということは、死亡者がいるという可能性が高い、ということでもある。

 ダークセラフは、どうやら、人間を食い殺し、その死によって生じる魔力から幻魔を生み出す能力を持っているものと考えられている。

 ダークセラフの出現と幻魔災害の発生の関連性を考えれば、そういう考えに至るのは、当然のことだった。

 央都全土には、無数の監視カメラが常にその目を輝かせている。魔法犯罪の抑止のためであり、幻魔災害の発生を捉えるためであり、それらを含むあらゆる事件事故の被害を最小限に抑えるためだ。

 それら監視カメラが捉えたダークセラフ出現直後の映像というのは、おぞましいものだった。人間を取り込むようにして食い殺し、姿を消す。

 すると、付近に幻魔が出現しているのだ。

 幻魔は、人間の死を苗床とする。

 人間の死によって発生する莫大な魔力が、幻魔の卵となり、新たな命となるのだ。

 だが、そうして誕生した幻魔と、元になった人間には連続性はない。

 幻魔の人格や性質は、人間とはなんら関わりのないものだ。

 が、関連するものも、ある。

(イフリート……か)

 統魔が字に調べてもらったのは、あの日、特定壱号によって誕生したのだろう幻魔のことだった。妖級下位イフリート。

 炎の魔人とも呼ばれるそれは、なぜか出現地点で暴れるのではなく、天燎高校に襲いかかった。そして、ほかの人間には目もくれず、幸多こうたに狙いを定めていた、と、幸多はいっていた。

 そのことがどうにも引っかかった。

 通常、考えられないことだ。

 幻魔が人間を襲う理由は、人間の魔力を取り込むためのはずだ。人間を殺し、膨大な魔力を発生させ、それを取り込むことによってみずからの力とする。

 それが幻魔の行動原理である。

 幸多は、魔力を持たない。そんなことは、幻魔ならば一目でわかるはずだ。魔力の源たる魔素を生産できないのだから。

 幸多には、一切の魔素がない。

 そんな生物が存在するのか、という疑問も湧くが、事実なのだから認める以外にはない。

 魔法史が始まって以来初となる完全無能者が、幸多だった。

 央都で唯一、いやおそらく世界で唯一の存在だろう。

 そんな幸多が、魔力を欲する幻魔に狙われることなどあろうはずもなかった。余程幸多が邪魔に感じたならばまだしも、そうでない以上、標的にされるわけがない。

 なんらかの意図を感じる。

 だが、だとすれば、どういう意図があるというのか。

 そうして考えついたのが、イフリートの苗床となったであろう犠牲者のことだ。

 幻魔と人間に連続性はない。だが、死によって生じた魔力から誕生する幻魔は、その人間の記憶に強い影響を受けているということが、長年の研究の結果判明している。

 イフリートの元となった人物は、幸多となにかしらの関係があったのではないか。だからこそ、幸多の元へ赴き、彼を襲った。

 それならば、理屈に合う。

 そうでなければ、まったく理屈に合わない。

「なーに考え込んでんですか、隊長」

 右頬にひんやりとした感触があって、統魔はそちらを見た。香織がミルクティーのボトルを触れさせていた。

 彼女が手にしているボトルにせよ、統魔の手の内にあるボトルにせよ、すべて特殊合成樹脂製であり、再利用を前提として作られたものだ。資源は有限であり、故にすべてのものは再利用を前提にするべきだ、というのが、この社会の考えであり、社会全体で取り組んでいることだった。

