初めての魔術
シェイドが魔術学園グローイングの校門に着いた頃は、学生たちはまばらに歩いていた。授業開始まで時間があるからだろう。
人があまりいないのは、シェイドにとって都合が良かった。
セレネとグレイスを連れているからだ。
彼女たちは魔術学園グローイングの生徒ではない。
本来なら学園内に入れてはいけない可能性がある。
しかしシェイドは、彼女たちの保護を申し出るためにやむを得ないと考えている。彼女たちが直接話すしかない場面も出るだろう。
セレネとグレイスには、魔術学園グローイングで二人の預け先の候補を探すと伝えてある。二人とも申し訳なさそうな表情をしたが、気にしていられない。
そんなシェイドを嘲笑うような事態が起こる。
五人の男女がシェイドたちの前に立ちふさがる。
身なりからして、全員が貴族なのは間違いないだろう。シェイドたちを蔑むような目つきをしている。
集団の真ん中にいる少女が口を開く。
金髪を結い上げ、ひときわ豪華なアクセサリーを身に着ける、赤いマーメイドドレスの少女だ。
「あなたが噂の新入生ね」
シェイドはガックリと肩を落とした。自分たちは思っていた以上に噂になっているらしい。
シェイドは視線をそらした。
「……人違いだと言いたいぜ」
「嘘を言わないで。このエリス・クォーツの目は誤魔化せないわ。それにしても、貧弱な従者ね。貴族とは思えないわ」
「どうでもいいだろ。通せよ」
シェイドは心底関わりたくないと思った。
エリスは上品に片手を口元に置いてクスクス笑った。
「あらあら、本当に貴族ではなかったのかしら。憐れなものね」
「……それ以上の侮辱は許さない」
震える声で口を開いたのは、グレイスだった。その口調と瞳に怒りがこもっていた。
「私はグレイス・クレセント。私と友人に対する侮辱は万死に値する」
「万死なんて簡単に言っていいものではないわ。訂正するのなら今のうちよ」
「同じ事を言わせてもらう。私たちに対する暴言を訂正しろ」
グレイスは震えながらエリスを睨んでいた。
「クォーツ家が強力な貴族なのは知っているが、私は主張を譲るつもりはない」
「クレセント家ならここからずっと北西に土地を持つはずだわ。もしもあなたの主張が本物なら、どうしてこんな所にいるの?」
エリスの指摘に、グレイスは唇を噛んだ。
人さらいに遭って奴隷として売り飛ばされる寸前であった。しかし、今そんな事を正直に言ったら、クレセント家がそんな失態を犯すはずがないと、バカにされるのは目に見えている。
シェイドやセレネを守るための主張が弱まってしまう。
だが、グレイスが言い返せる言葉は無い。
明らかに間が開いた。
その間に気付かないエリスではない。
「ほら、やっぱり嘘だったわ。最初に憐れな従者だと認めれば良かったのに」
「俺に従者を引き連れる趣味はねぇよ」
シェイドが呆れ顔で溜め息を吐いた。
「こっちは急いでいるんだ。通してくれるか?」
「私たちに嘘を吐いた事を誠心誠意お詫びすれば考えてもいいわ」
エリスはグレイスに視線を向ける。
グレイスは瞳を震わせて歯噛みしていた。
シェイドは頭をポリポリとかいた。
「俺が従者を引き連れているなんてな。嘘の度合いならあんたの方が上だぜ。とりあえず通してくれよ」
「口答えするの? あまり上手な反論はできないようだし、やめておきなさい。潔く非を認めなさい」
「急いでいると言ったよな。物覚えのいい貴族様なら覚えているよな?」
「当然よ。このエリス・クォーツに物忘れなんてありえないわ」
エリスは自らを強調するように、片手を胸に置いた。
「謝りたくないのなら、しつけるだけよ。ファントム・ジュエリー、ヴェイカント・シェル」
シェイドの周りの空気が重くなる。
エリスが呪文を唱えたようだと認識した時には遅かった。シェイドの身体は、深海に沈む貝のように動けなくなる。呼吸もままならないほどだ。冷や汗と嗚咽が出る。
異変は周囲も感じたのだろう。
セレネとグレイスが騒いでいた。
「何をしたのですか!?」
「やめて、この人は何も悪くない!」
エリスが勝ち誇った笑みを浮かべる。
「クォーツ家に逆らう事は万死に値するわ。クレセント家を騙ったあなたも謝りなさい」
「……私が謝れば済むのか?」
グレイスは全身を震わせた。
エリスは上品に微笑んだ。
「貴族の名を騙るのは重罪よ。本来なら世界警察ワールド・ガードに身柄を引き渡す所だけど、許してあげてもいいわ」
「ダメです! 悪い事をしていないのに謝るなんて!」
セレネがぶんぶんと首を横に振る。
「謝るべきなのは私たちではありません!」
「だが、私が謝らないとシェイド様は解放されないだろう。悔しいがシェイド様に迷惑を掛けるわけにはいかない」
グレイスは俯いた。
セレネは涙目になっていた。
シェイドは呼吸がままならず、だんだんと意識が遠くなる。
そんな時に、つい最近の出来事が走馬灯のようによぎる。
魔術学園グローイングのクリスタルを殴った時だ。あの時に魔力特性が表示された。
思い出せ、と自分に言い聞かせる。
正義の味方や善人の魔力特性とは思えなかった記憶がある。
魔術師たちは、自分の魔力特性に言葉を加える事で、魔術を発動していた記憶もある。
試してみるか。
シェイドはかすかに唇を動かす。
「イービル・ナイト……」
どんな言葉を加える?
悪しき夜にふさわしい言葉がいいだろう。
エリスに一泡吹かせたい。何をすればいい?
自分の生き様を考える。
盗みだらけだった。物も命も。
エリスの魔術も奪ってしまうのはどうだろう?
「……ロバリィ」
強奪と唱えた。
シェイドの周囲に闇が立ち込める。いつの間にか身体は軽くなっていた。
初めての魔術だったが、うまくいったようだ。
試しに右手を開いたり閉じたりする。問題なく動く。呼吸も普通に出来ていた。
エリスを含めて、集団から悲鳴があがった。
セレネとグレイスは歓声をあげた。
「すごいです!」
「クォーツ家の魔術を破るなんて」
喜ぶセレネやグレイスとは対照的に、エリスは悔しそうな表情を浮かべて後退りしていた。
「レベル99は嘘ではなかったのね」
「よく分からねぇが、もういいだろう。いいかげん通してくれるか?」
シェイドはエリスたちを睨みつける。
「魔術学園で暴れるつもりは無かったが、これ以上絡んでくるなら考えるぜ」
「いい気にならない事ね。授業が始まる頃だし、そろそろ行くわ。ご機嫌よう」
エリスは足早に校舎へ歩いていった。
集団は驚きと戸惑いを隠せないまま、エリスについて行った。
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