第9話 対抗戦

「本当、凄すぎてどう表現すればいいのかわかんねえけどよ」

「語彙力がないからでしょ」

 真弥まや圭悟けいごを殴りつけるように告げたのは、昼休みのことだ。

 体力測定を終えた後、授業を挟み、いまに至っている。

 幸多たちいつもの五人がいるのは、第二校舎一階にある学生食堂だ。

 第二校舎は、一階に教職員室や医務室、図書室、学生食堂などを詰め込むためなのか、第一校舎よりも面積が広くなっている。

 央都では、建築物に高度制限があるため、建物の空間を上方向に広げていくということができない。そのため、横方向に広くするか、下方向――地下に空間を広げることで対応するのが普通である。

 天燎高校は、敷地が広いことを有効活用し、第二校舎の面積を広げたのだろう。

 結果、第二校舎一階の昼休みの賑わいは凄まじいことになった。。

 特に学生食堂は、毎日の昼休みに満員となるほどの人気であり、出入り口には順番待ちの学生が並んでいるくらいだった。

 それもそのはずだ。

 学生食堂の献立は、いずれも格安といっていいくらいの価格設定であり、日替わりのものもあり、どれもが絶品だという話だった。

 そして、学食の料理の味が素晴らしいというのは、単なる噂だけではないということを幸多は身を以て知ってしまっている。

 故にこそ、圭悟たちとともに食堂に通っているのだ。

 今日、幸多たちは窓際の席に陣取っていた。食堂には、二人がけの座席と四人がけの座席があり、幸多たちは当然後者を選ぶ。そこに椅子をひとつ追加してもらうことで、五人揃ってお昼ご飯を戴けるというわけだ。

 窓の外は校庭に面しており、校庭の地面は、正午の日光を浴びて輝いていた。空は晴れ渡っていて、雲はまばらだ。

 正午。

 中天の太陽は、ここからは見えない。

「うっせ」

 圭悟が悪態をつけば、真弥が紗江子さえこに勝ち誇る。

「っかしよお、対抗戦で優勝したいってんなら、ここを選ぶんじゃなかったんじゃねーかなあ」

 圭悟が残念そうにいったここというは、無論、天燎高校のことだ。

 圭悟たちの常識から考えれば、そういう結論に至るのも当然の話だと、幸多は、皿に大盛りに盛られた白米とそれに相応しい量の豚カツを見下ろしながら思うのだ。豚カツには濃厚な特製ソースがかけられており、黒々としている。その皿の片隅に載せられた千切りのキャベツが彩りを添えている。

