第3話 魔法不能者=無能

 曽根伸也そ ねしんやは、私立天燎高校に通っており、今年三年生になったばかりだ。

 天燎高校といえば、いまや央都で知らないものはいないほどの存在感を持つ天燎財団が運営する高校であり、通っている多くの学生が、将来的に天燎財団の系列企業に就職することを目標にし、あるいは内定しているという。

 内定済みの学生たちは、つまり、天燎財団と深い関わりを持つ家に生まれたとうことだ。そして、親が作った人生設計に従っている。

 曽根伸也も、そんな敷かれたレールの上を進むだけの人生の真っ只中にいた。

 親によって決められた人生、親によって定められた進路、親によって見繕われた職業。

 自分の人生を自分で決められるのは、一握りの選ばれた人間だけなのだ。

 曽根伸也はつくづく思う。

 人生は、生まれ落ちた瞬間に大半が決まるのだ、と。

 家柄がいいか、否か。

 家が裕福か、否か。

 愛情があるか、否か。

 そしてなにより、魔法が使えるか、否か。

「無能者如き、地に這いつくばってるのがお似合いなんだよ」

 彼は、渡り廊下ですっころんだ皆代幸多みなしろこうたの姿を脳裏に思い浮かべながら、吐き捨てるようにいった。結局、皆代幸多を転倒させることはできなかったが、辱めることは出来た。

 それだけで、多少なりとも溜飲が下がるというものだ。

「なあ?」

 曽根伸也が同意を求めると、下級生たちは恐れ戦くかのようにうなずき、目を伏せた。

 曽根伸也は、満足げにケタケタと笑った。

 正午、第二校舎の屋上には、曽根伸也とその下僕たち以外だれもいない。本来立ち入り禁止なのだから、当然といえば当然だろう。

 彼は、笑うのをやめると、眉間にしわを寄せた。

 なにもかもがつまらない。

 この狭い世界には、薄明るい絶望が横たわっている。



 昼休みが終わると、午後の授業だ。

 これも、幸多には問題のないものばかりだった。

 放課後になると、教室の女子生徒たちが集まってきて、またしても統魔とうまについての質問攻めにしてきたが、これを圭悟けいごが追い払った。

「統魔様人気も辛いな、おい」

「そうだね」

 さすがの圭悟も閉口気味にいってきたのは、これが連日続く可能性を考慮してのことだろう。

 皆代統魔について知っていることを教えて欲しい、という女子生徒たちの願いを叶えて上げたい気持ちもないではないが、やはり、統魔に迷惑をかけたくないという気持ちもあった。

 統魔に叱られるかもしれないということは、どうでもいいのだが。

「部活はどうすんだ、統魔様の御兄弟」

 圭悟が恭しく聞いてきたものだから、幸多は、口先を尖らせた。

「兄だから」

「へ?」

「ぼくが兄で、統魔が弟。そこんとこ、よろしく」

「そこは譲らないんだ?」

「譲れるわけないでしょ」

 当然のことだと、彼はいった。圭悟たちにはよくわからない話だ。

 真弥まやが思い出したように口を開く。

「そういや、同い年だったっけ。わたしたちと統魔様って」

「そうだね。206年6月5日生まれだよ、統魔も、ぼくも」

「へえ、同じ日に生まれたのか」

「ってことは、双子? だとしたら、似ても似つかないわね」

 そういった真弥の脳裏には、おそらく皆代統魔の顔立ちが浮かび上がっているに違いない。

 幸多と統魔。背格好こそ近いものの、顔立ちはまったく違っているのだ。

 幸多は丸っこく、統魔はしゅっとしている、という評判が子供の頃からあったし、いまもそれは変わらないだろう。

 ふたりとも黒髪だが、幸多の目の虹彩は褐色で、統魔のそれは暗紅色だ。目つきの鋭さでは統魔に軍配が上がり、全体的な柔らかさは幸多のほうがあるという評価は、母や親族の総意だった。

 そして、似ていないのは、当然だ。

「そりゃあ、血は繋がっていないからね」

 そこまでいうと、皆、黙り込んだ。さながら触れてはならないことに触れたかのような空気が流れたが、幸多は一切気にせずに続けた。

「統魔も話してるはずだよ、色んなインタビューでさ」

「そういえば……そんな話、聞いたことあるような気がしてきたわ」

「有名ですよね、皆代様の出自については」

「いまや隠し事なんてなにもできないからね。むしろ全部包み隠さず明らかにしたほうが、楽なんだと思うよ」

 幸多は、統魔の苦労についてしみじみと考えながらいった。

 有名人になるということは、痛くない腹も探られるということだ。どこで生まれ、どう育ち、どのようにして現在に至るのか、詳細に調べ上げられ、公開される。勝手に、望んでもいないのに。

