第4話 魔法士≠有能
教室内には、夕日が差し込んでいた。
眩いばかりの赤い光は、しかし、むしろ教室内に暗い影を落とす。巨大な影が室内に横たわり、さながら暗雲が立ち込めているような気配すらあった。
放課後。
授業はとっくに終わり、下校時間も過ぎ去っている。学校に残っている学生すらほとんどいないだろう。
気温は下がり、開け放たれたままの窓から入り込む風も冷えてきていた。
そんな午後の静寂に不釣り合いなのが、目の前の光景だ。
教室内に並べられていた机と椅子が、ことごとく浮かび上がっているのだ。特殊合成樹脂製の机と椅子。幸いにもそれだけだ。机の中に生徒が忘れていったものとかはなかったらしく、落下物もなかった。
魔法だ。
魔法で浮き上がらせているのだ。
なんのために。
(そりゃあ)
そんなことをしていったいなんになるのか、幸多にはまったく理解できないし、想像もつかないのだが、しかし、曽根の狂気じみたまなざしを見れば、彼が本気らしいということだけは確かだ。嫌な確信だった。
「ちょっと、曽根さん!?」
悲鳴を上げたのは、曽根の下僕のひとりだった。竜胆色の髪の一年生。だが、幸多も知らない顔なので、一組か三組、あるいは四組の生徒なのだろう。
彼は、曽根が実力行使に出るとは思っていなかったらしく、強く抗議の意志を示した。
「なに考えてるんですか!?」
「るっせえっ!」
「ぐへっ」
「
曽根の怒声とともに飛来した椅子が、抗議した男子生徒の脇腹に直撃し、そのまま吹き飛ばした。もう一人の一年生が、悲鳴めいた声を上げる。
怜治と呼ばれた一年生は、床に横たわって動かなくなった。死んだわけではあるまいが、だとしても、許されることではない。
曽根が、茶鼠色の髪の一年生を睨み付ける。
「てめえもああなりたくなかったら気張れよ」
「え、ええ……」
「なんだあ?」
「は、はいっ、不肖
茶鼠色の一年生は、すぐさま臨戦態勢に入った。もはや覚悟を決めた、とでもいわんばかりの決然とした表情だった。
「切り替えはええな、あいつ」
「そのほうがいろいろと楽なんでしょ」
「だろうな」
「わ、わたしたち、先生呼んでくるね!」
「おまえも行けよ。ここは、俺たちだけで十分だ。なあ、幸多」
「ぼくひとりでね」
「あぁん?」
「わ、わかった。気をつけてよね!」
曽根
幸多は、曽根のその反応で、彼の狙いが自分一人にあるのだとはっきりと理解した。
不意に、風を切るような音ともに椅子が飛んできた。体を捌いて躱せば、別の方向から机が落ちてくる。それも回避して見せれば、曽根が口笛を吹いた。
「随分余裕じゃあねえか、ええ」
「そりゃあまあ」
幸多は、実際問題、精神的に大きな余裕をもって、飛来する椅子や机を回避していた。
「きみなんかじゃ比較にならないほどの魔法士に、鍛えてもらってますから」
脳裏に浮かぶのは、在りし日の父の姿であり、いまなお絢爛と輝く母の姿、そして、
「んだとお!」
いきり立った曽根が、立て続けに机と椅子を飛ばしてくる。狙いは紛れもなく幸多だけだった。その事実を再確認して、幸多は、圭悟にいった。
「あっちはぼくに任せて」
「あ、ああ」
圭悟はうなずくと、幸多の側を離れた。下僕に向かって飛び出している。その頭上を机や椅子が大きく旋回し、唸りを上げた。圭悟は冷や汗をかきながら、直進する。すると、下僕は、魔法を使う気配を見せたが、しかし、諦めるようにして拳を構えた。圭悟に立ち向かう。
圭悟も、魔法を使わない。
この教室内で魔法を使っているのは、曽根伸也だけだ。
彼だけが、この教室内に破壊の嵐を巻き起こしている。机と椅子が飛び交い、雨嵐のように降り注いでは、床や壁、果ては天井を傷つけ、突き刺さり、穴を開けていく。
それらすべての攻撃は、幸多を狙ったものだった。幸多は、飛来する椅子や机を最小限の動きで躱し、捌き、回避し続けていた。
その狂乱の中、圭悟が下僕を組み敷いた。魔法を使わなければ体格と膂力の差が物をいう。そのどちらもが圭悟のほうが上だった。勝敗は最初から見えていたのだ。
だが。
「ひゃっはっはっはっ、壊れろ、壊れてしまえ! なにもかもよお!」
破壊の嵐の中に響き渡る高笑いは、曽根伸也という人間の破壊衝動が現れていたのだろう。空中で机と机がぶつかり合って砕け散り、無数の破片となって渦を巻く。
