後編
「はぁぁっ。何で引き受けちゃったわけ!?」
「そんなに大声を出さないでよ。うるさいわね」
私は両耳を覆ってしかめ面をしてみせる。浅瀬ったらうるさくて仕方ない。もう夜だというのに一体どこにそんなパワーがあるというのか。
浅瀬睦美は大きい瞳と形の良い唇から、多少可愛いと言えなくもない。真っ黒で背中まである長髪を毎日ポニーテールにしている。よく動くから、自然と髪にも目が向く。考えるよりまず行動という、私とは真逆のタイプ。それを象徴するかのように、白のシャツに水色のカーティガン、黒のスキニーパンツというカジュアルな出で立ち。水色が好きなのか、シュシュも水色の物を使っている。
浅瀬は机の上にある資料の束を見つめ、わざとらしく大きな溜息を吐いた。私は何となく気まずくなって、慌てて言い訳を始める。
「し、仕方ないでしょう。後輩が困っているのに放っておけないじゃない。これは他の部署にも回す資料だし、今日中に終わらせないと迷惑が掛かるわ」
「ほんと、深鈴って真面目だよね」
「私は真面目よ」
馬鹿にされたのかと思い、少しむっとして答える。私を気遣って飲みに誘ってくれたのは分かってる。でも、仕事が優先だ。個人的な事情を理由に仕事を蔑ろにはできない。
請け負った仕事はそれほど多くない。すぐに終わる。それを伝えようとパソコンから浅瀬に視線を移す。しかし、彼女は企画部の部署から廊下へ出る扉に手を掛けていた。
「ちょ、ちょっと、どこ行くのよ。一緒に飲みに行くんでしょう」
「へ~、深鈴ってそんなにあたしと飲みに行きたかったんだ~」
「違うわよ。あなたの奢りだって言うから行くだけよ」
「あっそ」
それだけを言い残して、浅瀬は部屋から出て行った。扉の閉まる音だけがフロア内に響く。
今や、ここには私一人。照明はこの机の周りしか点けていない。少し薄暗い社内が急に不気味に思えてきた。
「早く終わらせて帰ろ」
小さく呟いてみる。この部屋には誰もいないのだから、返事など聞こえるはずがない。
それからいくらか作業を進め、すぐに終えることができた。これなら、この資料を次の部署に回しても問題ないはず。
「よし、終わったわ!」
「お疲れ」
小さく呟いてみる。この部屋には誰もいないのだから、返事など・・・・・・って、え? 聞こえた!?
私は髪が乱れるのも構わずに高速で振り向いた。その途端、頬に冷たい何かがあたる。
「ひゃっ」
「『ひゃっ』だって。可愛いじゃん」
「浅瀬ぇ。やってくれたわね」
真横の椅子に座った浅瀬を思いっきり睨む。彼女はこちらの視線も気にせず、大口を開けて笑っている。こういうところがむかつく。
文句の一つでも言ってやろうと口を開きかけた時、目の前にアルミ缶が差し出された。
「これって、ビール?」
「わざわざコンビニで買ってきたんだから感謝しなよ」
「だから、なんで上から目線なのよ」
「深鈴に言われたくない」
浅瀬が差し出したビール缶を「ありがとう」と言って受け取る。ビール缶は思ったより冷たく、さっき頬に当たった何かがこれだと分かった。
いつもなら会社でお酒を飲むなんてって怒っただろうけど、今日だけは。
左手で缶を持ち、右手でプルタブを開ける。すると、またまた浅瀬が目の前に缶を差し出してきた。それも、既にプルタブを開けた自分のお酒。
「何、このお酒。こっちも飲めって言うの」
「違うわよ。お互いにまだ口つけてないんだから、やることは一つでしょ」
「一つ?」
「もう。察しが悪いなぁ」
ぶつぶつ言いながら、持っている缶を私の缶にぶつけてきた。缶だけに、というわけではないが、カーンッというアルミの音が耳に届く。