 導士が用いる導衣どうい法機ほうきも、再利用可能素材で作られている。

「こっちのことだよ」

「まーた隠し事?」

「いっても仕方がないだろ」

「ひどーい、あざりん、どう思う?」

「隊長の言い分が正しいと思います」

「あざりんってばいつも隊長の肩を持つ-」

「そりゃそうだろ」

「どういうことかしら、ろっこーくん」

「くんとはなんだ、くんとは。先輩だぞ」

「先輩風吹かせても無駄でーす、隊長バリア-」

「なんだそれは」

 統魔は、香織の盾にされながら苦笑を漏らした。カフェオレを飲み干し、ボトルをゴミ箱に投げ入れる。それから立ち上がると、香織が背後で態勢を崩した。

「バリアに反抗されるとは……」

 香織の妄言を聞き流しつつ、休憩所を出ると、広い訓練所の全体像が垣間見えた。

 ここは、訓練所の総合玄関口である。幻想訓練を行う場合は、ここの受付で申請し、指定された個室に向かう必要がある。申請すれば、目的や人数に応じた個室に案内されるのだ。

 統魔たちは、さっきまで小隊用の個室で訓練を行っていた。個室内でも休憩は可能だが、飲食がしたいなら出るしかなかった。

「ところで、先程から気になっていたのですが、あの人集りはいったい?」

 などと、字が指し示した方向には、確かに人集りが出来ていた。玄関口の一角、受付窓口の少し離れたところに若い導士たち集まっている。

 ただし、その中心にいる人物とは、一定の距離を取っていることが統魔にはわかっていた。休憩所に入る前に見たからだ。

「伊佐那義一ぎいちだよ」

「そうなのよ、いざなっちったら、隊長の人気を根こそぎ奪いやがってさー」

「ああ、なるほど。そういうことでしたか」

 字は、香織の妄言を聞き流しながら、腑に落ちたといった顔をした。

 人集りの中心にいる人物は、戦団の中でも指折りの有名人だ。

 統魔より一年先輩、つまり字や香織と同期である。結構な活躍を記録しており、統魔と同等、あるいはそれ以上に取り上げられている導士である。

 伊佐那義一。

 その名の通り、伊佐那家の人間だ。伊佐那家は、戦団副総長・伊佐那麒麟きりんを当主とする、名門中の名門である。

 その歴史は古く、魔法時代の黎明まで遡ることが出来るのだ。

 そして、その始祖こそ、香織が発した名言を残した人物、伊佐那美咲である。

 伊佐那美咲の血を引くということもあり、現存する名門と呼ばれる家柄の中でももっとも有名な家系であり、血筋といってよかった。

 あの伊佐那美由理みゆりも伊佐那家の一員だ。

 もっとも、伊佐那麒麟の実子はひとりもおらず、美由理も義一も養子なのだが。

 そんな義一に人集りが出来るのは、伊佐那家の次期当主候補筆頭である彼にお近づきになりたいと考えるものが少なからずいるからだろう。

 伊佐那家は、戦団のみならず、この央都における権力者といっても過言ではない。

 不意に人集りが左右に割れ、中にいた少年がこちらに向かって歩いてきた。

 長めの黒髪と青ざめたような白い肌、そして世にも珍しい金色の瞳が特徴的な彼は、だれもが美少年と褒めそやす容貌の持ち主だった。

 そして、穏やかな表情で話しかけてくる。

「やあ、皆代くん。きみの小隊はいつも元気そうで羨ましい限りです」

「うるさいだけだが」

「それがいいんじゃないですか」

「だったらいざなっちも入りなよ、うちの小隊。ね、隊長」

「ああ、あんたがいいなら」

 統魔が香織の発言に乗っかると、義一は多少驚いた顔をした。

「それは……遠慮しておくよ」

 彼は、丁重かつ明確に拒絶の意志を見せると、踵を返し、受付に歩いて行った。

 その立ち居振る舞いには、力強い意志を感じる。なにものをも寄せ付けない圧力が、彼の周囲には渦巻いている。

 一見柔和で穏やかに見えるが、他人に対し、一切心を開くまいという決然たる意志を感じざるを得なかった。

 それはまるで、昔の自分を見ているようで、統魔は、なんとも懐かしくも不思議な感覚に陥ったのだった。



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