星桜せいおう高校にするべきよね」

「うんうん」

「確かに……」

 真弥の発言は、圭悟の意見を汲んだものだろうし、彼女の言葉をらんと紗江子は否定しなかった。

 真弥が、フォークの先にパスタの麺を絡めるようにしながら、問いかけてくる。

「なんでここなの?」

「だって、星桜高校だったら、ぼくが選手になれるわけないじゃないか」

 幸多は、至極当然のことをいった。

 当たり前と言えば当たり前のことだ。

 真弥のいった星桜高校は、対抗戦の常勝校である。これまで十七度開催されてきた対抗戦で、七度もの優勝を誇る強豪校だった。

 当然、今年の対抗戦も出場選手の選抜の段階から気合いを入れているに違いない。

 そこには、魔法不能者の幸多が入る余地はないのだ。選考の段階にすら入れず、除外されるだろう。

 わかりきったことだったし、そこに一縷の希望を見出そうとするのは、夢想主義者か狂人くらいのものだ。

 現実主義者でなくとも、理解できることだ。

 圭悟たちも、自分たちがいっていたこと、考えていたことの間違いに気づいたのか、バツの悪い顔をしていた。

「別にほかに方法があるんだったら、ここじゃなくてもよかったけど、ほかの方法は全部駄目だからさ。対抗戦に賭けるしかないんだよ」

 幸多は、箸でソースたっぷりの豚カツを掴んだ。

 戦団に入る方法は、当然だが、対抗戦だけではない。

 いくつもある。

 いくつか、ある。

 もっとも有効な方法は、星央魔導院せいおうまどういんに入学し、そのまま卒業することだろう。

 星央魔導院は、戦団が運営する人材育成機関だ。戦団が戦団に相応しい魔法士まほうしを育成し、優れた人材を輩出するために開校した。

 事実、星央魔導院の卒業生の大半が、戦団に入っている。

 つまり、星央魔導院に入ることができれば、間違いなく戦団に入れるということだ。

 つぎに入団試験を受け、合格すること。

 入団試験は、年に数回、定期的に開催されている。戦団は常に人材を求めており、人材獲得に前向きだからだ。とはいえ、だれでもかれでも入団させるわけにはいかない。

 戦団は、役立たずを必要としない。弾よけの盾代わりにしかならないような兵士など、いらないのだ。

 入団試験は、実力試験も兼ねている。

 魔法士としての実力を測る試験なのだ。

 幸多は、そのどちらにも書類選考の時点で落とされる。

 道理だ。

 幸多は、魔法不能者だ。

 魔法不能者が、魔法を集中的に教え、優れた魔法士を育成するための機関である星央魔導院に通うことなど、本末転倒以外のなにものでもない。

 また、魔法不能者を戦闘部の試験に受けさせるのも無駄の極みだ。それこそ、肉の盾以外の使い道がないからだ。そんなものを戦団は必要とはしていない。

 もうひとつの入団方法は、戦団に所属する導士に勧誘されることだが、これも可能性としては絶無といっていいだろう。

 幸多の弟である統魔とうまは、十歳のときに戦団に勧誘された。もちろん、十歳の子供を戦団に引き入れようというのではない。

 まずは星央魔導院へ通い、そこでみっちりと鍛え上げ、戦団に入るのはどうか、と、戦団戦務局作戦部長稲岡正影いなおかまさかげは提案したのだ。

 統魔は、考え込むまでもないとでもいうようにうなずいた。そのときの光景は、いまでもはっきりと覚えている。統魔の覚悟と決意を知っていたからだ。

 統魔は、父の敵を討とうと考えていた。

 あの日、あの時、あの場所で、幸多達家族の目の前に現れ、父幸星こうせいの命を奪い去った幻魔は、その直後、姿を消していなくなった。

 幻魔災害を察知し、現場に急行した戦団の小隊も間に合わなかった。

 だから、あの幻魔は生きているに違いないと、統魔は確信したのだ。そして、みずからの手で父の敵を討ち、無念を晴らすと誓った。

 幸多も、それに乗った。

 が、幸多は、稲岡正影に黙殺された。

 幸多は、魔法不能者だからだ。

 それも世にも珍しい完全無能者だと、診断されているという絶望的な事実がある。

「ぼくは、完全無能者だからね」

 幸多は、このときはじめて圭悟たちにその事実を明かした。

 別に隠していたわけではない。

 聞かれなかったし、話す機会もなかっただけのことだ。

 それにその事実は、隠し通せるようなものでもない。いつか、なにかがきっかけとなって明らかになる可能性の高いことだった。

「完全無能者……って、なんだそれ」

「……聞いたことあるよ。ぼくらの世代にそういう稀有な存在が生まれたって」

 ラーメンを啜りながら怪訝な顔をする圭悟に比べ、蘭の表情は深刻そのものだ。彼は、そのニュースを多少なりとも深掘りしたのかもしれない。

「まあそんな顔しないでよ、別にぼくは生きてるしさ」

 とは、明るく笑っていったものの、幸多が生まれることができたのは、医者が適切な対処をしてくれたおかげだということは、いわなかった。

 そんなことを彼らにいっても、同情を引くだけだ。

 医師の機転のおかげもあって、幸多は奇跡的に誕生することができた。すると、一時期、その存在が央都中の話題となった、という話を親から聞かされている。

 完全無能者。

 一般的な魔法不能者とは、似て非なるものだ。

 一般的に魔法不能者と呼ばれるひとたちは、魔法が使えないというだけだ。それが先天的なものであれ、後天的で一時的なものであれ、それだけのことなのだ。

 幸多とは、違う。

 幸多は、完全無能者は、魔法の恩恵を受けることのできない体質なのだ。

 魔法不能者は、魔法による治療や医療行為などの様々な恩恵を受けることができる。だが、幸多は、魔法によって傷を癒やすことも、魔法によって病を治すことも、魔法によって髪の色を変えることも、魔法によって瞳の色を変えることもできなかった。