 だからこそ、統魔は、ほとんどの場合、自分のことを包み隠さず話した。

 戦団の導士どうしは、ただの魔法士まほうしでもなければ、戦士でもない。戦団の広告塔であり、人気者であり、有名人でもあるのだ。

 まるで芸能人のような扱いを受けることだってままあり、アイドルのように歌って踊る小隊だって、存在する。

 故に統魔に対する世間一般の扱いも、有名人、芸能人のそれに近いものだったりもする。

 それが戦団導士の本分ではないのだが、仕方のないことでもある、と、統魔自身が語っていたことだ。

「……皆代統魔の家族も大変そうだな」

「そんなことないよ。ぼくも、母さんも、統魔のことを応援してるし、統魔に助けられてる」

 幸多は、遠い過去に想いを馳せた。統魔がなぜ戦団に入ったのか、そして導士として地獄のような戦場を戦い続けているのか、それは幸多が一番よく理解していた。

 だからこそ、幸多もいま、ここにいるのだ。


「部活には入らない、かな」

 幸多は、話を最初に戻し、告げた。部活動は、この天燎財団お抱えの高校でも、ごく普通に行われているという話は、進学先を決めるときに知ったことだ。

 競星、閃球、幻闘――三種競技をはじめ、様々な魔法競技に関連する部活動もあれば、趣味趣向に応じた様々な部活動があるという。

 ただし、それらは幸多には関係がない。

「ほう。その心は」

「対抗戦に出るし。部活なんてしてる暇ないよ」

 幸多は、大きく伸びをした。教室内には、もはや幸多たち五人しかいない。

「対抗戦に出るの? なんで?」

「戦団に入りたいんだってよ」

「戦団? 別に対抗戦じゃなくたってよくない?」

「あ、もしかして戦闘部に入りたいんですか? そんな無茶な」

「戦闘部!? そりゃ無茶だわ……」

 蘭と真弥が頭を抱えるような仕草を見せるのも無理からぬことだったし、紗江子が驚いたまま固まっているのも当たり前だ。

 幸多にとっては想定通りの反応だったし、圭悟ほどじゃなかっただけましともいえた。圭悟は大袈裟すぎた。もちろん、冗談めかしてのことではあるのだが。

 そんなときだった。

「あっはははっ」

 不意に、不快極まる笑い声が聞こえてきて、幸多たちは、顔を見合わせた。

 声は教室の出入り口からしてきており、そちらを見れば、男子生徒が立っていた。その鈍色の頭髪と常磐色の目は、幸多には見覚えがあった。

 第二校舎二階窓際から渡り廊下を見下ろしていた生徒。

「魔法も使えない無能者風情が戦闘部に入るだと。寝惚けたこといってんじゃねえよ」

 声も野太く、威圧するようにいってきた男子生徒は、ゆっくりと一年二組の教室に入ってくる。身長は平均的だが、体つきはしっかりしていた。一歩一歩が大きく、力強く、床を踏み潰さんばかりの勢いがある。

 彼の後ろからふたりの男子生徒がついてくる。そのふたりのなんとも所在なげな態度を見れば、ついてきたくてついてきたわけではないことがはっきりと見て取れた。

 男が進路上の机を押し退けるようにして歩いてくる。その目は、はっきりと幸多を見据えていた。

「魔法不能者はなあ、役立たずの塵なんだよ。社会に生かされているだけの能無しなんだからよ。違うか?」

「違わねえっす」

「っす」

 空虚な同意の言葉が教室内に響き渡る。そこには一切の感情が込められていなかった。鈍色髪の男に同意する以外、ふたりの男子生徒に取れる行動がないのだ。彼を慕っているわけでも、敬っているわけでもない。

 ただ支配されていて、どうすることもできない、そんな関係性が幸多にも見抜けるくらいだった。

 圭悟が胡乱げなまなざしを三人に向ける。

「なんだあれ」

「三年よね、あの徽章」

「そうですね、三年ですわ」

 真弥と紗江子の発言に従い、制服の胸元に輝く徽章を見遣る。徽章は、燃え盛る太陽を連想させる校章を元にされており、学年によって太陽光線の数が違うのだ。一年は三本、二年は四本、三年は五本の光線が、太陽から伸びている。

 そして、男の徽章は、五本の光線を放つ太陽だ。

「おうよ、おれは三年の曽根伸也だ。てめえら偽善者のくだらねえ仲良しごっこを見学に来てやったんだよ」

 いうが早いか、曽根伸也と名乗った生徒は、手近にあった椅子を蹴り飛ばした。

 幸多は、音を立てて転がる椅子には目もくれず、席を立つ。

「偽善者だあ?」

 などと冷ややかに問い質したのは、圭悟だ。彼も席を立ったかと思えば、拳を構え、臨戦態勢に入っていた。

「そうだろ。無能者と仲良くして上げてる自分は優しくて素敵で素晴らしい人格者って、てめえらの顔に書いてあるぜ」

 酷薄な笑みを浮かべる曽根伸也の顔を見つめながら、幸多は、彼がなにをそんなに怒っているのかと考えていた。怒りに歪んだ形相。悪意と憎しみが渦巻き、正常な判断ができなくなっているように見える。少なくとも、冷静ではない。

 だからなのかもしれない。

 彼の言葉は、幸多にはまったく響かなかった。聞こえてはいるし、頭の中に入ってくるのだが、心に残らないのだ。理解したつぎの瞬間には、頭の中から消えていく。

 いうなれば、ありふれた言葉だ。

 魔法不能者へのありふれた差別。

「そうなのか?」

「なんでぼくに聞くの」

「いやあ、そりゃあ、そんなことこれっぽっちも思ってねえからだろ」

「それはわかるけど」

 圭悟の言葉に嘘がないことは、彼が普段から歯に衣を着せぬ物言いをしていることからもわかることだった。だからこそ、彼の言葉は幸多の心に残るのだし、脳にも深く刻まれている。

 これでもし圭悟が内心では曽根伸也のいっているようなことを思っていたのであれば、幸多は、それこそ立ち直れないくらいの心の傷を負うかもしれない。

「つまらねえ、つまらねえぞお!」

 曽根伸也が顔面に青筋を立てながら、今度は机を蹴り倒した。激しい怒りがどこから湧いてくるのか、幸多には皆目見当もつかない。ただ、曽根伸也が先程以上の怒気を膨れ上がらせたことだけは、はっきりと理解できた。

「偽善者全員纏めて病院送りにしてやらっ!」

 曽根伸也の足下から床一面に波紋が走った。教室内の机という机が、椅子という椅子が、音を立てて跳ね飛ばされ、そのまま空中に浮き上がる。

 魔法だ。


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