頑張りたい
三人で急勾配の岩肌を歩く。だんだんと空気が薄くなる。慣れているシェイドと違い、セレネとグレイスは息が上がっていた。
彼女たちは弱音を吐かないが、体力の限界なのは見て分かる。
シェイドは二人を横目に岩に腰掛けた。
「休む」
「……あなたは余裕があるように見えます」
セレネは息も絶え絶えに言っていた。
「気を遣わせたくありません」
「俺は休みたいだけだぜ」
シェイドは空を見上げた。
夕暮れが去り、月と星が輝き始めている。これから闇が深くなるだろう。
「腹が減ったし、何か食いたいな」
「申し訳ありません。食べ物の用意はありません。お時間を頂ければ何か見つけられると思うのですが……」
セレネは目を伏せる。
シェイドはセレネの頭をポンッと軽く叩いて、自らの口元に人差し指を立てる。
「ここらの事は俺の方が分かっているぜ。耳を済ましてみろ」
セレネは言われるがままに耳を澄ませる。
グレイスも両目を閉じて、どれほど静かな音も逃さないように耳に集中した。
足音が聞こえる。乱暴な足音だ。急激に近づいてくる。
獰猛な唸り声、荒い鼻息も聞こえてくる。
セレネとグレイスは、足音の主を凝視した。坂の上から四つ足の大型の猛獣が突進してきている。
「グレート・ボーア!?」
二人の悲鳴が重なった。
グレート・ボーアとは、獰猛で有名な猛獣だ。獲物を見つけると鋭い牙で襲い掛かってくる。
足が速く、人間が走って逃げられる相手ではない。
助かるのは絶望的だ。
そう悟ったセレネは両手を広げて叫ぶ。
「食い止めます! お二人は逃げてください!」
「その必要は無いぜ」
シェイドはゆらりと立ち上がり、グレート・ボーアを見据える。
グレート・ボーアはシェイド目掛けて飛びかかる。血走った両目と鋭い牙が光っていた。
セレネもグレイスも、惨劇を覚悟した。同時に、次は自分たちであるとも。
そう覚悟した次の瞬間に。
グレート・ボーアは泡を噴いて倒れていた。
セレネは両目をパチクリさせて、呆然とした。
グレイスも開いた口が塞がらなくなり、頭の中は真っ白になっていた。
シェイドはグレート・ボーアの息の根が止まっているのを確認して、両手で抱え上げる。
「ちょうどいい材料が見つかったな」
「あの……材料とは?」
セレネが恐る恐る尋ねると、シェイドは悠々と歩き始める。
「飯の材料だ。三人分の肉はありそうだぜ」
「……もしかして、私たちにも食べさせてくださるのですか?」
セレネは震え声になった。
「見ず知らずの私たちのために」
「俺の腹が減ったついでだ。支度はやってもらうぜ」
シェイドは何気なく言っていたが、セレネの両頬は赤く染まり、涙がこみ上げていた。
「絶対に、絶対に、御恩はお返しします!」
セレネは嗚咽を漏らしながらシェイドについて行く。
グレイスも両目を拭ってシェイドの後を追う。
山腹に着く頃には、辺りは闇に包まれていた。月と星の光で視野を確保できるが、気温は下がり、凍える恐れがある。
シェイドは先ほど仕留めたグレート・ボーアを地面に置いた。どっしりとした体型のグレート・ボーアは、見るほどに圧巻であった。
「ここらで飯にするか」
シェイドが提案すると、セレネとグレイスの両目が輝いた。
「料理なら任せてください!」
「私にもできる事があるはずだ」
二人は腕が鳴ると言わんばかりだ。
シェイドはナイフを取り出す。
「おおざっぱに捌くから、適当な大きさに切ってろ」
セレネもグレイスも力強く頷いた。
グレート・ボーアを捌くシェイドの手付きは慣れたものだった。皮をはいで、おおざっぱに切り分けるまであっという間だった。
その後、シェイドはセレネとグレイスに、ナイフを一本ずつ手渡した。
「俺は薬味や調理道具を取りに行く。グレート・ボーアの臭いを嗅ぎつけた獣が来るかもしれないが、下手に手を出すなよ。逃げたっていい。少しくらい肉を奪われたって余るからな」
