ビルの屋上は銀河

ビルの屋上は銀河

 ブツブツブツ…

「…明るい明日……?」

 ブツブツブツ…

「…輝ける未来……?」


 他人ひとが俺を奇妙なモノでも見るように、蔑んだ目で見て、関わりたくないとばかりに避けていく。


 ブツブツブツ……


 俺は他人それを気にも留めず、ヨタヨタと歩を進める。他人など、今の俺にとっては視界に映る背景…いや、背景を彩る色のようなモノでしかない。


 ブツブツブツ……

「…何が宇宙だ……!」

 ブツブツブツ……

「…何が銀河だ……!」

 ブツブツブツ……

「…糞っ…! ……くそっ! …くそっ!!」

 バシッ!!

 俺は持っていた雑誌を力強く地面に叩きつけ、グッとその雑誌を睨み付けた。

「……」

 叩きつけた雑誌がある頁を開いていた。先刻さっき見た特集記事だ。

『アルテミス計画』。もう一度月へ人を送り出し、今度は人を駐留させ、ゆくゆくは月を中継地点として、火星へも人を送り出す。

『……宇宙へ、星々の輝く銀河へ!』

 記事はそう締め括られていた。

 要は人類には明るい未来が待っているといったような事が書かれている記事だ。

 俺は明日どころか、今日を必死に生き延びようと、文字通り地面を這いずり回って生きているというのに……!!!


 ブツブツブツ……

 俺はまた歩き出した。


「……」

 俺は高層ビル群の影に、ひっそりと隠れるように立つ、小さいビルの前に立っていた。

 …低いな……

 そのビルは5階建てで、周りの高層ビルはその数十倍の高さを誇っている。ビルの周りには黄色と黒に塗られた金網が張り巡らされており、その入口となる金網には、ちっぽけな南京錠がかけられていて、人の侵入を健気に防いでいた。取り壊しが決まったまま放置されている廃ビルだ。

「……」

 あれはバブルが弾ける少し前だったか…上司から任されて、初めて、そして唯一関わったビルだった。完成した時には、既に周りの高層ビルが建っていたが、俺は誇らしかった。始めの一歩。ここから始まるんだと、希望に満ち溢れていた。


 俺は地面を見回し、手頃なコンクリート片を見つけると、南京錠を叩き出した。

 ガッ、ガッ、ガッ、……

 ゴトン

 小さい濁音の、申し訳程度の音を立てて、南京錠は数回の衝撃で地面に落ちた。

「……!」

 ワナワナと、理由のわからない怒りの衝動が込み上げてきた。

 グッ! グッ! グッ!

 何度も落ちた南京錠を踏みつけた。既に石畳が剥げて露わとなった土の中に、南京錠が埋まっていく。

 ハァ、ハァ、ハァ、……

 どのくらいそうしていたか、俺は肩で息をして埋もれた南京錠を見つめていた。

「……!」

 怒りは何も治まりはしていなかった。

 俺は視線を前方の金網へと移し、勢いよく開いて中へ入ると、開いた時と同様に勢いよく金網を閉めようとし、…怒りを必死に押さえ込みながら、音を立てないように静かに閉めた。人通りの少ない裏路地とはいえ、目立つのは良くない。これから立ち入り禁止となっている廃ビルに忍び込むのだ。

 入口の扉は鍵もかかっていなかった。中は薄暗い。右手に階段があったはずだが…、俺はポケットをまさぐり、ライターを取り出すと火を点けた。雑誌同様、道端で拾った安物のライターだ。ライターの明かりに照らされたビルの中は、瓦礫で埋もれ、埃をかぶり、所々鉄骨が剥き出しとなっていた。いかにもな廃ビルだ。

「……」

 俺はしばらくその光景を眺めた後、やはり瓦礫や埃だらけで、所々鉄骨が剥き出しとなっていた階段を上って行った。

 酷い有様だな……

 そんな事を思っていたが、ライターの明かりに照らされた階段を上る俺のズボンは、膝が真っ黒に汚れ、裾はボロボロ、よくわからないシミがあちこちに張り巡り、腰に下げたタオルは所々穴が空き、茶色く変色し、薄っぺらく、クタリとしていた。白のランニングシャツはやはり穴だらけで、タオル同様に変色し、くたびれている。着ているモノだけではない。中身も同様だ。薄汚れ、くたびれ、……

「…フッ…フフッ……」

 自然と笑い声が漏れた。自嘲の笑いだ。お似合いじゃないか。実にここに馴染んでいる。


 屋上へと続く扉も鍵はかかっていなかった。屋上も下と同様だった。いや、外に剥き出しとなっている分酷かった。所々よくわからない草が生えている。俺は足元をならし、そこにゴロンと仰向けになった。

「……」

 周りの高層ビルにチラホラと明かりが点いている。どこかほんのりと温かい、俺を拒絶する光だ。

 星の瞬きなど見えやしない。俺には姿を見せる事すら拒絶すると言っているかのようだ。

「……!……!……、」

 視界がグラグラと揺れ、…そして歪んだ。

 涙などとうのむかしに涸れたと思っていたのに…

 いつからこうなった……

「…ウグッ…ヒック…」

 俺の嗚咽は、周りのビルに、夜の深淵に、存在も許さないというように吸い込まれていった。

 ここが俺の最高到達点だ。ここが、俺の銀河だ。


「……――――――!!!」


 俺の、あらん限りの慟哭を、俺の銀河は、その深淵の懐に、やはり存在も許さないと、冷たく吸い込んでいった。

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