相談事

 午後の授業は張り詰めた雰囲気になった。

 イーグルが言った事をまとめると、魔術は本来危険極まりないものだという。

 特に魔力特性と相性の悪い魔術を放とうとすると、最悪の場合死に至るという。

 拮抗する魔術がぶつかり合った時にもエネルギー波が生じて爆発し、爆発に巻き込まれた魔術師が命を落とす場合もあるという。

 また、二つ以上の魔術を合体させるのは極めて高度な技術だという。

 二つ以上の魔術を合体させようとして爆発するのは珍しくないのだ。

 ここまで頭の中でまとめて、シェイドは額に片手を置いた。

「……一日目なのにもう覚えるのがきついぜ」

「メモを持っていないのか?」

 隣に座るジェノに尋ねられた。

 シェイドは頷いた。

「そんな贅沢品は持っていないぜ」

「学習するなら当然用意するべきものだと思う」

「悪かったな。こっちにそんな余裕はねぇよ」

 シェイドは不愉快そうに顔をゆがめて舌打ちをした。

「貴族様は羨ましいぜ」

「気を悪くさせるつもりは無かった。これを使え」

 ジェノは背表紙の黒い本を取り出して、開いてみせた。中身は白紙であった。

「ついでに羽ペンとインクも渡してやる。足りなくなったら言え。あと、服を直す必要があるな」

 ジェノはシェイドのローブをジッと見つめる。ダスクと魔術対決をやった時に、所々焦げ落ちていた。

 シェイドは両目をパチクリさせた。

「気にする事か?」

「魔術学園の生徒は体裁を気にする貴族が多い。こっちで新しいローブを用意してやりたいが、あまりに短いスパンだと怪しまれる。自力でなんとかしろ」

「気が向いたらどうにかするぜ。今は授業に集中する。確認するが、メモや羽ペンやインクは本当にもらっていいのか?」

 シェイドの問いかけにジェノは頷いた。

「弟子の才能を伸ばすのは師匠の務めだ。いつか恩返しをしてくれればいい」

「マジかよ……本当に大丈夫なのか? いろいろと」

 シェイドは冷や汗を垂らしていた。


 ジェノはトワイライト家であり、シェイドの殺害を命令されている家系だ。シェイドの手助けをしていたと知られれば、ジェノの立場も危ういだろう。


 そんなシェイドの心配を分かっているのかいないのか。

 ジェノは相変わらず無表情であった。


「僕は可能な限り僕らしく生きる。それだけだ」


 もって回った言い回しだが、ジェノの決意が表れているのだろう。

 シェイドは素直に頷いてメモと羽ペンとインクを受け取った。

「……いつか代金を払わねぇとな」

 ジェノに聞こえないように呟いた。



 放課後になって保健室に行く。

 セレネとグレイスは大人しく立って待っていた。ジェノとシェイドが姿を現せると笑顔を輝かせる。

「お二人ともお疲れ様です!」

「来てくれたか!」

 二人が万歳をして心底喜んでいるのを見て、シェイドは苦笑する。

「歓迎するもんじゃねぇぜ。待たせたのはこっちだ」

「お師匠様の表情が暗かったので余計な事をしたのではとヒヤヒヤしましたが、お元気そうで良かったです!」

 セレネがハキハキと言うと、ジェノはポリポリと頭をかいた。

「そんなに気を落としたつもりはなかった。心配を掛けたようだな」

「お師匠様がお元気なら大丈夫です」

 セレネは微笑んだ。

 そんなセレネに、グレイスは耳打ちをする。

「ついでにシェイド様とお近づきになれるように取り計らってもらいたいものだな」

「グ、グレイスさん何をおっしゃるのですか!?」

 セレネの顔が耳まで赤くなると、グレイスは口元に両手を当てていた。笑いをこらえるのに必死であった。

 そんな二人の様子を不思議そうに眺めながらシェイドは話を切り出す。

「楽しそうなところわりぃが、相談事がある。セレネとグレイスの預け先についてだ」

 場が鎮まる。真剣に話し合うべき事だと認識しているからだ。

 窓の外から夕焼けが差し込む。もうすぐ魔術学園グローイングは閉じてしまうだろう。

