第12話 予期せぬ事態

幻魔げんまがなぜ人間を襲うのか、については皆さんも既に知っているでしょう」

 午後の授業は、幻魔に関してのものだった。

 小沢星奈おざわせいなは、手元の端末を操作して、教室前方の壁一面を覆うように投影された映像体・幻板げんばんに表示される情報を制御する。

 授業は、端末を用いて行う。

 生徒側も、そうだ。

 人類生存圏において資源には限りがあるため、安易に紙を用いることは基本的にあり得なかった。書籍すらほとんどすべてが電子化しており、紙の出版物など存在しないといっていい。

 教室内に並んだ机はすべて特殊合成樹脂製であり、生徒たちが扱う端末を構成する素材の大半も同様だ。

 それら生徒たちが用いている端末は、個人用万能端末と呼ばれる。極めて高性能なパーソナルコンピュータではあるのだが、個人が日常的に利用する程度の機能ならば多目的携帯端末で代用できるということもあって、一般的には普及していないといっていい。

 端末が出力する映像や情報はすべて、空中に投影される幻板の中に描画されており、端末そのものは大きくなく、場所を取らなかった。携帯端末とは違ってキーボードが付属しているため、操作には慣れが必要である。その点も、普及していない一因の一つかもしれない。

 一方、携帯端末は、万能端末以上に場所を取らず、操作も簡単だ。央都市民の誰もが当たり前のように持っているのもうなずけるというものだろう。

「長年の研究の末、幻魔は、魔力を摂取することによって活力を得ていることが判明しました。魔力と言うよりは、魔素まそ――エーテルですね。しかし魔力は純度の高いエーテルですから、魔力を摂取するほうが効率がよく、また、美味である、と幻魔が感じているのではないかというのが定説です」

 生徒たちは、小沢星奈の話を聞きながら、幻板に映し出される情報を目で追い続ける。

 幻魔の生態について、だ。

「幻魔が人間を襲うのは、人間を殺害することによって莫大な魔力が得られることを認識し、理解しているからです。ほかの動物や植物から得られない、高純度高密度の魔力が、人間の死によって得られる。それが幻魔が人間を襲う最大の理由」

 それは、幸多こうたが幻魔に襲われない理由でもある。

 幸多には、常人とは違って、幻魔の餌となる魔力の素となる魔素がないからだ。

「遠い昔、それこそ二百年以上も前のこと。万物に宿る魔素が発見されました。魔素はエーテルとも呼ばれ、エーテルを、魔素を魔力へと練成する手段が確立されました。魔力は魔法の発明を促し、魔法は、人類に新たな時代の到来を告げたのです。それが魔法時代の始まりであり、幻魔が出現することになったきっかけともいわれています」

 魔素は万物に宿る、と、教師は言った。それが定説であり、幸多が生まれるまでの絶対の真理だった。

 魔素は、あらゆる物質、物体に宿っていた。人体にも動物にも植物にも鉱物にも、大気中、水中にも存在し、あまつさえ真空の中にすらその存在が確認された。

 この宇宙は魔素によって構成されている――と、そう信じられた。

 幸多だけが、魔素を生まれ持たなかった。

 すべての生物は、通常、魔素を持って生まれるものだ。生まれ持った魔素を体内に巡らせることが生命活動の一環であるとされている。そして、生物は体内で常に魔素を生産しており、有り余った魔素は、老廃物などとともに体外に排出されるという。人間に限った話ではなく、動物に限った話ではない。この世界に存在する全ての生物がそうなのだ。

 そして、その体内を巡る魔素を上手く凝縮することによって魔力が練成されるという。魔力は、魔法の発動に必要不可欠なものであり、偉大な力だ。

 幸多には、その最初の段階が、なかった。

 魔素を持たざるもの。

 故に、完全無能者。

 そして、だからこそ、幻魔は、幸多を黙殺する。余程幸多がちょっかいをかけなければ、幻魔が幸多を相手にすることはないのだ。

 その常識と向き合えば向き合うほど、脳裏を過るのは数日前の夕闇だ。

(だとすれば、あのイフリートはなんだったんだ?)

