第2話 友達

 皆代幸多みなしろこうたの高校生活は、始まったばかりとはいえ、順風満帆といっても差し支えなかっただろう。

 入学式こそ、ある意味では失敗に終わったものの、そのおかげもあってなのかどうか、友人と呼べる知り合いがひとりできたのだ。

 それだけでも十分すぎる収穫といっていい。

 なにせ、幸多は、この年になって初めて一人暮らしを開始したのだし、知り合いの一人もいない学校に通うのもこれが初めてのことだった。

 小学校も中学校も友人知人がいて、そのおかげで大いに助かったのは紛れもない事実だった。友人たちに囲まれていたからこそ避けられた困難もあったし、乗り越えられた苦悩もあったのだ。

 それが、天燎高校にはない。

 中学時代の友人たちとは、ばらばらになってしまった。

 大半が、成人した。

 央都は、十六歳を成人年齢と定めている。それは古くからの習わしだが、央都の場合は、一人でも多くの大人が欲しいという絶望的な現実に迫られた結果でもある。

 成人した友人たちは、それぞれが望む、あるいは妥協した職場で働いていることだろうし、幸多と同じように高校に進学した友人は、勉学に励んでいることだろう。

 幸多は、そんなことを想像しながら、天燎高校の校門を通り抜ける。

 壮麗な校舎は、真新しく見えるが、塗装したばかりでそう見えるだけのことだ。真っ白な校舎は、朝日を浴びて白く輝いている。

 四月。

 うららかな春の日差しの中、天燎高校の敷地内には合計三百六十名あまりの生徒のうち、何十名かが挨拶を交わしたり、話し込んだりしていた。

 空は、晴れ模様だ。雲が流れ、太陽は遠い。まだまだ気温は低いが、朝だから仕方がない。

「よお」

 声に振り向くと、真っ赤な髪が視界に飛び込んできた。制服を雑に身につけている様といい、際立って目立つ出で立ちなのが、彼らしい。

 米田圭悟よねだけいごだ。

「やあ」

 幸多も軽く返し、彼を待った。

「今日は遅刻しなかったじゃねえか」

「昨日はいろいろあったって、説明したでしょ」

「本当かどうか疑わしいぜ」

「あれだけ信じておいて、いまさらいう?」

「へっへっへ」

 圭悟と軽口を叩き合いながら校舎に入り、靴箱で上靴に履き替えていると、同じ教室の生徒たちと合流した。

「おっはよー、皆代くーん」

「おはよう!」

「おはようございます」

「あ、ああ、お、おはよう……」

 女子生徒たちにつぎつぎに挨拶されて、幸多は、多少なりとも困惑せざるを得なかった。圭悟が肩に腕を回してくる。

「いきなり人気者になったな、おい」

「さすがは統魔とうま様……」

「うんうん、統魔様人気は凄まじいな、まったく」

 圭悟が納得するのも当然だったし、そうした反応にも幸多はまったく悪い気がしなかった。

 むしろ、喜ばしく、誇らしくてたまらないのだ。

 とはいえ、統魔人気にあやかるのはよくないことであり、幸多は自戒することとした。迂闊に統魔の話をするのは、人気取りのように感じられるかもしれない。

 幸多は、別に人気者になりたいわけではなかったし、統魔の話題で注目を浴びたいという欲求もなかった。そのつもりならば、もっと積極的に利用したはずだ。だが、そうしなかった。

