第8話 体力測定
その朝、
天燎高校が今日一日だけ休校するという報せが、幸多の携帯端末に飛び込んできたのだ。
一年二組の教室だけならばまだしも、第一校舎に壊滅的な損害が出たことが大きいのだろう。その結果、復旧作業に時間がかかると判断されたのだ。
とはいえ、たった一日で復旧できるというのは、魔法社会の長所といえるだろう。
魔法のない時代には、あれほどの損害を復旧するのにどれだけの費用と時間がかかったものか。
そんなことを冴えない頭で考えながら、ぼんやりと、携帯端末が虚空に投影した映像を眺めていた。
空間投影技術は、携帯端末の小さな画面と睨み合う必要をなくした。幻板の大きさも位置も自由自在なのだ。仰向けに寝転がったまま、目の前に表示された映像を眺めたり、映像に触れることで操作することだってできた。
実際、幸多はいま、寝台に寝転がっていた。
レイラインネットワーク上では、天燎高校を襲った事件が大々的に報道されていたのだが、ほとんどすべてのニュースサイトで
一年二組の教室が壊滅的損害を被った事件は、闇に葬られたのだ。
(木を隠すなら森の中、か)
幻魔災害という大事件による大きな被害が、曽根伸也が引き金となった暴力事件とその顛末を隠蔽するのに役立ったのだ。
曽根伸也は、天燎財団で力を持つ曽根家の人間だ。その醜聞が世間を賑わせるようなことは、天燎高校としても天燎財団としてもできる限り避けたいところだろう。
朝。
既に七時を大きく回っている。
本来ならば通学中の時間帯だが、今日はどれだけゆっくりしていても問題なかった。
夜中に目が覚めてからというもの、寝付けなかったのだ。おかげで幸多の頭脳は、半分眠りに落ちかけているといっても過言ではなかった。
さらに眠気が押し寄せてきたのは、朝食を食べて、腹が満たされたからかもしれない。
幸多は、携帯端末をスリープ状態にすると、瞼を落とした。そのまま眠りに沈む
その眠りの間、夢は見なかった。
起きたのは、昼を過ぎてからだった。
携帯端末の時計を見た瞬間こそ慌てたものの、すぐに冷静になって安堵した。
今日は一日休みだったのだ。
それからしばらくして、
翌日は、普段通りだった。
魔暦222年4月11日。
幸多は、いつも通りの時間帯に学校に向かった。すると、天燎高校の手前で見慣れた赤毛の後ろ姿を見つけて、思わず駆け寄ってしまった。
「おはよー」
「おお、おはよーさん」
「圭悟くんって、徒歩なんだ?」
「家が近いんだよ、俺ら。だからここに通ってるっていうのも、あるんだぜ」
そういって圭悟は天燎高校の真新しい第一校舎を見上げた。
二日前の夜、イフリートによって穿たれた大穴は、影も形も見当たらない。素人目には、復旧作業は完璧なものに思えた。
「それは良かった」
「なにが」
「だって、そうじゃなかったら友達になんてなれてなかったじゃない」
「そうだなあ、そうなるよなあ」
「そうだよ」
幸多は、屈託もなくそう言い切った。
圭悟たちと出逢えたのは、彼らが天燎高校に入学したからにほかならない。ほかの高校に進学していたのであれば、絶対に出逢うことはなかっただろう。
「やっほー」
突然空から声が降ってきたかと思うと、
「見て見てー! 昨日、買ってもらったのよ-! いいでしょ、羨ましいでしょ、いいのよ、羨んで、存分に妬みなさい!」
心底嬉しそうな真弥の表情には、悪意というものがない。
彼女が見せつけてきた長い棒状のそれは、法器と呼ばれる魔法道具だ。
魔法時代黄金期に発明され、無数の類似商品が販売されたことで知られるそれは、魔法を簡易的に行使することを可能とするものだ。
魔法の行使には、いくつかの手順を踏む必要があるのだが、法器は、それら手順を省略し、定められた魔法の名前、つまり
