襲撃

 シェイドは静かに待った。

 草原の途中からずっと誰かの視線を感じていた。草をかき分けている時に、セレネが左手の甲を押さえたのも、追跡者が何らかの攻撃をしたのだと考えられる。

 すぐ傍にいたシェイドを狙ったものが、たまたまセレネにも刺さったのかもしれない。

 猛毒を仕込んだ針を打たれたのなら一大事だ。


「セレネが素直に薬を飲めばいいんだけどよ」


 シェイドは誰にも聞こえない声で呟いて、草原を見渡した。

 暗闇に沈んだ草原が強い風になびく。一瞬だけザァーッという風と草の音がして、すぐに穏やかな景色となる。夜の虫の鳴き声が聞こえ始める。

 シェイドの視線の先で、複数の小さな光が浮かび上がる。光は点滅してほのかに草原を照らす。

 普通に見れば幻想的な風景となっていた。

 しかし、シェイドは今が普通の状況ではない事を知っている。

 風にまぎれるような、微かな足音が聞こえていた。

 微かだが、一気にシェイドに迫っているのに気づいていた。

 シェイドはナイフを握って、眼前で縦に振る。

 キィンと鋭い金属音が響いた。何者かの刃を確実に防いだ。

 シェイドは口の端を上げる。

「イービル・ナイト、シャドウ・バインド」

 静かな口調で呪文を唱えると、すぐ隣でうめき声がした。人が地面に倒れる音が続いた。

 しかし、影も形も見えない。

「姿を見えなくする魔術を唱えていたんだな」

 シェイドは苦笑して手元でナイフを回す。

「次はどんな攻撃をするつもりだ?」

 軽く挑発して気配をあらわにする相手ではないだろう。

 シェイドはナイフを握りなおして、一歩踏み出す。


「そっちから来ないならこっちから行くぜ。イービル・ナイト、ロバリィ」


 シェイドの手元から闇があふれ出す。相手は草原に身を潜めている。自分の身を隠して、確実にシェイドを仕留めるつもりなのだろう。

 しかし、シェイドは標的がどこにいるのか分かっていた。

「奴隷だった頃に暗殺を仕込まれて良かったぜ」

 暗殺を成功させるには、自分が隠れるのはもちろん、隠れている相手に気づく事も大事になる。

 隠れている相手に気づくには、集中力を研ぎ澄ます必要がある。普通の人間なら神経をすり減らして疲弊してしまうが、シェイドは必要な時に相手の気配を察する能力に長けていた。

 天が与えた才能だと言うしかない。

 標的の魔術を奪い取った事で、倒れた人間の姿があらわになる。短剣を握りしめた中年の男だった。

 そして、姿を隠す魔術を放っていた人間の姿もはっきりする。こちらは中年の女だった。

 自分の魔術が破られるとは思っていなかったのだろう。女は戸惑い、両目を見開いていた。

 シェイドがナイフを投げつけると、女の左肩に突き刺さった。

 女は悲鳴をかみ殺してシェイドがいる方向とは反対に走り出す。勝てないと見込んだのだろう。

 しかし、女が逃げるのもシェイドは見越していた。

「イービル・ナイト、シャドウ・テレポート」

 自らの影に沈み、女の目の前に出現する。

 間髪入れずに女の首に手刀を落とす。女は呆気なく草原に倒れ伏した。

「こんなもんか」

 シェイドは女の肩からナイフを抜いて安堵の溜め息を吐いた。

 この時に、風に掻き消えるような呪文が聞こえた。


「詰めが甘いな。ドミネーション、インパーフェクト・ストップ」


 シェイドの真後ろでうめく声が聞こえる。

 振り向けば、壮年の男が短剣を振り上げて固まっていた。無防備なシェイドに振り下ろされる寸前であった。

 シェイドは肝を冷やしながら男の腹を殴りつけて、昏倒させた。

「助かったぜ師匠。クレセント家の付近には行かないと言っていたが、撤回したのか?」

「胸騒ぎがしたからな。弟子が命を落とさないようにしたいものだ」

 草をかき分けてジェノが姿を現した。


「こいつらが手練れなのは間違いない。トワイライト家ほど強力ではないが、ブレス王国の暗部かもしれない」


「マジかよ……なんでそんな奴らがいるんだ」


 シェイドは知らず知らずのうちに冷や汗を垂らした。

 ジェノは顎に片手をあてる。

「誰かからの命令があったのだろうが、目的を断定できない。おまえを狙った割には弱すぎる」

「じゃあセレネやグレイスを狙ったのか?」

 シェイドが尋ねると、ジェノは頷いた。

「確かに考えられる。奴隷商売は違法とはいえ、それで生活が成り立っている連中がいるからな。一度売ると言った手前引っ込みがつかなくなった人間がいるのかもしれない」

「もっとマシな商売を考えてほしいもんだぜ……」

 シェイドは呆れ顔になった。

「こっちは無駄に疲れたぜ」

「そういえば、毒は大丈夫か?」

「幼い頃に散々飲まされた。もう平気だ」

 ジェノは両目を見開いて、すぐに小瓶を取り出す。

「平気だと思っていても、油断しない方がいい。ポーションをやるから飲んでおけ」

 ジェノから小瓶を受け取って、シェイドは小瓶の中身を飲み干した。


「……ポーションはありがたいが、いつから俺の戦闘を見ていたんだ?」


「ここに来るのを躊躇したから、最後の最後しか見ていない。トワイライト家がクレセント家に足を踏み入れるのは禁忌だからな。だが、今回の戦闘でしばらく襲撃は無いと断言できる。迂闊に人員を減らしたくないだろうからな。念入りな調査を優先するだろう」


 ジェノは淡々と告げていた。

「ここからが大事だ。本来なら僕の助けなんか無かった。重々承知しておいてほしい」

「分かった分かった、ありがとな」

 シェイドは投げやりな口調でお礼を言った。

 ジェノは胸を張っていた。

「もっと感謝していいが、まあいいだろう。追跡者たちは正義を行う例の機関に預ける。ドミネーション、アナザー・ワールド」

 正義を行う例の機関とは、世界警察ワールド・ガードの事だろう。

 ジェノは倒れている人間たちと共に姿を消した。

 シェイドは月を見上げて両目をこすった。


「俺も帰るか。さすがに疲れたぜ。イービル・ナイト、シャドウ・テレポート」


 自らの影に沈む。

 後には穏やかな虫の声と、さわやかな風が残った。

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