嫌いな腐れ縁は会社の同僚

紫音咲夜

前編

 だって、ここは会社の屋上で、あそこにいるのは誰よりもプライドの高い同僚で―。

 あたしは、目の前の出来事を信じられずにいた。



「だぁかぁらぁ、この企画だとデータが足りないって言ってんでしょ。少ないデータでこの企画を通すのは無理よ」

「足りないデータを放置しても足りないままよ。この企画なら、売り上げも出るし、追加のデータも得られる。

 浅瀬、一石二鳥って言葉知ってる?」

「何ですってっ!!!」

 あたしと深鈴は会議机を挟んで睨み合っている。視線の圧力と言葉の応酬。止めに入ろうとする社員は一人もいない。皆、このやりとりに慣れてしまったのだ。

 今回深鈴が出した企画は、雑貨チェーン店〈ファンシー・ベア〉の新たなターゲット層を開拓するもの。しかし、〈ファンシー・ベア〉は中学生~大学生の女子をターゲットにしている。急に商品の方向性を変えても、他のお客様が買ってくれるとは思えない。

 声を上げて勢いよく発言するあたし。涼しい顔で冷静に発言する深鈴。全てが正反対。なのに、深鈴の存在はついて回る。それも、二十五年という長い時間。

 あたし達は幼稚園からの腐れ縁なのだ。

 幼稚園から中学までが同じなのは分かる。学区が同じなら学校も同じになるからだ。しかし、高校、大学ときて、就職先まで同じになるのは理解できない。

 生きていれば、馬が合わない人間と出会うこともある。全人類と考え方や志が同じになるなんて無理に決まっている。しかし、ここまで合わない人間と二十五年も一緒になるとは何事なのか。

 あたしと深鈴の間にはバチバチと火花が散っている。話し合いは一方通行。これ以上議論が進むとは思えなかった。

 この状況を見かねた部長が間に割って入る。

「とりあえず、今日の会議はここまで。今の話し合いを踏まえて、各々が自分の意見をまとめておくこと。良いね?」

 部長が会議室に揃う顔を順番に見回していく。全員が頷いたのを確認し、それぞれの仕事に戻るよう指示を出した。

 深鈴華蓮は誰もが羨む美貌を兼ね備えている。肩下までの栗色の髪は、毎日綺麗に巻かれている。白のブラウスに膝下のロングスカートは、見た目の上品さを何段階もアップさせている。頭の回転が早く、仕事はできる。外面が良いため誰に対しても優しい。本人には言わないが、誰よりも真面目に仕事をするところは認めている。

 あの高いプライドさえなければ、深鈴は完璧なのだ。

 そんなことを考えながら、屋上への扉を開く。午前やる予定だった仕事が終わったので、一足早く昼休憩を取ることにした。右手にあるコンビニ袋が小さな音を立てる。

「ね、ねぇ、待ってよ。それはおかしいじゃない。私がどれだけ尽くしてきたと思ってるのっ!!」

 突然、甲高い声が耳を貫く。それは悲鳴とも、絶叫とも取れるような声。縋るような悲しい声に、あたしは興味をそそられた。野次馬根性というやつ。

 言い争っているようだが、相手の声は聴こえない。多分、電話だろう。

 声の正体を突き止めるため、気づかれないようにこっそり近づく。幸い、屋上にはあたしと声の主しかいない。

 結果は成功。声の主に気づかれることなく、近づくことができた。向こうから見えないように、建物の影から覗き込む。

「い、いや。ちょっと待ってよっ! お願い、お願いっっっ!!!」

 ツーツー

 悲痛な叫びとともに通話の切れる音がした。いや、正しくは聴こえた気がする。あたしは、声の主の顔を見てそれどころではなくなった。

 だって、ここは会社の屋上で、あそこにいるのは誰よりもプライドの高い同僚で―。

「ふか・・・・・・すず・・・・・・?」

「っ!!」

 思わず目の前の声の主、深鈴華蓮の名を呼ぶ。彼女は相当驚いたようで、大きく肩を震わせた。そのまま数秒の沈黙。深鈴は覚悟を決めたようで、栗色の髪をなびかせながら振り返った。