ただし、そうして省略発動が可能なのは、法器に登録されている魔法だけであり、当然、攻撃的な魔法を登録した法器の販売は禁止されている。
真弥が手にしているのは、法器の中でも
BROOM型法器がもっとも多く出回り、愛用されている理由も、そこにある。
空を自由に飛び回ることが出来れば、この央都内での移動に困ることがない。
「だれが羨むんだよ、馬鹿馬鹿しい。学校のすぐ近くに住んでるくせに飛んでくるのはどうかしてるぞ」
「はっ、それこそ持たざるものの僻みって奴よね。そう思うでしょ、皆代くん」
「それはどうだろう」
「……皆代くんって、やたらと圭悟の肩を持つわよね」
「えーと……そういうわけでもないんだけど」
「なんだよ、中立気取りか、この野郎」
「そうよ、どっちの味方なの?」
「ええ……」
幸多が圭悟と真弥の矛先が自分に向いたことに苦笑していると、
「まあまあ、おふたりとも、落ち着いてくださいな」
「そうだよ、こんなところで仲良く喧嘩してないでさ」
「だれが仲良しよ」
「そうだ、こんな奴と仲良くなんてしてられるか」
などと互いに毒づきながら、だからといって距離を取るでもなく、一緒に校舎に入っていくのが圭悟たちであり、幸多は彼らのそんな関係性を心地よいものだと感じていた。
「あー……だりぃ」
圭悟が呻くように吐き出す声を、幸多は、天地が逆転した世界で聞いていた。
「圭悟くん、さっきからそればっかりだね」
「体力測定なんてよー、どう考えてもだるいだろーがよー、なんでてめえはそんなにやる気出してんだあ?」
圭悟が信じられないものでも見るかのような目で、準備運動中の幸多を見ていた。立ったまま上半身を反り返らせて、手を床に付けている。凄まじいまでの体の柔らかさは、圭悟にはとても真似の出来ないものだった。
室内総合運動場、つまり体育館に幸多たち一年二組の生徒が集まっていた。
当然だが、全員、運動服に着替えている。
着替えは、運動場に備え付けの更衣室で行った。
運動服は、やはり黒を基調とし、赤の差し色が入ったものだった。柔軟性があり、機能性を重視した作りになっている。
体力測定は、筋力、敏捷性、跳躍力、柔軟性、筋持久力、全身持久力を様々な方法で測定するものであり、生徒の体力、運動能力を調査するという名目で行われるようだった。
担任教師の
幸多たちの番は、まだだ。
「ぼくにはこれくらいしか取り柄がないからね、頑張らないと」
「そんなことはねえだろ」
「あるんだなあ、それが」
幸多は、自虐ではなく、道理を説くようにいった。
「圭悟くんには魔法があるけれど、ぼくには魔法がない。圭悟くんは魔法で自由自在に空を飛べるけれど、ぼくは地を這い回ることしかできない。それが現実。それが事実。覆しようのない真実なんだよ」
そして、この魔法社会において、その差は限りなく大きい。
圭悟は、なにも言い返さなかった。言い返せなかったのだ。圭悟には、幸多の気持ちがわからない。圭悟は、幸多のいうとおり魔法が使えるからだ。
魔法が使えるものは、魔法が使えないものの気持ちをわかってやることなど、できるわけがない。
魔法士と魔法不能者の間には、海よりも深い溝が横たわっている。
「ま、だからといって、ぼくは絶望したりしないし、諦めたりもしないけどね」
幸多は、準備運動を終えて、にこやかに告げた。筋肉の緊張を解きほぐし、いつでも体力測定に立ち向かえる体勢が整っていた。
「次、
星奈が四人の名前を呼んだので、幸多は圭悟とともに教師の元へ向かった。
室内運動場は、様々な運動に対応できるように広く作られている。天井も高い。さすがに高度制限ぎりぎりとはいわないにせよ、運動するだけならば十分すぎるほどだろう。
