照れ隠し

 セレネはグレイスに駆け寄った。グレイスは地面に横たわったままだ。

「グレイスさん、しっかりしてください!」

 グレイスは両目を固く閉じて震えていた。

 セレネが揺り動かすが、首を何度も横に振るだけだ。

「目を開けるのが怖い」

「もう大丈夫ですよ。とても強い人たちが奴隷商をやっつけてくれました」

「……本当か?」

 セレネの言葉を信じて、グレイスは恐る恐る目を開ける。

 グレイスの瞳には、まずセレネの微笑みが映り込む。慎重に周囲を見渡せば、十人の男たちが倒れている。

 グレイスは両目を見開いた。

「……すごい」

「本当にすごい人たちです。きっと名のある人たちなのでしょう。どうお礼をすれば良いのか……」

 セレネが頭を抱える。


「この身体でお支払いをするしかないのでしょうか」


「いらねぇよ。奴隷商を倒したのは仮眠の邪魔だと思ったからだ。遊びみたいなもんだ」


 シェイドは呆れ顔になっていた。

「身体を売るなんて、簡単に言うもんじゃねぇぜ」

「ではお礼はどうすれば良いのですか?」

 セレネに詰め寄られて、シェイドは視線をそらす。

「いらねぇと言っただろ。とっと家に帰れよ」

「帰るつもりはありません。私がいてもいなくても、誰も何も思わないでしょう。あなたが欲しいものを教えてください」

「何もないぜ。さっさと仮眠をさせてくれ」

「お眠りになるのですね、分かりました。膝枕でどうでしょう?」

 セレネの真剣な眼差しを直視できず、シェイドは視線を泳がせた。


「枕なら間に合っている。俺は放っておいてくれと言ってんだ」


「……そうですか。役立たずで申し訳ありません」


 セレネは肩をすぼめて俯いた。

 シェイドはえっと、その、など意味のない言葉を漏らして片手を額に当てている。言葉を探しているようだが、何も言えずにいた。

 そんな二人の様子を眺めながら、グレイスは溜め息を吐いた。


「もどかしい」


「そうだな、僕も残念に思う」


 いつの間にか姿を現したジェノが何度も頷く。

「人質に執着させないためにあえて見捨てる発言をしたのは、発狂している人間がいる時には悪手だった。シェイドには様々な経験をさせた方が良さそうだな」

「……例えばどんな経験を?」

「想像に任せる。シェイド、彼女たちをどうするつもりだ? まさか野放しにするつもりか?」

 グレイスの疑問を軽く流して、ジェノは問いかけた。

 シェイドは両腕を組んでうなる。


「ここらは猛獣が多いんだ。野放しというわけにはいかねぇだろ。誰かが保護するべきなんだろうが……」


「世界警察ワールド・ガードに渡すのはどうだ? 手続きがめんどくさいから僕は関わるつもりはないが」


 ジェノは手続きを、事もなげにシェイドに押し付けようとしていた。

 世界警察ワールド・ガードとは、世界中の人々を悪人から守るために奔走している組織の事だ。いわゆる正義を行うための機関である。窃盗犯の捕縛、殺人鬼の退治、行方不明者の捜索、王侯貴族の護衛など彼らの任務は多岐に渡る。手続きを踏めば奴隷の保護も引き受けるだろう。


 しかし、シェイドの雰囲気は険悪なものになっていた。


 眼光はぎらつき口は一文字にして、静かに殺気をまとっている。

 心なしか周囲の気温が下がる。

 セレネやグレイスはもちろん、ジェノも気圧されていた。寒気と怖気が走る。

 ジェノは辛うじて口を動かす。


「そんなに嫌なのか?」


「嫌ってもんじゃねぇ。世界警察ワールド・ガードとは関わりたくないし、できれば名前も聞きたくないぜ」


 シェイドの口調に怒気と憎悪が込められている。

 ジェノは深々と頷いた。

「分かった。だが、おまえが倒した連中の後処理をしなければならない」

「土に埋めるか?」

「発見されたらマズい。面倒くさいが、僕が世界警察ワールド・ガードに預ける」

 ジェノは呪文を唱える。

「彼女たちの事はおまえがなんとかしろ。ドミネーション、アナザー・ワールド」

 シェイドが抗議をする間もなく、ジェノと十人の男たちの姿が掻き消えた。

 シェイドは舌打ちをした。

「相変わらず無茶苦茶だぜ」

「あの……私たちは野宿します。これ以上ご迷惑をお掛けするわけにはいきません」

 セレネが深々と礼をする。

「この御恩は忘れません。あなたたちと出会えて良かったです」

「確認するが、本当に帰るアテはねぇのか?」

 セレネは何度も頷き、グレイスは視線をそらした。

「私に帰る場所はありません」

「……帰れる場所はない」

「じゃあついてこい」

 シェイドは山の中腹へ歩き出す。

 セレネとグレイスは互いに顔を見合わせて、両目をパチクリさせた。

 シェイドは肩越しに振り向いて、山の中腹を指さす。


「少し歩いた所に俺の寝床がある。今日はそこで我慢しろ。明日はマシな場所で寝られるように祈ってろ」


「泊めてくださるのですか!?」


 セレネの声は裏返った。

 グレイスも両目を見開いた。

「あなたは神の御使いか?」

「ごちゃごちゃ言うな。とにかく来い」

 シェイドは前を向き、どんどん歩く。

「こんなに感謝された事なんかないぜ」

 呟くシェイドの頬は心なしか紅潮していた。照れているのだ。

 シェイドの照れなど知らずに、セレネとグレイスは慌ててついていくのだった。

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