そうして誕生した合成樹脂の破片が、教室の片隅で曽根の下僕を組み敷いていた圭悟の後頭部を殴りつけた。圭悟が一瞬で気を失い、下僕の上に崩れ落ちる光景は、幸多にはなぜだかこの上なく緩慢に見えた。
時間の流れまでもが緩やかだった。
それも、一瞬。
「圭悟くん!」
気づくと、叫んでいた。そして、破壊の嵐の中を掻い潜り、曽根伸也の真横を通り抜け、圭悟の元に辿り着く。幸多が通り過ぎた後を椅子や机の破片が次々と突き刺さり、破滅的な旋律を奏でる。
見れば、圭悟に組み敷かれていた下僕も気を失っていた。破片かなにかをぶつけられたようだ。それが曽根の狙い通りなのかはともかく。
幸多は、圭悟の後頭部の傷口を注視した。傷口からは血が流れ出している。真っ赤で、温かい液体。それを目の当たりにしたとき、幸多は、体が強張るのを認めた。心音が聞こえた。自分自身の心臓が、鼓動が、脳にまで響く。血液が逆流するような錯覚。体中が燃えるように熱くなる。
この場に治癒魔法を使える魔法士はいない。少なくとも、幸多には使うことができない。
曽根伸也は、どうか。
彼は、破壊の嵐の真ん中で、笑い狂っていた。正気を失っているとしか思えなかったし、冷静に負傷者を手当できる精神状態には見えなかった。
「……馬鹿なことを」
「そりゃてめえだろ」
曽根伸也は、鳴り響く破壊音の真っ只中で、狂気の笑みを浮かべ、こちらを見ていた。まなざしに侮蔑が浮かんでいる。
無数の破片が、その鋭利な切っ先を幸多に向け、空中で静止した。
「無能者のような塵が、戦闘部に入るなどというのは烏滸がましいとは思わねえのかよ」
「そうだね」
幸多は、肯定するとともにその場所から移動した。曽根を中心に大きく弧を描くように歩く。ここに留まるということは、圭悟を巻き込んでしまう。それだけは避けなければならなかった。
彼の発言を撤回させようなどとは思わなかった。ひねくれているし、差別的だが、その発言が意図するところを否定することはできない。
少なくとも、戦団の歴史上、魔法不能者が戦闘部に入ったという事実がないのだ。魔法不能者を戦闘要員として見ておらず、扱おうとしたことすらなかった。
戦闘要員以外ならばいくらでもいるのだが。
「でも、だからといって、ただ魔法が使えるだけの人間は、本当の意味で有能なのかと疑問に思うよ」
幸多は、曽根伸也を見据えた。
「なんだと」
曽根の狂気を孕んだ瞳が大きく歪む。瞳の奥に激しい怒りが炎のように渦巻き、無数の破片を旋回させた。破壊の嵐が、再び動き出したのだ。
空気を引き裂き、唸りを上げる破片の渦の只中で、幸多は半身に構えた。
「きみは、無能者を見下せるほど有能なのか?」
「そうだっつってんだろ!」
曽根伸也が、怒号とともに両腕を振り上げ、振り下ろす。すると、その動きに合わせるかのように無数の破片が急降下し、けたたましい音を立てながら幸多に殺到した。
幸多は、瞬時に床を蹴っていた。
「有能な魔法士なら、この程度耐えられるはずだよ」
そう伝えたのは、幸多が曽根の下腹部に拳を埋め込んだ直後のことだ。
「てめっ――」
「さて、きみはどっちかな?」
幸多は、曽根伸也の返答を待たなかった。拳を振り上げ、曽根の体を天井高く吹き飛ばす。曽根の口から涎が飛び散る。
破壊の嵐が止んだ。空中に残っていたすべての破片が一斉に落ちてきた。
曽根が気を失ったからに違いなかった。
それから、思い出したかのように曽根の体が空中から落下してきた。その体を受け止めてくれるものはいない。そのまま、床に叩きつけられる。曽根が呻いた気がしたが、気のせいかもしれない。
すると、
「これはいったいどういうことなのっ!?」
教室に飛び込んできた
幸多は、教師と一緒にやってきた友人たちを見遣り、バツの悪い顔をした。
真弥も紗江子も蘭も皆、教室の光景を見て呆然としていたのだ。
「……事情は、わかったわ。でもね、だからといって暴力で解決しよとしては駄目よ」
小沢星奈が、努めて冷静に振る舞おうとしている様子が見て取れた。あの惨状を目の当たりにしたのだ。いまにもすべてを投げ出してしまいたいような衝動に駈られたのだとしても、だれも彼女を責めることは出来まい。
入学式翌日、つまり授業一日目にしてこれである。
大惨事も大惨事、大問題になってもおかしくはなかったし、大事件として報道されても文句はいえなかった。
