優しい人
「逃げてもいいと言ったはずだぜ」
シェイドはセレネを引っ張って立たせた。
セレネの頬は赤く、目は潤んでいた。
「……絶対にお肉を奪わせたくありませんでした」
セレネはグレイスと一緒に切り分けた肉を横目に、声を震わせた。
「逃げたくありませんでした」
「死ぬかもしれなかったんだぜ」
「私の勝手です!」
セレネの声は、自分自身も驚くほど大きくなっていた。
慌てて両手で口を塞ぐ。
「すみません……」
気まずさを感じて俯く。感情を抑えられない自分が情けなくて涙が出そうだった。
そんなセレネの心情を悟っているのかいないのか。
シェイドはセレネの頭をポンッと軽く叩いた。
「とにかく飯にしようぜ。腹が減った」
「はい……」
セレネはコクリと頷いた。恥ずかしさが込み上げるが、胸の内は温かかった。
シェイドは香草を敷き詰めた鉄鍋に、肉を全部乗せた。枯れ草と火打ち石で火を起こして、肉を香草ごと焼いていく。
「随分と丁寧に肉を切り分けたな。調理がやりやすいぜ」
シェイドの口の端が上がる。
セレネとグレイスの表情は心なしか明るくなった。
香草から水分が滲み出て、スープとなり、肉を程よく柔らかくする。こうばしい香りが漂い、食欲をそそる。
セレネもグレイスも大粒の唾を飲み込んだ。
完成までさほど時間は掛からなかった。
シェイドは、グツグツと煮立った鍋から、肉を木の器に取り分けた。
「おかわりは好きにしろよ」
そう言って座り込み、木の匙を使って真っ先に食べ始めていた。
セレネとグレイスは頷いて、熱々の肉を頬張る。柔らかな肉に香草の香りが染み込み、香草と肉汁で満たされたスープまで絶品であった。
奴隷商人に捕まってからロクなものを食べれずに腹が減っていたし、シェイドが遠慮なく食べるのにつられて、セレネもグレイスもどんどん肉を口にした。
肉が無くなった頃には、夜はふけていた。
セレネもグレイスも腹が満たされ、疲れが溜まっていたのもあって、まぶたが持ち上がらなくなっていた。
「……本当にありがとうございました」
セレネは辛うじて御礼を口にしたが、うつらうつらしていた。グレイスまぶたをこすって生あくびをしている。
二人とも眠そうである。
シェイドは溜め息を吐いた。
「もう一度確認するが、二人とも帰るアテはねぇんだよな」
セレネは頷き、グレイスは俯く。
シェイドは立ち上がる。物憂げな表情で月を見つめる。銀髪が風に揺れていた。
「世界警察ワールド・ガードの世話になれば楽だったんだろうが、俺にその気はねぇぜ」
「分かっております。このまま捨てられてもおかしくないと思っております」
セレネは深々とお辞儀をした。
「私から言うのも難ですが、できればグレイスさんだけは手厚く保護していただけませんか?」
「二人ともついてこい」
シェイドは歩き出した。
セレネとグレイスは互いに顔を見合わせたが、この場にとどまっていても意味がないと悟って、シェイドを追いかける。
蔦の生い茂る獣道をズカズカと進む。
その先に洞窟があった。
ゴツゴツとした岩が掘り抜かれたような構造で、光がない。暗闇に目を凝らすと、奥側に草の絨毯と丸太が転がっているのが分かる。
シェイドは転がっている丸太を指差した。
「今日はそいつを枕にして寝ろ。明日はマシな場所で寝られるように念じておけ」
「本当に寝床を貸してくれるのですか!?」
セレネの声は裏返った。グレイスも両目を丸くしている。
シェイドは踵を返す。
「明日は今日よりも歩く事になる。今のうちに寝ておけ」
そう言い残して、蔦をかき分けて洞窟から出て行った。
セレネとグレイスは互いに顔を見合わせた。
「シェイド様はきっと、いつも丸太を枕にしているのですよね」
「私たちが使うのは悪いな」
断ろうと考えて、シェイドが戻ってくるのを待つ。
しかし、シェイドはしばらく待っても来ない。
セレネは恐る恐る洞窟の外に向かう。
「シェイド様、いますか?」
「さっさと寝ろと言っただろ。しばらく風に当たる。あと、俺の事はシェイドでいい」
姿は見えないが、ぶっきらぼうな返事が返ってきた。
セレネとグレイスは両目をパチクリさせた。
「本当に優しい人ですね。とりあえず私たちは休めば良いのでしょうか」
「そのようだな」
やがて二人のまぶたは重くなり、そのまま横になった。ほどなくして気持ちよさそうに寝息をたてるのだった。
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