 それは、統魔に迷惑をかけたくないという想いもあるからだ。

 統魔は、央都随一の有名人であり、戦団期待の超新星なのだ。

 幸多の発言が統魔の経歴に傷を付けるようなことがあっては、面目が立たないし、合わせる顔がない。

「ま、よかったじゃねえか。これでおまえに突っかかる奴も少なくなるだろうしよ」

「そうかな。だったらいいけど」

「おうともさ。統魔様の御威光があればな」

「そんな神様みたいな奴じゃないよ、統魔は」

 幸多は、圭悟の大仰なまでの統魔の扱いに苦笑した。圭悟は茶化しているだけだが、実際、そのような評価をしているものがいたとしても、不思議ではない。

 皆代統魔の昇進速度は、異例中の異例なのだ。

 昨年四月に入団した統魔は、一年足らずで最下級の灯光級から閃光級に上がり、さらに輝光級にまで昇進してしまった。

 そしていまや小隊を率いる小隊長だ。

 活躍は凄まじく、日夜話題に事欠かない。

 そんな統魔と兄弟だったからこそ、幸多は一躍注目の的となったのだ。

 もし、幸多が統魔となんの関係もないただの魔法不能者であれば、扱いは違っていたことだろう。

 そんなことを考えながら玄関から教室に向かっているときだった。

「調子に乗んじゃねえよ、無能者風情が」

 幸多にだけ聞こえるくらい小さな声だった。男の、不機嫌極まりないといった様子の声。周囲には、発言者らしき男子生徒の姿はなく、圭悟も気づいている様子はなかった。

 それは紛れもなく、魔法不能者に対する差別である。

 が、幸多は、特段気にすることなく、圭悟に続いて教室に入った。

 幸多は、不能者差別に慣れていた。慣れすぎて、感覚が麻痺していたのかもしれない。

 一年二組の教室内には、全三十名の生徒のうち、既に半数ほどが集まっていた。だれもかれもがなにかしら話し込んでいる様子で、朝からにぎやかだ。

 幸多が自分の席に近づこうとしていると、通り道にいた女子生徒と目が合った。淡い水色の瞳だった。彼女は幸多に気づくと、その隣の圭悟にも気づいたようだった。軽く手を挙げてくる。薄色の髪が揺れた。

「おはよ-、圭悟、皆代くん」

「おう」

「おう、じゃないでしょ、そこは」

「おう」

「……まったく、そういうところ、全然変わらないわね」

「うっせえ。人間なんざ、そう簡単に変わるもんかよ」

 ぶつくさいいながら、圭悟が自分の席に座る。そんな様子を見守る女子生徒の姿は、いかにも慣れた態度そのものだった。長い付き合いなのかもしれない。

 幸多は、その女子生徒に挨拶を返した。

「おはよう、えーと……」

阿弥陀真弥あみだまやよ、よろしくね」

「あ、うん、よろしく」

 名前を覚えていないのは、彼女の自己紹介を聞いていなかったからにほかならない。仮に聞いていたとしても、すぐには出てこなかったかもしれないが。

 一方で阿弥陀真弥が、幸多の姓をはっきりと覚えてい流事に関する疑問はない。皆代という珍しい姓と、昨日の騒ぎを目の当たりにしていれば、忘れようもないだろう。

 席に着くと、阿弥陀真弥が右隣の席に腰を落ち着けた。昨日は気づかなかったが、どうやら隣の席だったようだ。

 彼女は、半ば呆れるような顔をしていってくる。

「凄いわね、皆代くん」

「え?」

「圭悟と一日で仲良くなれるなんて、天才かも」

「なにがだよ」

 机の上に足を投げ出しながら、圭悟が反発する。見るからに狂暴そうで不良染みた態度だが、真弥はまったくたじろがない。慣れた様子で言い返した。

「あんたの気難しさを考えれば、当然の結論でしょ」

「俺のどこが気難しいってんだ」

「そういうところだと思いますよ、米田くん」

「あぁ……?」

 圭悟が話に割り込んできた人物を睨みつけた。別の女子生徒である。若竹色の髪を腰当たりまで伸ばしており、ゆらりと揺れる様は優雅とすらいえた。

「本当、紗江子さえこのいうとおりなんだよねえ」

「はい」

 紗江子と呼ばれた生徒は、阿弥陀真弥の背後に回ると、後ろから抱きしめるようにした。指先で髪を撫でる仕草も手慣れた様子であり、撫でられる真弥もいつものことのように無反応だ。