 美しいはずの彼女の顔が、涙でぐちゃぐちゃになっていた。

「え、あ、ごめん。盗み聞きするつもりはなくて・・・・・・。その、大丈夫?」

「これがっ、これが、大丈夫に見えるのっ!」

「そ、そうだよね。ごめん」

 気まずくなって、地面へと視線を落とす。太陽の光が反射して、コンクリートがきらきらと輝いている。

「十秒。十秒ちょうだい」

「は」

 深鈴は掠れた声で謎の宣言をしてきた。あたしは言葉の意味が分からず、間の抜けた声を出す。彼女はそれを無視して大きく息を吸い込んだ。

「うっ、うわぁぁぁぁぁんっっ!!!」

 次の瞬間、耳が壊れそうなほどの泣き声が屋上を支配した。彼女からの風圧であたしの髪がなびいた気がする。

 きっかり十秒。

 彼女が宣言した十秒とは、泣く時間だったらしい。たっぷり十秒間泣き続けて、すぐに黙った。今の深鈴は冷静で、こちらが面食らってしまうほどだ。

 彼女がハンカチで涙を拭くのを待ち、恐る恐る話し掛ける。

「十秒でよく泣き止んだわね」

「第一声がそれ? 社会人なんだから、指定した時間は守るわよ」

「そういうことじゃないんだけど」

 これは心配して損したかもしれない。全く見当違いの回答に呆れてしまう。

 いくら泣き止んだと言っても、彼女の強気な表情にはいつものキレがない。瞳は赤く、瞼が腫れている。化粧は崩れ、頬には涙の痕があった。

「何があったのか教えてよ」

「は」

 あたしは無意識の内に口走っていた。今の言葉を予想していなかったのか、今度は深鈴が間の抜けた声を出す。それはそうだ。あたしと深鈴の仲は、気が合わないとかの次元の話じゃない。

 なのに、どうして声を掛けたんだろう。本人に分からないのだから、深鈴に分かるはずがない。

 自分の性格が世話焼きだから、ということにしておこう。

 誰に聞かれるでもない言い訳をして、じっと深鈴の瞳を見つめる。

「うっ・・・・・・。何よ、急に。そんなに私のことが心配なの?」

「そうだよ。深鈴とはまっっっったく気が合わないけど! むしろ嫌いまであるけど」

「本人を前にして言わないでよ」

 仕事のできる深鈴が絶妙なタイミングでツッコミを入れる。

「でも、絶対に人前では弱音を見せないあんたが会社で泣いていたのよ。いくら嫌いでも心配くらいするわよ。

 ちゃんと聞いてあげるから話してみなよ。スッキリするかもしれないし」

「さっきから私の悪口を言いたいのか悩みを聞いてくれるのか、よく分からないんだけど」

「悩みを聞くって言ってるでしょ」

「言ってないわよ。いや、言ってるんだけど。ちょいちょい私への悪口を挟んでくるのが気になるのよ」

 呆れ顔で腕を組んだ深鈴は、ふいっとそっぽを向いた。あたしが気を遣って聞いてやったのに、この態度。そう思いつつ、普段の深鈴の様子にほっと胸を撫でおろす。これだけ強気な態度とキレのあるツッコミがあれば、問題ないだろう。

 あたしは室内に戻るため、扉の方へ体を向けた。

「あ、待って」

 思いがけず呼び止められて、踏み出した足を引っ込める。後ろを振り返ると、深鈴の切ない表情が飛び込んできた。

「何よ」

「結婚の約束をしていた彼と別れたの」

「・・・・・・は、はぁ!?」

 信じられなかった。

 誰もが羨む美貌を持ち、真面目で、意外と優しい深鈴が別れただって!?

 あたしは大口を開けたまま深鈴を見つめ続ける。掛ける言葉を見つけられず、喉から声が出せなかった。

「浮気されていたのよ。

 彼が怪我したっていうから、結婚資金のために私だけ働いた。彼の家に家事をしに行ったりもした。

 はぁ。浮気にも嘘の怪我にも気づけないなんて、相当間抜けね」

 深鈴は嘲笑的な笑みを見せる。

 電話で「我慢して尽くしてきた」と言っていた。深鈴が必死に頑張ってきたことは、他にもあるのかもしれない。彼女は変に真面目だから。

 プライドが高く、気が強い深鈴が屋上で泣くくらいだ。相当好きだったんだろうな。

「どう? 話を聞いても面白くないでしょう? 浅瀬にとっては滑稽かもしれないけどね」

 大きく鼻を鳴らす彼女の顔は、苦悩に満ちていた。いや、いっそ馬鹿にしてくれと縋るようにも見えた。

 あたしは、この一言を言うために大きく深呼吸をする。

「よし、深鈴。今日は飲むわよ」

「は。飲むって、あなた何言って―」

「あたしが奢るって言ってんだから、素直に従いなさい」

「なんで上から目線なのよ」

 ぶつくさ文句を言う深鈴を説き伏せ、今日の夜は会社の近くで飲もうという話にした。幸い今日は金曜日。〈ファンシー・ベア〉は土日休みの会社だ。それに、あたし達の家は会社の近くにある。次の日を気にせずゆっくり飲める。

 顔を洗って戻ると言った深鈴とは、屋上で別れた。

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