「はい、乾杯」
「え、ああ。乾杯」
浅瀬に合わせて私も乾杯と口にする。その流れでお酒を流し込んだ。冷たい液体が喉を通る瞬間が心地よい。いろいろなことで疲れた体に染み渡る。
これで、何もかも忘れられたら良いのに。
私がビール缶を机に置く横で、浅瀬がレジ袋を漁り始めた。最初はガサガサやっていたが、しまいに面倒くさくなったらしい。レジ袋を逆さにして、中身を全てぶちまけた。ビール缶が落ちそうになり、私達はギリギリで受け止める。
「深鈴、ナイスキャッチ」
「『ナイスキャッチ』じゃないわよ。一つずつ出せば良かったでしょう!」
「まぁ、そう褒めるなって」
「褒めてない。怒っているのよ」
受け止めたビール缶を机に置きながら、今度は私がぶつくさ言う番だ。浅瀬は全く悪びれる様子もなく、ニヤニヤしている。
「ごめんって。これで機嫌直してよ。おつまみいっぱい買ったんだから。しかも、ぜ~んぶあたしの奢り」
「あ、ありがとう・・・・・・って、このおつまみのチョイスはないわ。全部スルメって、ありえない。可愛くない」
「可愛くないって、おつまみに何求めてるのよ。ってか、せっかく買ってきたのに文句言うな」
「文句じゃなくて意見よ」
私達はしばらく睨み合っていたが、同時に吹き出した。一度笑い始めると止まらない。二人でどれほど笑っていたかは分からないが、止まった時には腹筋が痛かった。最悪。
会えば喧嘩。おつまみという些細なことでさえ好みが合わない。きっと浅瀬のことは一生理解できない。彼女だって私のことは一生理解できない。
なのに、腹筋が痛くなるほど一緒に笑えるのはどうして? 今だって、面白い話は何一つしていない。喧嘩を始めただけなのに。
私は深呼吸をして、浅瀬の顔をしっかり見据える。これは、ちゃんと伝えないといけないことだから。
「浅瀬」
「何?」
「ありがとう」
決死の感謝の言葉にも関わらず、浅瀬は笑い出した。本当に失礼なやつ。でも、それはいつもの馬鹿にした笑いじゃなくて・・・・・・。
「やっぱり深鈴って真面目」
再び顔を見合わせて大笑い。きっと、二人とも酔っていたのよ。ただ、それだけのこと。
それにこいつ、感謝の言葉を言ってやったのにこの態度。本当、なんなのよ。浅瀬って意味わかんない。理解できない。
だから、私からも言ってやった。
「何度も言わせないで。私は真面目よ。浅瀬よりもね」
ビール缶を手に取って、大量のスルメと共に口へ放り込む。それを見た浅瀬は気味悪く笑い始め、同じようにビールとスルメを飲み込んだ。
う~ん、やっぱり―。
「やっぱり、おつまみが大量のスルメだけって可愛くないわ」
「だぁかぁらぁ、この企画をするにはデータが足りないって言ってんでしょ」
「この企画でデータが取れれば、企画を通して商品を買ってもらえるし、追加のデータも得られる。この前の会議でも話したわ」
ここは企画部の会議室。前回と同じ、平行線の話し合い。というか、意見のぶつけ合い。周りの者はまた始まったとばかりに目を逸らしている。
対峙しているのは私と浅瀬睦美。
この前の恩があるからって、妥協して意見を合わせたりなんかしない。彼女がそれを望んでいないことくらい分かるから。彼女の、浅瀬のことがほんの少し分かるようになったから。
完全に論破してやる。浅瀬に納得させて、私の意見に同意させてやる。
私は悪戯っぽい、挑発的な笑みを浮かべて浅瀬を見た。
「浅瀬、一石二鳥って言葉知ってる?」
嫌いな腐れ縁は会社の同僚 咲谷 紫音 @shionnsakuya
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