一章 婚約破棄の手続きはお済みですか?①

 パトリシアが前世を思い出したのは、彼女の十六歳の誕生日のこと。

 きっかけは単純だった。

 パトリシアの誕生日に、彼女はセインレイム家のていないにあった小さな池のそばでガーデンパーティー形式の誕生日会を開こうとしていた。

 十六歳と言えば、貴族の一人として認められるねんれいとなる。

 その記念すべき日をパトリシアは盛大に祝ってもらえると信じていた。いな、信じたかった。

 しかし当日。

 招待した者から断りのふみが来たり急病だという使者が来たりと、招待した人数の半数しかおとずれなかった。さらに追い打ちをかけたのは、彼女の婚約者であるクロードがエスコートに来なかったことだった。

 周囲からかげで笑われ、パトリシアは大いにはじをかいた。

 そしてたくさん届くと思われたプレゼントは想像以上に少なく、そのことは更にパトリシアをおこらせた。

 それでも、貴族の一人である自負はあるためその場は多少気まずい空気の中、どうにか誕生日会を終えられた。

 招待客をすべて帰した後、パトリシアはメイド達にいかりをぶつけた。

「どうしてわたくしの誕生日なのにおくり物が少ないの!」

「急病って何よ! みんなびように決まっているじゃない!」

「クロード様はどうして来てくださらないの! あれほどお願いしていたのに……どうして……!」

 パトリシアとて分かっていた。貴族の位もない商人の家にとつがなくてはならないほど、セインレイム家がこんきゆうしていることを。

 セインレイム家が別の貴族にされ、しつついしそうであるというふんを。

 パトリシアを甘やかしていた父も最近はいらちパトリシアにあたることがあった。

 でも、それでも誕生日ぐらいは自分のために祝いたかった。十六歳はユーグていこくの法律上、成人年齢でもあるのだ。

 誕生日をむかえ成人してしまう前に願った、幼くも我がままな思いはくだけ散ったのである。

「どうして……! もういや!」

 落ち着いてくださいと彼女を止めようとする使用人のうでり払ったしゆんかん身体からだのバランスをくずし……

「あっ」

 バシャンと、パトリシアは庭園にあった池の中に落ちた。

 必死で救いの手をつかもうともがくも、おぼしずんでいく。

 そして意識を失う寸前、前世のおくあふれかえるのを感じ取ったのだった。



ばやしせんぱい~! パソコンがフリーズしちゃいました! もう資料作れません!』

『……さいとうさん。サーバーからデータを上書きしちゃうとサーバーにかるから、デスクトップで作業してって前にも言ったわよね……バックアップはこの資料の通りにやってくれれば出来るから』

『す、す、すみません~!』

『小林主任! 相手先へのせいきゆう額をこんなにふくらませちゃっていいんですか?』

『当然でしょう? こちらは技術者けん料として一時間あたりのサービス料をこの金額で明示しているのに、担当が相手の圧力のせいで言えないでいることを利用してしょっちゅう呼び出していたんだから。こちらで報告書にさいして向こうに判を押させたし。あと、先方の部長にはもう報告済み。だいじよう

りようかいしました。って小林主任……パソコンから手はなさないで話をしてたんスね……』

『ごめん。至急の対応をしていて手が離せなくって』

『いえ、こちらもかくにんせずに相談しちゃってすみません』

 申し訳なさそうにする部下の声を聞き、主任と呼ばれた女性はキーボードをたたき終えると部下を見た。

『大丈夫。確認してくれてありがとうね』

 デスクから見上げる形で礼を言われた部下は、うれしそうに返事をした。

 パトリシアの前世は小林あきという名を持つアラフォーの女性で、とにかくり手だった。

 厳しく、相手のすきくように仕事を進め、業務の効率と売り上げの向上を求めた事務員だった。それでいてどうりようからのしんらいも厚く、厳しそうに見えたかもしれないが、その言葉がだれよりも同僚を思って伝えていることを皆が理解していた。

 出世よくは無かったものの、気付けばそのはくからか主任にしようしんしていたけれど、明子は何一つ変わらずに目の前にある業務に対し熱心にはげんでいた。

 たよりにならない上司や部下を𠮟しつし、はんちゆうえるような業務も行い、取引先にもちゆうちよなく口答えをする姿勢からか『鉄の主任』と呼ばれていた。

 常に人や仕事のじようきようあくして進めていた彼女が、自分のことにはとんちやくだったためか。

 健康しんだんをすっぽかしただいしように、彼女の身にひそむ病に気付くことが出来ず……結果、四十を手前にしてえいみんした。

 その明子の人生をパトリシアは思い出したのだ。

 池に落下した誕生日会の翌日、目を覚ましたパトリシアはまるで世界が変わったような感覚を覚えていた。

 前世を全て思い出した上で、今の自分パトリシアを振り返る。

 鏡に映る人形のような容姿やドレスを着た自身の姿をながめながら、前世での自分の性格を思い出し。

「…………ないわ…………」

 じた。とにかく、パトリシア自身を恥じた。

 我が儘放題、考え無し。周囲にはいりよしないでかんしやくを起こしっぱなし。

「今のわたくし、新人の斉藤さんやパートのなかさんより始末に負えないわ……信じられない……使えない……!」

 前世を思い出していなかったころのパトリシアは、幼女のような我が儘な子どもだった。

 けれど前世を思い出した今、パトリシアの中には前世でつちかってきた経験と記憶があった。

 その結果、パトリシアは今までの自分を恥じたのだ。

 そして、これからは己に恥じない生き方をしようと心に決めた。

 派手なドレスもやめたし、時間だけがかかるかみがたもやめて三つ編みにした。

 精神年齢が上がってしまったためか、若々しいそうしよく品にも興味がせた。ただ、前世を思い出す前から好きだったぬいぐるみ集めやこう品などは前世を思い出しても変わらなかったので、人格が全て前世に引っ張られているわけではないようだった。

 過去の恥を捨てて、パトリシアを嫌っていたメイドにもやさしく接した。

 そうする内に何人かとは打ち解けていった。

 以前から決められていたこんやく者のクロードとも数回会う機会があった。クロードは、時々パトリシアを不思議そうに見ていたものの、変化に気付かない様子だったのでパトリシアはあんしていた。

 ただ、この時点で周囲の情報を収集していたパトリシアは、このままいけばクロードが婚約をするだろうことが予想出来ていた。

 そして前世を思い出したパトリシアの人生設計上、クロードには自ら婚約破棄を宣言してもらわなければならなかった。

(想定内の行動をして頂いて感謝しますわ。クロード様)

 パトリシアはゆう微笑ほほえんで、もう一度元婚約者へとおもいをせた。

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