「だってよ。どう思うよ、中島なかじま

 圭悟が話を振ったのは、彼の右隣の席の男子生徒だった。山吹色の頭髪をベリーショートにしていることもあって、年齢以上に幼く見える。

「そこでぼくに話を振るかな、普通」

「てめえの都合は関係ねえんだけど」

「またそういうことをいう」

「本当傲慢よね、圭悟ってば。皆代くんも仲良くなる人間は選ばないと駄目よ」

「それじゃあまるで俺が最悪の人選みてえじゃねえかよ」

「みたいじゃなくて、最悪なのよ、さ・い・あ・く」

「はあ!?」

 ついに取っ組み合いの喧嘩を始める圭悟と真弥だったが、だれもふたりを止めなかった。教室内の他の生徒たちも唖然としている。

 幸多も最初こそ驚いたものの、すぐに仲良くじゃれ合っているだけだとわかった。

「なんだか賑やかだな」

「はい、本当に」

 幸多に同意した紗江子は、ふと気づいたようにこちらを見た。

「ああ、申し遅れました。わたくし、百合丘ゆりおか紗江子といいますわ、皆代くん。どうぞ仲良くしてやってくださいね」

「よ、よろしく」

 優美にお辞儀をしてきた百合丘紗江子に対し、幸多は、ただただたじろいだ。あったことのない種類の人間だった。

 上品さと高貴さを持ち合わせた、まさに上流階級そのもののような少女。彼女が関係しているかはわからないが、百合丘という姓には聞き覚えがあった。天燎財団に深く関わる家柄だったはずだ。

 すると、中島と呼ばれた少年が幸多に話しかけてきた。

「ぼくは中島らん。米田くんたちとは小学校からの付き合いなんだ」

「たちってことは、もしかして全員?」

「そう、この四人全員」

「それは……凄い」

 幸多は、中島蘭の説明に素直に感嘆を覚えた。

 もっとも、小学校から高校まで付き合いを続けるというのは、別段、珍しいことでもない。

 狭い世界だ。

 どこにいたって、どの学校に通っていたって、繋がり続けることは難しいことではない。

 だが、小中高と、同じ学校に進み続けるというのは、ありふれたことではなかった。少なくとも、仲の良い友人であっても、同じ学校に通いたいからという理由で天燎高校を選択するというのは、なきに等しい。