 魔法という万能に近い力の恩恵をほとんど受けることができなかったのだ。

 だから、生まれながら死にかけていた。

 幸多は、白米と豚カツを咀嚼しながら、言葉を探した。友人たちの間に漂う空気の重みに気づいたからだ。みんなが深刻そうな顔をしているのは、全部自分のせいだった。

「……ともかく、対抗戦優勝するには、対抗戦に出なきゃいけないわけだよ」

「なるほどねえ。それなら、まあ、合点は行くわな」

 圭悟が感心したのは、幸多がそういう結論に至った経緯を理解できたからだろう。

 対抗戦の優勝を狙う高校というのは、星桜高校以外にも数多にある。そうした高校はすべて、幸多の進学先として、論外だった。

 選手として出場できないからだ。魔法不能者は、選手として論外なのだ。だれが好き好んで魔法も使えないものを魔法競技の大会に出すというのか。敗退行為にほかならない。

 選手として出場できなければ、優勝校に与えられる特典を受けることができない。

 それが四つ目の入団方法である。

 対抗戦の優勝校の出場選手は、皆、戦団への入団を持ちかけられることが慣例となっている。

 対抗戦それ自体が戦団の人材発掘の場であり、故に、優勝校の出場者全員が勧誘対象なのだ。

 過去の対抗戦優勝校の中から戦団に入った学生はそれなりにいる。

 もちろん、それは絶対的なものではなく、戦団に入るかどうかの選択権は学生側にあった。

 断った学生も少なくない。

 幸多には考えられないことだが、多くの市民にとっては、戦団って危険な目に遭うよりも、平穏無事に暮らしたいと考えるのは当たり前のことだ。

「確かに天燎高校で対抗戦に出たいなんて生徒、ほとんどいないもんね」

「天燎通信に対抗戦の参加者募集中ってあったけど、まだ皆代くん以外にはだれも名乗りを上げていないみたいだ」

「このままぼく以外参加者いないってことは、ないよね?」

「それはねーよ。けどまあ、この調子じゃあ、優勝は期待できねえんじゃねえの」

「それは困るな」

 幸多は、心底困った。

 幸多が天燎高校に進学することを決めたのは、対抗戦に出られる可能性が他校に比べて極めて大きいという点があった。事実、いまのまま推移すれば、幸多が選手として出場できるだろう。

 が、ただ出場するだけでは駄目なのだ。

 優勝しなければならない。

 もっとも、優勝しなくとも、優秀選手に選ばれるほどの活躍をすれば、戦団のお偉方の目に止まり、勧誘される可能性はある。だが、それも魔法士ならば、だ。

 仮に幸多のような魔法不能者が勧誘されたとしても、戦闘要員としてではないだろう。

 やはり、優勝しなければならない。

 そのためには、戦力が必要だ。優勝常連校の星桜高校に打ち勝つだけの戦力が。

 圭悟がラーメンのスープを飲み干して、器を盆の上に置く。

「仕方がねえ。ここは俺がひとつ、貸しを作ってやるか」

 にやりと、彼は笑いかけてきた。悪い笑顔だ。しかし、そこには一切の邪気はなく、暖かな友情すらも感じられるのだから、不思議なものだった。

 幸多は、問うた。

「もしかして、参加してくれるの?」

「おうよ、貸し、だからな」

「ありがとう!」

 幸多は、圭悟の申し出に心からの感謝を述べた。

「よし、参加者を探すぞ。後四人は絶対必要だからな」

 そういって、彼が友人たちを見回すが、真弥も紗江子も蘭も乗り気ではなさそうだった。そんな友人たちの反応を悪くは思わなかった。当然なのだ。

 むしろ、圭悟のほうがこの学校では普通ではないといっていい。

「あと四人かあ」

 途方もない難題だと、いまさらのように実感して、幸多は白米を平らげた。

 腹は満たされたが、気は重かった。



 川上元長かわかみもとながは、私立天燎高校の校長である。

 六年前までは、天燎財団の系列企業である天燎魔具で働いていた。それがどういうことが、天燎高校の校長になってしまったのだから、もうわけがわからない。

 当時、天燎高校の校長が退職したこともあり、一刻も早く空席を埋めたかったからというのが理由のひとつだが、なぜ自分が選ばれたのか当初はまったく理解できなかった。

 しかしいまならば、わかる。

 川上元長は、第二校舎一階の最奥部に向かっていた。決して長い廊下ではないが、気鬱さが、彼の足取りを思いものにしていた。

 第二校舎の最奥部には、理事長室があるのだ。

 校長室とは食堂や教職員室を挟んだ反対側といっていい場所に位置しており、校長室から理事長室への直通の通路などはなかった。

 なくてよかった、と、思わないでもないし、あったほうがよかったのではないか、と、考えないでもない。

 どちらであれ痛し痒しだ。

 理事長と距離が近くなるのも、遠くなるのも、良い面もあれば悪い面もある。

 彼はいま、理事長天燎鏡磨きょうまに呼び出しを食らっていた。

 天燎鏡磨は、その名の通り、天燎財団における支配層の一員である。天燎財団総帥天燎鏡史郎きょうしろうの長男であり、鏡史郎に気に入られている彼こそ、将来の財団総帥だとだれもが噂している。