 燃え盛る炎の魔人は、明確に幸多を狙っていた。幸多に対し、強い殺意すら持っているようにすら感じられた。

 それは通常ありえないことだ。

「幻魔が襲うのは、なにも人間だけではありません。動物たちもその標的となり、植物もその対象となりました。しかし、幻魔はあるときから人間ばかりを襲うようになったのです。人間を殺害することで、莫大な魔力を得られることが判明し、その情報を共有したからなのではないか、といわれています」

 星奈の語る話の内容は、遥か昔にあったことばかりだ。いまや常識として語られ、だれもが知っていることをおさらいしているに過ぎない。

 だが、幻魔に関しては、勉強してしすぎることはないはずだ。

 この世界は、幻魔に満ち溢れている。

「研究の結果、魔法を学んだ人間は、死の瞬間に莫大な魔力を生み出すということが判明しています。幻魔たちは、その魔力をこそ、もっとも栄養価の高い餌と考え、人間を襲うようになったのでしょう。ちなみに、人間の死と莫大な魔力の関係に関する研究が行われたのは、幻魔が人間を襲うようになってからのことです」

 つまり、幻魔の存在がなければ、人間が死の間際に莫大な魔力を生じさせていることがわかるまで、もう少し時間がかかったかもしれないということだ。

「そして、幻魔が発生する仕組みも、その研究の過程で判明しました。幻魔は、人間の死によって発生した莫大な魔力を苗床として誕生する、純魔力生命体といわれていますね」

 それもまた、だれもが知っていることだ。

 改めて言われるほどのことではなかったし、幸多にとっては知りすぎるほどの知っていることでもあった。

 幻魔に関する勉強は、おそらくこの教室にいるだれよりもしたはずだ。

 でなければ、完全無能者が幻魔に立ち向かい、撃破することなどありうることではない。

「ですが、ここで注意しなければならないのは、死んだ人間とその死の魔力によって生じた幻魔の間に、連続性はないということです――」

 

「――っていうのは、つまり、どういうこった?」

 圭悟けいごが幻魔学についての話題を振ってきたのは、放課後のことだった。

 夕日が赤々と校舎を照らしている中、幸多たちは校庭の花壇の前に屯している。幸多と圭悟、北浜怜治きたはまれいじ魚住亨梧うおずみきょうごの四人だ。

「たとえ家族や友人の死後、そこから幻魔が発生したとしても、それは親や友人じゃなくただの幻魔だということだよ。昔は、死ぬことで幻魔に生まれ変われるなんていう妄想に囚われた人達もいたみたいだけど」

「幻魔進化論、幻魔転生論か」

 黒木法子くろきほうこの声は、幸多たちの頭上から降ってきた。

 幸多が見上げると、法子が二階にある教室の窓から身を乗り出していた。そのまま上腕の筋力だけで体を持ち上げ、窓の外へと放り出す。空中で十回転くらいして、着地。砂埃が舞った。

 その見事さには、慣れが見え隠れする。

 幸多は、度肝を抜かれた。いや、幸多だけではない。怜治も亨梧も黒木法子の登場の仕方には驚愕するほかなかったようだ。

「あ、先輩。ちーっす」

 圭悟がまったく驚く様子もなく、挨拶する。すると、法子が彼を一瞥して、いった。

「ちーっす」

「軽っ」

「そう挨拶してきたのはきみだろう」

「そういわれちゃあそうなんだけど」

 圭悟は、返す言葉もないといわんばかりにつぶやいた。それから周囲を見る。

 花壇前に集まっているのは、五人だ。

「あれ、我孫子あびこ先輩は?」

「ここにいるけど」

「わお」

 我孫子雷智らいちは、いつの間にか法子の真後ろに立っていた。立って並ぶと、法子との身長差がはっきりしている。そしてその差は、雷智にとってはいいことなのかもしれない。

