ここではないどこかで「食べて、祈って、恋をして」(後編)

 大塚英志さんの『物語の体操』(星海社新書)を読まれた方はご存知かもしれませんが、昔話研究家の関敬吾さんの「成年式の反映としての昔話」という論文があります。

 成年式、とはそれまで子供として扱われていた個人が、一人前として社会から認められる儀式のことをいいます。

 昔話のパターンに、「それまで居た場所から隔離された仮の家に一定の間、身を置く」というものが多い。山姥の家で暮らすというパターンが頻発する。これが成年式のことを語っているのでは? と。


 行って、通過儀礼をして、帰ってくる。

 旅先で、いつもと違う風景、自分を感じ帰ってくると、家に帰った時、見方が違ったりする。つまり、変化している、というのと似ています。


 小説の人物は、「行って、何かを経験し、戻ってくる」ことが多い。この型を使えば、主人公の変化を描くことができます。

 もっと極端なことを言ってしまえば、だいたいの小説がこの構造です。


 主人公は未知の経験をすることになり、そしてそのなかでさまざまな経験をする、そして最後、これまでとは違う自分になっている。

 人生は旅、みたいなことを代官山の服屋が標榜していましたが(ここ最近まったく行ってないのですが、いまも言ってるのだろうか?)、まさに、小説は、同じ場所にいようとも、「旅」をしているようなものです。


 吉本ばななさんの「キッチン」は、この構造を用いています。

 主人公・みかげは育ててくれた祖母を亡くし、天涯孤独になってしまいます。住み慣れた家を出なくてはならなくなったとき、祖母がよく通った花屋で働いている男の子田辺雄一くんが、「うちにきませんか」と言います。そこではオカマ(作中表記)のお母さんがいます。三人で暮らすことに。彼女の喪失は簡単に癒えることではないけれど、この生活が、彼女を少しづつ、元気づけていく。

 続編では田辺家をでて、みかげは新たな生活を始めます。しかし冒頭、えり子さん(オカマのお母さん)が亡くなったことが伝えられ、みかげ同様天涯孤独になってしまった雄一のために、彼女は最後、「キッチン」では考えられなかったダイナミックな行動をとるのですが。

 まあ大体の人が読んでいると思われるので、ぼかさないでもいいのか?

 傷ついた人が一時身を寄せる場所、「人生」を再起動させる傑作です。

 実をいいますと、僕はかなり、吉本さんに影響を受けています。そう人にいうと「どこが?」と首を傾げられるのですが!


 朝井リョウさんの『何者』(新潮文庫)は、平成の青春小説最大の傑作だと思っています。多分だいたいの人が読んでいると思うのですが、というか就活のときには一応小説か映画を読んで、「なるほど、SNSでイキったり、自分を盛ったらいけないんだ」と学んだと思います(笑)。

 メインの人物五人は、大学生という気楽な稼業の最大難関「就活」に挑みます。それはこれまでの自分や、これまで考えていたことを改めなくてはいけない事態です。彼らは学生から社会人へ、「何者か」になれるのか? 就活という期間を終えた時、みんな以前の関係には戻れない。終盤のびっくりオチも含め、小説の構造としてかなり参考になります。

 ここでの成年式、つまり旅した場所は、「就活」という期間です。わざわざどこかに出掛けなくても、旅はできるのです。


 小説は自由ですので、人物を主人公だけしか書かないでも成立しますが、自分(主人公)以外の人がいるほうが、面白い。

 自分とは正反対の人物と出会い、なぜか一緒に行動を共にして、お互いを認め合うというバディものの典型もそうです。

 前回の「ロミオとジュリエット」もそうですが、出会いというものが、最大の事件になる。

 人間だけではありません。犬でも自然でも事件でも季節でもなんでも。とにかく人物を出会わせることが、大事です。


「食べて、祈って、恋をして」という映画がありました。人生ってどうしたって、その三つだったりするのです。すごくいいタイトルだなと思います。働くことも大事ですが!



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