 そんな鏡磨だが、普段は、多種多様な仕事に忙殺されており、学校に姿を見せることなど滅多になかった。ましてや理事長室にいることなど、そうあることではない。

 そして、理事長室にいる鏡磨から呼び出されることなど、稀有なこととしか言いようがなかった。年に一度あっても多すぎるくらいだ。

 次期総帥は、それほどまでに忙しく、常に央都を飛び回っているといっても過言ではなかった。

 それだけ多忙な仕事人間が、来る必要もない、放置していても問題のない学校に来て、しかも理事長室で待ち受けている理由とはいったいなんなのか。

 川上元長は、気が気ではなかった。

 ここ数日の騒ぎを聞きつけた鏡磨が、怒り心頭で呼びつけたのではないか。

 そう考えると、それ以外に理由が思いつかなくなっていた。

 曽根伸也そねしんやの暴走があり、幻魔騒ぎが起きた。

 曽根伸也が引き起こした事件は、外部にこそ漏れていないが、天燎財団内部には知れ渡っている。特に支配層が知らないわけもなかった。

 幻魔による校舎破壊事件については、問題はない。幻魔災害は、この央都で生きていく上でだれもが遭遇しうる事故なのだ。対処のしようもなく、仮にその結果校舎が壊滅的被害を受けたとしても、校長ひとりがその責任を追求される謂われはない。

 そこまで考えたとき、ふと、校長の脳裏に過ったのは、皆代みなしろ幸多の姿だった。

 なにもかもに皆代幸多が絡んでいるということを思い出したからだ。

 しかも、皆代幸多といえば、入学式に遅れ、ぼろぼろの格好で現れていた。

 そんな彼を川上元長が校門前で待っていたのには、大きな理由がある。

 入学式が始まる直前、天燎高校に連絡が入ったのだ。

 だれあろう、伊佐那美由理いざなみゆりからだ。

 あの伊佐那美由理である。戦団最高戦力の呼び声が高く、光都こうと事変の英雄と謳われ、事実、凄まじいとしかいいようのない戦果を上げ続けている最高位の導士どうしのひとり、伊佐那美由理。

 氷の女帝は、校長に対し、遅れてくるであろう皆代幸多を丁重に扱って欲しいといってきたのだ。

 英雄からの申し出に対し、元長は唯々諾々と従うほかなかった。それを拒む理由はなく、反発する意味もない。

 この央都の秩序と平穏は、戦団のおかげで成立しているのだから。

 そんな戦団の中でも英雄と呼ばれるほどの人物から、皆代幸多の身に起きている事態を聞かされれば、入学式が終わってすぐさま校門まで出迎えに行くのは、当然のことだろう。

 そして遭遇したのが、あの全身が燃やし尽くされたような少年であり、問題児としか思えないような人物だったものだから、彼は内心、頭を抱えたくなったものだった。

 そこまで考えて、頭を振る。

 もはや、どうにもなるものではない。

 川上元長は、足を止め、息を止めた。

 理事長室の扉が、眼前にある。

 第二校舎一階の最奥部、廊下の突き当たりにその蝋色の扉が立ちはだかっていた。ただそこにあるだけで強烈な威圧感を覚えるのは、川上元長がその向こう側にいるであろう人物のことを知っているからだろうか。

「入りなさい」

 不意に、低く厳かな声が室内から響いてきた。天燎鏡磨の声だった。

 天燎鏡磨には、川上元長が扉の前に辿り着いたのがわかったのだろう。監視カメラの映像を見ているのか、それとも、別の方法で察知したのかはわからない。

 川上元長は、心臓が止まりそうなほどの緊張を禁じ得なかった。が、扉を開かなければ、余計に最悪の事態を引き起こしかねない。

 覚悟を決めて、扉を開く。

 天燎鏡磨は、理事長室のゆったりとした椅子に腰掛けていた。紫紺の髪は短く、整えられており、鋭すぎるほどの目は浅黄色。身長も体型も平均的だが、黒を基調とし、赤を差し色に使ったスーツを着こなすには十分なようだ。今年五十歳になるはずだが、まだまだ若々しい。

 そんな彼は、不機嫌そうな、不愉快そうな、不可解そうな、それらすべてを掛け合わせた三重苦そのもののような表情をして、投影映像を見ている。

 投影映像は、反対側からは、空中に透明な光の板が浮かんでいるようにしか見えないため、内容はわからない。

 鏡磨が、幻板を消した。投影機能を切ったのだ。

「今朝のことだよ。運営委員会から通達があった」

「運営委員会……ですか」

「対抗戦のだよ」

 天燎鏡磨の苦虫を噛み潰したような顔が示すのは、この学校にとっては必ずしもよくない話が舞い込んできたということに違いなかった。

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