「そんなアドバイスまでくださるなんて……何から何までありがとうございます」
セレネはナイフを見つめて身を震わせた。
「絶対に美味しいお肉にしてみせます」
「何に感謝しているのか分からねぇが、落ち着けよ。身体が震えるとうまく切れないからな。じゃあ頼んだぜ」
シェイドは片手を振って大量の蔦が生い茂る獣道に足を踏み入れる。
セレネとグレイスは互いに顔を見合わせて、力強く頷き合った。
グレート・ボーアの肉は固く、セレネもグレイスも切る時に力を込める必要があった。体力が余っているわけではないし、肉をさばくのに慣れているわけではない。
しかし、弱音を吐かずに黙々と切っていた。
その甲斐あってか、肉は少しずつであるが食べやすい大きさになっていった。骨に近い部分はどうしようもないが、三人がお腹いっぱいになるのに充分な量の肉を切り分けた。
セレネもグレイスも満足げに頷いた。
「あとはシェイド様の帰りを待つだけですね」
「そうだな……他にできる事があればやりたいが、もう疲れた。休もう」
セレネとグレイスは地面にへたり込んだ。
辺りは寒いが、二人は笑顔を浮かべて汗ばんでいた。もうすぐ肉が食べれる喜びより、自分たちにもできる事がある喜びが大きかった。
見上げれば綺麗な星空がある。風が草木の臭いを運んでくる。
セレネは微笑んだ。
「私たちは本当に解放されたのですね」
奴隷商にさらわれてから悲惨な日々を送っていた。そんな日々は終わったのだ。
一方でグレイスは苦笑した。
「家に帰れれば言う事はない」
「帰りたいのですか?」
「本音を言うと……いや、やめよう。私は恩を返さなければならない。これ以上は迷惑を掛けられない」
グレイスはまぶたを伏せた。
セレネは首を横に振った。
「我慢しなくてもいいですよ。帰りたいならそう言ってみましょう。帰る方法が見つかるかもしれません」
「……そうだな。できれば帰りたい」
「もっと強く願いましょう。神様に届くように」
「帰りたい……!」
グレイスの声は震えていた。両目を拭い、嗚咽を漏らす。
セレネはコクコクと頷いた。
「私も願います。グレイスさんがお家に帰れますように……!」
セレネの表情が険しいものに変わった。
大量の足音が聞こえていた。体躯はグレート・ボーアほどではないと察せられるが、数が多い。
案の定、木陰から大量の獣が出てきた。小柄な四つ足の獣であるが、獰猛に両目を光らせている。
グレート・ボーアの肉を奪いに来たのだろう。
セレネは獣たちを睨みながら立ち上がる。震える両手でナイフを握り、切っ先を獣たちに向ける。
「絶対に奪わせません」
無謀なのは分かっている。自分も餌食にされるかもしれない。シェイドから、グレート・ボーアの肉は奪われてもいいと言われている。
しかし、セレネは歯を食いしばって、獣たちと対峙する事を選んだ。
「少しでもシェイド様のために頑張りたいのです」
自分に言い聞かせるように呟く。
しかし、怯えて身体が震えるのはどうしようもない。
セレネが怖がっているのは、獣たちも察している。
一斉に襲い掛かれば怖い相手ではない。
獣たちはそう言わんばかりに、雄叫びをあげて一斉にセレネに飛び掛かった。
セレネは咄嗟にナイフをぶん回すが、かすりもしない。
獣の何匹かが勢いよくセレネを押し倒す。何匹もいると重くて押しのけられない。噛まれるのも時間の問題だ。
セレネは覚悟を決めて目を閉じた。
そんな時に、奇跡的な事が起きた。
セレネに襲い掛かっていた重みが、次々と除けられていた。
目を開けると、シェイドが無言で獣たちを蹴り飛ばしていた。静かに殺気を放ち、獣たちを宙に飛ばす。
明らかに力量の差がある。
獣たちもそれを察したのか、悲鳴じみた鳴き声をあげて木陰へ走り去った。
辺りは穏やかな風が吹いていた。
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