 四人が四人とも天燎財団系企業に就職したいというのであれば、理解できないことではないし、おそらくはそうなのだろうが。

 だとしても、中々あることではなかったし、その珍しさには羨ましさすらあった。

 しかも、四人が四人、同じ教室に揃っているのだ。それは四人にとっても喜ばしいことだったに違いない。こうしてじゃれ合っているのがなによりの証拠だ。

「まあ、ただ単に家から近いっていう理由で選んだんだけどね。引っ越すのも面倒だし、遠いのもやだし」

「なるほど」

 中島蘭の補足に納得しつつも、だとしても、中々あることではない、と、幸多は思った。

 それから教室に生徒が揃った頃合いに、担任の小沢星奈が入ってきた。

 つつがなく授業が始まり、進んでいく。

 幸多は、天燎高校の授業に問題なくついていけていた。入学試験に合格したのだから、なんの心配もしていなかったが、ついていけるという事実は自信になった。

 問題があるとすれば、魔法学だが、それも大したことではない。

 魔法不能者は、どの学校にもひとりやふたりいるものだ。


 そして、昼になった。

 そうしたら、圭悟が話しかけてきた。

「昼飯はどうすんだ?」

「どうしよっかな」

 いいながら、なにも考えていなかったことに気づく。天燎高校に給食はない。昼食は自分で弁当などを用意するか、購買部で食べ物を買うか、学生食堂で済ませるかの三択だ。

 もちろん、なにも食べないという第四の選択肢は、幸多にはない。

「ここの学食って安くて美味しいって評判だよ」

「天燎グループは、食品分野にも手を伸ばしていますし、そのおかげでしょうか」

「そうらしいよ」

「さすが天性のオタク、なんでも詳しいねえ」

「オタクならなんでも詳しいっていうのは偏見だよ、偏見」

 中島蘭が口先を尖らせながら圭悟に抗議する。

「へえへえ、悪うござんした」

「本当、仲いいね、皆」

「きみだって、もうとっくに打ち解けてるじゃない、圭悟と」

「そうかな」

「そうよ」

 何の気なしに断言する真弥だったが、その何気なさが幸多には心地よく響いた。真弥にとっては、圭悟と幸多が仲良く見えていたということは、悪い気がしない。

 本当のところ、どうなのかはわからないにせよ、だ。

「じゃあ、学食で食べよっかな」

「よっしゃあ、奢りだあ」

「なんでだよ」

「統魔様のご兄弟であらせられるのでありましょう?」

「なんでそんな妙なへりくだり方なんだよ」

「冗談だよ、冗談。昼飯代くらいあるさ」

「なかったら心配だよ」

 幸多は、圭悟の軽口に付き合いきれなくなりながら、席を立った。

 圭悟たち四人とともに教室を出て、第二校舎一階にある学生食堂に向かう。

 第一校舎と第二校舎は渡り廊下で繋がっており、幸多たちも渡り廊下を使って第二校舎に向かっていた。

 第一校舎から渡り廊下に至るまで、全体的に新築のような綺麗さがあった。埃一つ落ちていないというのは言い過ぎにしても、汚れ一つ染み一つ見当たらないのは、素晴らしいというほかない。

 新学期が始まるに当たって、学校全体を清掃したのかもしれない。

 そんなことを考えながら歩いていたからだろうか。

 幸多は、不意に足がなにかにぶつかったような感触を覚えて、こけた。床に顔面からぶつかりそうになるのを右手で体を支えて回避し、腕の筋肉とバネでもって飛び上がって宙返りする。着地すると、拍手が起きた。

「おおっ、曲芸か!? 曲芸師でも目指してんのか!?」

 圭悟が囃し立ててくる。

「んなわけないでしょ」

「わーってるっての。で、どうしたんだ? なにかあったのか?」

「いや、蹴躓いただけだよ」

 たぶん、と、胸中で付け加えながら、足下を見る。なにもない。汚れひとつない磨き上げられた床は、差し込んでくる日光を反射してさえいる。

 周囲を見回す。

 食堂に向かっているのは、幸多たちだけではない。ほかにも何人もの一年生が渡り廊下を歩いていて、その視線が、幸多に集中していた。圭悟が騒ぎ立てたからだけではないだろう。

 だれであれ、突然飛び跳ねれば、注目されるものだ。

 それら視線の中になにか意図や意志を感じるものはなかった。

 ただ、こちらを見ず、笑っているものが第二校舎二階の窓際にいたのを見逃さなかった。

(あいつか)

 幸多は、その男子生徒の後ろ姿を見つめ、確信した。鈍色の頭髪はやや短めで、背格好は平均的男子高校生に見える。

 拍子に、男子生徒がこちらを見下ろしてきた。

 渡り廊下は、一階にも二階にもあり、二階の渡り廊下は一階の渡り廊下の屋根になっていた。そして、渡り廊下には壁がないため、角度によっては、第二校舎の二階から丸見えだった。

 目つきが鋭く、常磐色の瞳には怒りさえ滲んでいるようだった。

 幸多の視線に気づいたからだろう、彼はすぐに目を背け、窓際を離れた。その男子生徒には、数名の男子生徒が付き従っていることも、見て取れた。

「なにしてんだ、早くしねえと席がなくなるぞ」

「ごめんごめん、すぐいくよ」

 急かす圭悟に返事をしながら、幸多はもう一度足下に目を遣った。なにもない磨き抜かれた床。おそらく、いや、まず間違いなく、先程の生徒が魔法を使って、幸多を転倒させたのだ。

 そして、今朝聞こえた声。

 あれもまた、魔法によるものだと考えれば納得が行く。

 魔法は、旧時代において真理の如く扱われた物理法則を黙殺し、無視し、蹂躙するものなのだ。

(なんのために?)

 そんな疑問には、瞬時に明確な回答が浮かぶ。

 幸多が、魔法不能者だからだ。

 それ以外には考えられない。

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