一章 婚約破棄の手続きはお済みですか?②

 ライグ商会の長男、クロードがセインレイムはくしやく家のれいじようとの婚約を破棄したことが広まったのは、サロンでも社交の場でもなく裁判所からだった。

 その場にぼうちよう人はおらず、当事者であるクロードとパトリシア、それから事務官だけであった。

 元々スキャンダルという意味で注目の的であった二人が並んで裁判所にいる姿はまたたく間にうわさとなり、彼らの婚約破棄はいつしゆんにして話題となった。

 パトリシアの両親は勝手に婚約破棄を決められたことに対しておこったが、ばいしよう金額を見せたら怒りをしずめた。

「よくやったぞ、パトリシア! 予想以上の賠償額じゃないか! らしい!」

「ええ、ええ。よくやったわね。それに貴女あなたならすぐ新しい相手が見つかるわ。素敵な相手を見つけてあげるから母に任せなさい」

 我が子を金銭的価値でしか見ていない両親のことを信じていたパトリシアはすでにおらず、元『鉄の主任』である彼女は盛り上がる両親の声が治まるのを待った。

 セインレイム家は辺境の地区とはいえ領地を任される伯爵であった。先祖はかつて国の将軍として名を馳せた一族だと言われているが、けんで功を成したためか領地経営にはうとく、だいわりするたびにほころびが見え始めていた。それでいて気位だけは代ごとにぞうふくしていき、結果困窮の末路となったのだ。

 ライグ商会長となったばかりのクロードと伯爵令嬢パトリシアとの結婚が果たされれば、晴れてライグ商会は貴族の仲間入りをし、困窮していたセインレイム伯爵家の財源もあんたいとなるだろうと考えられていた。

 結果として婚約は破棄されたものの、婚約破棄によって得られた賠償金に両親は大変げんが良かった。そしてパトリシアの想像通り、次の婚約相手の話題を出すあたり分かりやすいと思う反面、両親の愛情を求めていたパトリシアの心は悲しみにれた。

 だが、気持ちをり切りパトリシアは顔を上げる。

「そのことですが」

 ディナールームで出されたムニエルをていねいにナイフで切り分けながら食べていたパトリシアは、フォークを置いてから両親を見た。

「わたくし修道院に入ろうと思いますの。今回のように婚約破棄をされますと中々お相手を見つけることも大変でしょうから」

「何を言う。そんなことはないぞ?」

「そうよ。母がこれから社交の場に出向いてよいお相手をいくらでも探して来ますよ?」

 むすめの婚約相手探しを理由に社交界を出歩きたいらしい母の言い分。に引っ掛かったとばかりにパトリシアは手をパチンと叩く。

 すると使用人がパトリシアのそばに寄ってきたため、パトリシアは彼に「五番目の資料を持ってきてちようだい」と告げた。

 使用人がすぐさま部屋を出て行く姿を、テーブルに向かった両親はぼんやりと眺めていた。

「とても有りがたいお話ですが。お父様、お母様。わたくしの婚約相手探しに時間を費やすことは難しいのです」

「どういうこと?」

 先ほど指示した使用人が資料を持ってもどってきた。

 クロードのときと同じように二人に書類をわたすと、パトリシアはたんたんとプレゼンテーションを始める。

「婚約者選びのために使われる交際費の月平均予想額と、実際に婚約が成立した場合にかる婚約手続きの費用、それと結婚式に掛かる費用を算出しました。それから、予想される婚約相手の候補者を何人か調べましたけれど、クロード様のように結婚資金を全額負担してくださるような家は見当たりませんでした」

 つらつらと説明するパトリシアの声を、両親は不思議とに聞いていた。

「クロード様から頂いた賠償金を使用した上で新たな婚約者選びの支出を考えますと、年月がつたびに右下がりなのは明らかですが。もう一枚の資料をご覧頂けます?」

 素直に両親が資料をめくる。

「もしわたくしが修道院に入った場合に残る賠償金額としきの運用費。わたくしという者がいないことによりく金額を計算いたしますと、お二人が老後もつつがく暮らしていくには、こちらの案がよろしいかと」

「我々にいんきよせよと言うのか……?」

 はらんだ目で父がパトリシアをにらむが、その額にはあせにじんでいた。

 彼自身が最も現状をあくしているため、パトリシアの提案が現実的であることを重々理解しているのだ。しかし婚約が決定するにせよ、婚約破棄による賠償金が得られるにせよ、金銭にいずれ苦労するという事実を彼のプライドが認めたくないとうつたえるのだ。

 隠居とはつまり社交界からの引退であり、貴族の笑い者になることが分かっているからだ。

「隠居ではございません。りようようですわ。『婚約破棄により心を痛めた令嬢のために、セインレイム家は家族で静養出来る場所へ行った』と、伝えればよろしいのです」

 婚約破棄をしたばかりの今、その話が伝われば世間はセインレイム家に同情するだろう。そして、両親は娘想いの心優しい両親としてけんでんされる。

 プライドだけが高い彼等にとっては悪い話ではない。しかも、周囲の同情をセインレイム家に向けさせることにより、婚約破棄をした側であるクロードの家に非難の目も向けられる。

「婚約破棄早々に娘の婚約者探しをする親と、婚約破棄で傷ついた娘をなぐさめる親……周囲が向ける視線がどちらに優しいかは、お父様ならお分かりになりますでしょう?」

「う……む……」

 もう一息。パトリシアはさらまくし立てた。

「お二人が住みやすいべつそう地の候補は既に選んであります。こうがいではありますが過ごしやすく、シーズンオフには貴族が集まりやすい場所ですわ。少しばかり値が張りますので、そこはお二人にがんって頂くことになりますが……そしてわたくしにつきましてはメルヴェ地方にございます修道院に行こうと思っております。メルヴェ地方であれば北の山脈に囲まれておりますので人に見られる機会もございません。恙無く事が進めばわたくしの修道院行きもけんしないことをお約束いたしましょう」

「メルヴェ地方の修道院? そんなところあったか?」

「はい。ドリュー山脈をえた先に小さい修道院がございます。あまり貴族がおとずれる場所でもございませんし、げんしゆくな修道院として知られております。そちらであれば顔見知りに見られることもないでしょう」

 あらかじめ用意しておいた修道院の資料を渡す。

「………………」

 両親がだまった。

 パトリシアはこのしゆんかん、勝利を確信した。

 それは前世でプレゼンテーションがうまくいった時のこうようかんに似たものがあった。

 パトリシアはゆう微笑ほほえんだ。

「さあ。お父様、お母様。いかがでしょう?」

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