 雷智は、法子を背後から柔らかく抱きしめるようにしており、法子も満更ではなさそうだ。

「どうしてわたしの場合は驚くのかしら。傷つくわ」

「いや、でも、だって」

「我孫子雷智を傷つけるものはだれであれ許さんぞ」

「いや、別に傷つけるつもりは……」

「つもりのあるなしで罪の有無が決まるのであれば、裁判所は要らないな」

 法子が目を鋭くすると、さすがの圭悟も閉口せざるを得ないようだった。

「はい……すみません……」

「わかったらいいのよ。これからは気をつけてね」

「……なにをどう気をつけりゃあいいんだよ」

「まあまあ」

 幸多は、愚痴をこぼす圭悟を宥めるしかなかった。どう足掻いても黒木法子には勝てないことがはっきりとしている。そもそも、勝とうとするのが間違いなのだと、彼は確信する。

 黒木法子は、嵐のようだ、と天燎通信の記事に書かれていた。嵐のように吹き荒び、それを止めることはなにものにも出来ない。が、嵐が過ぎ去った後には、大いなる恵みが降り注ぐのだ、と。

 いまや幸多たちは嵐の渦中にいる。が、この嵐は、対抗戦優勝という大いなる恵みを勝ち取るためには必要不可欠なもののようだ。

「あー!」

 聞き慣れた大きな声が聞こえてきたかと思えば、真弥まやが、紗江子さえこらんを引き連れて駆け寄ってくるのが見えた。

「二人とも、こんなところにいたのね! 結構探したんだけど!」

「三人揃ってなんか用か? こっちはこっちで忙しいんだぜ」

「全然そんな風に見えないわ、って、そんなことどうでもいいのよ。ほら、中島なかじまくん」

 真弥が蘭に話を振ると、蘭は慌てたように携帯端末を取り出す。自分に全員の注目が集まったことが彼を緊張させたのかもしれない。

 幸多と圭悟は顔を見合わせ、蘭に視線を向けた。

「こ、これを見てよ」

 蘭が携帯端末の幻板を投影する。幻板には、天燎通信が表示されており、そこにはこう記載されていた。

「対抗戦に関するお知らせ?」

「えーと……運営委員会が定めた大会の新規定により、当校は予選大会を免除されることが決まりました……?」

「は? なんだそりゃ、新規定?」

「対抗戦の公式サイトも覗いたんだよ。そしたら、大会の新規定として、全出場校の中から一校に予選免除権を付与する、ってあってさ」

 蘭が端末を操作して、幻板に公式サイトを表示すると、確かにその通りのことが書いてあった。

 まさに青天の霹靂とはこのことだ、と、幸多は思うほかなかった。

 幸多は、過去、何度となく対抗戦公式サイトを覗き、これまでの戦歴を調べたり、大会規定についても熟知するほどだった。対抗戦に出て優勝しようというのだから、当たり前だ。

 しかし、対抗戦が始まる二ヶ月前に新たな規定が加わり、その対象として天燎高校が選ばれるなど、想定外も想定外だった。

「だとしても、なんでうちなんだ?」

「考えられるのは、万年最下位だから、かな。対抗戦は、才能を発掘するためのものでもあるからね。運営としては、天燎高校に発奮してもらうために、決勝大会に出場させようと考えたのかも」

 そのような蘭の推測には、異論を挟む余地がなさそうに思えた。少なくとも幸多には考えつかない。ほかに理由らしい理由も思い浮かばない。

 運営委員会がまったく別の考えで天燎高校を予選免除枠にしたのだとしてもおかしくはないが、だとすればどういった理由なのか、想像も出来なかった。

 幻板を覗き込んでいた法子が、納得したように口を開く。

「ふむ。つまりはこういうことか。我々は戦わずして勝った、ということだな」

「そういうことになるわねえ」

「そういうことなのかなあ」

「そういうこった。少なくとも、予選大会を戦わなくて済むのは大きいぞ。大きすぎる!」

 拳を握り締めて体を震わせる圭悟の反応から、彼が限りなく喜んでいることが伝わってくる。

 もちろん、幸多としても嬉しいことだ。しかし、あまりにも想定外の出来事であり、予想外すぎて、どう反応していいものやらわからなかった。

 そんなことがあるのか、とも思った。



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