第37話 バレンタインデー2
寄宿舎へ帰る道すがら、中庭を通って校舎と寄宿舎を次ぐ小道を歩いていると、視線の方、中庭の一角に数人の人だかりができているのが見えた。そこはたまに私達がお弁当を持ち寄って休憩している、薔薇がたくさん植えられた噴水のある区画だった。噴水の前のアーチに腰掛けているのは、王子だった。数人の女子たちに囲まれて何やら話し込んでいる。
そっか、今日はバレンタインデ―だもんね。私は一人理解した。彼は、囲まれた女子たちから一人ずつ、思い思いのチョコレートを受け取っている。こうして傍から見ていると、彼は単なる優等生の、心優しい好青年に見える。まるで私が一時期生活をともにした彼とは別人のよう。夢でも見ていたかのようだと、私は感慨にふけった。
もし、あのままの生活が続いていたら、私も今日彼にチョコレートを渡していたのだろうか。いや、そもそも私達はそんな関係ではなかったし。鞄の中にしまったガトーショコラのことが少しだけ頭を過ぎったけれど。思い出すとつらいから、私は気持ちを切り替えて寄宿舎へと戻っていった。
人気の少ない校舎裏を通って、本校者の向こう側まで行くと、その先には背の高さまで生い茂った垣根がある、垣根に沿って更に進んでいくと、寄宿舎のエントランスにつながる、建物の前には送迎車の乗り入れ口があり、裏側は外出用の出入り口とか、駐車場とかにつながる。
エントランスまでもう少しというところで、不意に後ろから声をかけられた。
「かれんちゃん。」
肩をぽんと叩かれて、振り返ってみると、そこにはいつしかの王子がこちらにはにかんでいる。
「久しぶり。元気にしてた。」
彼は他意のない穏やかな笑顔を浮かべていて、声色はいつもよりも静かだった。
そんなふうに笑いかけられると、なんて答えたらいいかわからなくなる。
泣きそうになるし、今すぐにでも逃げ出したい気分だけど、私はそれを飲み込んで彼に笑い返した。
「ひさしぶり。」
私のたった一回の過ちのせいで、こんなにもぎこちない関係になるなんて、思いもしなかった。私は過ぎ去りし日の思い出が脳裏をかすめていく衝撃に耐えて平然を装っていた。
彼はしばらく答えずに、なんというべきか迷っているように見えた。
「ちゃんと謝るべきだと思ったんだ。クリスマスの夜のこと。」
「いいの。気にしないで。」
私は即答した。あの夜のことをもうこれ以上思い出したくない。
「実は、あのあとブラッドから聞いたの。学園をやめちゃうんでしょう?」言いながら胸が傷んだ。
「でも、そうだとしても神崎くんが考えた上で出した結論であれば。私は受け入れるよ。だから、気にしないでほしい。」
彼はブラッドからという下りを聞いたあたりで目を見開いた。
そして、一瞬だけ、ものすごく悲しそうな表情を浮かべたけれど、何も答えなかった。
「そうか。ならいいんだ。」
すごく冷たい口調でそう言って、彼はまた脇を通り抜けて行ってしまおうとする。
「待って__。」
と言いかけたはいいものの、その後の言葉が続かない。引き止めてどうしようというのだ。ブラッドからのプロポーズは断ったことを話す?。それとも告白を取り消す。でも何をしてももう起きてしまったことは取り返せない。
ふと、さっき授業で作ったガトーショコラのことを思い出した私は、モゾモゾと鞄の中のそれを取り出した。
「あの、これ、授業で作ったんけど。私はさっき食べちゃったから。よかったら。」
どうしてこんなことをしたのか自分でも理解ができないでいた。だって、たった今彼がたくさんの女の子からチョコレートをもらったのを見ていたのに、こんな私の、授業で作ったあまりみたいなものを、不意に渡されても迷惑に決まっているのに。
またしても余計なことを言って後悔しながら、恐る恐る差し出したそれを、彼は受け取った。意地悪そうな、あのいつもの笑みをして。まるで私がこんなしおらしく大人しくしていることが面白くて仕方がないみたいに。
「ありがとう。」
そう言って、彼は寄宿舎へと戻っていった。
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