それだけのことが、あの教室に起こっている。
「なにをされても黙って受け入れろっていうのかよ。相手はとびっきりの差別主義者だったんだぜ。時代遅れも甚だしい、クソみたいなよ」
圭悟が、後頭部を撫でながら、むすっとした態度で言い返した。彼の後頭部にあった傷は、すっかりなくなっている。
小沢星奈の治癒魔法のおかげだった。
彼女は、取り乱しそうになりながらも、生徒たちの傷の手当てを行ったのだ。そのおかげで圭悟もすぐに意識を取り戻したし、曽根伸也率いる三人組も、全員無事だった。そして、三人組は、別室にて教師たちに詰められている。
当然だが、今回の出来事の元凶は、曽根伸也であると学校側に認識されている。
そして、幸多の行動は、多少過剰ではあるが、正当防衛であると認定された。
「そこまでいっていないでしょう。冷静に考えなさいといっているの。大人がいるでしょう。大人を頼りなさい。大人は、あなたたちの敵じゃないのよ」
「相談すれば、対処してくれたっていうんですか」
「そうね。事と次第によっては、だけれど」
「ほーらな」
圭悟が、あきれたように幸多を見る。彼はまるで大人は信用できないとでも言いたげだった。
幸多たちは、第二校舎の一階にある対話室と呼ばれる部屋にいた。なにか生徒間で問題が起きた時、教師と生徒が対話するための部屋だという。
そんな対話室の質素な室内には、幸多と圭悟、蘭、真弥、紗江子が集められている。
曽根伸也とその下僕たち、北浜怜治、魚住亨梧は、教職員室で複数の教員たちが相手をしていた。どうやら曽根伸也の凶暴性は、天燎高校では有名だったらしく、教員たちはここぞとばかりに奮い立っているという話だった。
「でも、今回の話が本当だとわかったなら、すぐに対処したわよ」
小沢星奈は、圭悟の目をまっすぐに見つめ、いった。その表情には誠意があるように幸多には思えた。
「彼が魔法を使って皆代くんを攻撃したということが事実かどうか、警察部に調べてもらえばすぐにわかるのよ。そして、事実ならば、厳正に対処したわ」
彼女のいう魔法を使った攻撃というのは、昼間、幸多が転倒しかけたときのことだ。あのときは疑惑で済んでいたが、曽根伸也が言いがかりを付けてきたことで確信に至っている。
あれは、怪我をするほどのことではなかったにせよ、魔法による攻撃と認定される行いだ。
そして、それは犯罪行為にほかならない。
魔法を根幹とする社会において、魔法を用いた犯罪は、極めて重い罪に問われる。
だからこそ、圭悟は、あのとき魔法を使わなかったのだ。魔法を使えば遠距離から攻撃することだってできたのに、組み敷きにかかったのには、そうした理由があった。
いかに正当な理由があったとしても、相手を魔法で攻撃するのは、印象がよろしくない。
圭悟の相手をした魚住亨梧が魔法を諦めたのも、そのことが脳裏を過ったからに違いない。
魔法社会。
だれもが魔法を使うことのできる素晴らしい社会だが、同時に、だれもが凶悪なまでの殺傷能力を有している恐ろしい社会でもあるのだ。
故にこそ、攻撃的な魔法の行使は、必要以上に厳しく管理されなければならない。
そうでなければ、この社会の秩序は、容易く崩れ去ってしまう。
星奈が、嘆息するように口を開く。
「……彼がいくら曽根家の人間だとしてもね」
「先生……」
さすがの圭悟も、星奈の真摯なまなざしに心を打たれたようだった。
曽根家、と星奈はいった。
曽根家は、天燎財団の中でも結構な権力を持つ一族である。
星奈の発言は、だからこそ曽根伸也の存在が黙認されていたのだと言外にいっているようなものだった。
「だから、もうこんなことはしないと約束して欲しいのよ。もしまたなにかあれば、そのときは、わたしが全力で力になると約束するから」
それが、小沢星奈の最大限の譲歩だろう。
本来ならば、幸多の暴力行為は、たとえどんな理由があっても問題視されて然るべき行いだ。
場合によっては事件にだってなりかねない。しかも相手が曽根家の人間となれば、大問題として取り上げられてもおかしくはなかった。
だが、そうはならなかった。
小沢星奈のおかげだろう。
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