 相談するなら急いだ方がいい。

 シェイドは続ける。


「まず、グレイスに確認するぜ。あんたはクレセント家の嬢ちゃんなのか?」


「……黙っていてすまなかった。これ以上迷惑を掛けたくないと思ったのだが、かえって混乱させただろう」


 グレイスはまぶたを伏せるが、シェイドは片手をパタパタと振った。

「気にしなくていいぜ、誰だって隠し事はあるからな。イーグル先生が地図を貸してくれるらしいから、クレセント家まで送る事ができそうだ」

「本当か!? どうしてそこまで親切にしてくれるんだ!?」

 グレイスが顔を上げる。どことなく血色が良くなっている。

 シェイドはジェノに視線を送る。

「中途半端に放っておいてもこっちの気が晴れないからな。師匠、あんたが送ってもいいと思うがどうだ?」

「クレセント家はブレス王国を良く思っていないという噂がある。トワイライト家が迂闊に近づくべきではないだろう」

「二人を送って、誰かに見られる前に消えるのもダメか?」

「見られたら厄介だ。一瞬だけ姿を現して消えたら怪しまれるだろう。クレセント家に見つからない場所まで送るのはいいが、かなり長い距離を歩くつもりでいてほしい」

 ジェノはきっぱりと拒絶していた。

 シェイドは両目を白黒させたが、すぐに頷いた。

 ジェノの話が本当なら、ブレス王国を守護するトワイライト家を、クレセント家は快く思っていない可能性は高い。ジェノなりに気を遣っているのだ。

「いいぜ。あとはセレネの事だな。率直に聞くがブレス王国とかどうだ?」

 シェイドに尋ねられて、セレネはえっと……と口に出した。

「南にある大国なのは知っていますが、どんな国ですか?」

「人と気候に恵まれた穏やかな国だと聞いているぜ。国民になる分にはいいところだろう」

 俺は奴隷としてこき使われて散々な目に遭った、という言葉は飲み込んだ。

 ジェノは頷いた。


「治安は世界トップクラスだと思う。住むのに不都合はないだろう」


「そうですか……考えてみます。その、シェイド様はブレス王国に住む気はないのですか? いいところだと聞いているはずですのに」


 セレネの鋭い質問に、シェイドは視線をそらした。

 自分が奴隷だった事は言いたくない。

 しかし、セレネの真剣な眼差しの前で嘘をつくのは憚られる。正直に言う事にした。

 絞り出すように言葉を紡ぐ。


「俺は絶対に行かないぜ。ブレス王家の奴隷にされて散々だったからな」


「そんな……!」


 セレネの顔は青ざめて、両手で口元を覆っていた。ショックを隠しきれないようだ。

「シェイド様を……ひどすぎます!」

「奴隷の母から生まれたからな。ブレス王家にとって重宝するべきもんじゃねぇだろ。あと、俺の事はシェイドでいい」

 シェイドはできるだけ感情を乱さないように口にした。

 しかし、セレネの感情の高ぶりは収まらない。首を横にぶんぶんと振っている。

「そんな事はありません! ブレス王国なんかに住むのは嫌です!」

「そうなると、預け先を他に考える必要があるな」

 シェイドが淡々と言うと、セレネは両腕を組んでうなった。

「それはそうですけど……」

「セレネが良ければクレセント家に掛け合ってみる。どうだろう?」

 グレイスが口を挟んだ。

「ここだけの話だが、ブレス王国を快く思っていないのは本当だ。父も母もいつも愚痴を言っていた」

「本当に良いのですか? 私なんかのために」

 セレネが申し訳なさそうに尋ねると、グレイスは笑顔を浮かべた。


「あなたにはとても世話になった。貴賓として迎え入れるのは難しいだろうが、友人として招き入れる事はできるだろう」


「そうですか……ご迷惑にならないなら、よろしくお願いします」


 話はまとまりつつあるようだ。

 シェイドは安堵の溜め息を吐いた。あとは追手が来ないか警戒すればいいだろう。

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