少なくとも、
幸多と圭悟は、都由乃
室内運動場の床には、いくつもの光の線が浮かび上がっている。それは星奈の魔法などではなく、体育館に備え付けられた機能のようだった。また、体力測定のための器具が並べられてもいる。
「まずは筋力からよ」
幸多たちは、それぞれ、目の前に置かれた握力計を手にした。
そこから先は、幸多の独壇場といっても過言ではなかった。
幸多は、握力計の性能を信じて全力で力を込めたのだ。すると、握力計は、幸多の筋力に耐えきれず、壊れてしまった。おそらく天燎魔具製の最新型の握力計が、だ。
幸多は、ぶっ壊れた握力計を見下ろしながら、教師や生徒たちの視線が自分に集中しているのを実感として認めた。
「あの……どうしましょう」
「皆代くんの握力は測定不能……と」
「それでいいんですか」
「また壊されたらたまったものじゃないでしょう。備品もタダじゃないのよ」
「そりゃそーだ」
教師の苦い顔を見ながら、圭悟が楽しそうに笑った。
つぎに筋持久力を測定するために、上体起こしを行うことになった。
これは二人一組になって行うものであり、幸多は圭悟と組んだ。
測定するひとりが仰臥姿勢を取り、もうひとりがその足を抑え、固定するのだ。
そして、三十秒間で上体起こしができる回数を測定するのだが、幸多は、やはり、というべきなのかどうか。
「……皆代くんは測定不能ということで」
星奈が、憮然と告げてきたものだから、幸多は目の前でなぜか大笑いしている圭悟の顔を見ていた。
星奈の動体視力では捉えきれないほどの速度だったということだ。
柔軟性の測定は、長座体前屈である。
室内運動場の壁に背と尻をぴったりと密着させるように座り、足は箱状の測定器の中を潜り抜けさせる。その測定器をゆっくりと押すように前屈し、その移動距離を記録するのだ。
幸多は、上半身と下半身がぴったりと折り重なるまで前屈することが出来、ようやく測定記録が出た。
圭悟はといえば、ある程度測定器を押しただけで動かなくなった。面倒くさくなったのか、諦めざるを得なくなったのかはわからない。
敏捷性の測定は、反復横跳びで行われた。
床に浮かび上がった光の線は、そのためのものだった。
等間隔に並んだ三本の光線を跨ぐようにして横飛びするのだ。
光線を飛び越えるごとに一点が加算され、合計得点が記録となる。
幸多は、凄まじいとしか言いようのない速さで反復横跳びを行い、これまた、測定不能の結果に終わった。
その後行った立ち幅跳びによる跳躍力の測定も、二十メートルシャトルランによる全身持久力の測定も、幸多は圧倒的な記録を叩き出した。
一年二組の最高記録というだけではない。天燎高校始まって以来の記録であり、これまでの全記録を塗り替えるという偉業を達成したのだった。
これには小沢星奈も、感嘆の声を漏らしたし、ほかの生徒たちも幸多を見る目を変えたような、そんな気がした。
「まあ、意味ないけどね」
体力測定を終えた直後、幸多は、友人たちに本音をもらした。
「そんなことないよ、凄かったよー!」
「中島くんのいっていたとおりでした」
真弥と紗江子が褒め称えてくれたことそのものには悪い気はしなかったものの、だからといって心の底から喜んでいいようなことでもない。
そして、中島蘭が目を輝かせていってくる。
「ぼくにはまるで魔法みたいに見えたよ」
「そうかな」
「おう、間違いねえよ」
圭悟にまで認められたことは、幸多にとって嬉しいことだった。
魔法が使えない幸多にとってしてみれば、それは恐ろしく強力な褒め言葉だった。
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