プロローグ
「パトリシア。君には悪いと思っている……どうかこの
パトリシア・セインレイムと彼女の婚約者であるクロード・ライグとの定期的な交流会の場で、クロードはそのように切り出してきた。
テーブルを
「君との婚約は親同士で決めたことで僕も従うつもりだったけれど、僕は見つけてしまったんだ。本当に愛する人を」
「愛する人……ですか」
「君も知っているだろうけれど……アイリーンなんだ」
「あら。そうですの」
アイリーンはパトリシアと交流があるドナルド
パトリシアは静かに
パトリシアはソーサーをテーブルに置き、クロードに向き合った。
「このお話、父にはお伝えくださったのかしら」
「いや。まずは君に伝えるべきだと……その……アイリーンが」
「あらあら」
どうやら
パトリシアは横目でクロードと共に付いてきた従者を見た。
(わたくしが
底意地の悪さに定評のあるアイリーン。実のところ、評判の悪さはパトリシアも負けていないのだけれども。まあそれは置いておいて。
婚約破棄されるパトリシアが恥をかく場面を報告するために
パトリシアにしてみれば、この先の話を余すところなく伝えて欲しいため、従者の存在はむしろ有り
申し訳なさそうに顔を
「クロード様。顔を上げてくださいまし。今のお話、しかとパトリシアは理解
「パトリシア……! 本当に……?」
パトリシアに近づく勢いでテーブルに身を乗り出すクロードに対し、パトリシアは天使のように優しく微笑んだ。
クロードはパトリシアの笑みを見て心底ほっとした。婚約破棄を申し出たことで、彼女が
「そうか。分かってくれたんだね……! ありがとう……」
「ええ、ええ。クロード様。
パトリシアはひと呼吸置くと、はっきりと告げた。
「婚約破棄に関する手続きはもう、お済みですか?」
「…………え?」
広大なコーネリウス大陸を治めるユーグ帝国の
帝国の法則は社会生活の細部に至るまで定められており、専門分野ごとに細分化した法規が国文書に
「婚約
「そ、それは……まあ……」
「また、不当に婚約を破棄された場合について、帝国憲法には破棄した相手側に対して損害賠償を
「そうだけど。どうしたんだい、パトリシア」
「それでは、こちらの資料をご覧ください」
パチンと軽く手を
また、執事とは別に身なりが整った男性が入室し、
クロードは混乱した状態の中、受け取った資料に目を通し、そして固まった。
背後から
「こ、この金額はいったい………」
ブルブルと
「
「大金すぎる! あまりにも現実的じゃない!」
「そんなことはございません。資料の続きを読んでくださいます?」
パトリシアは心外とばかりに資料の下部分を指したので、クロードは従うように続きを読んだ。読んで、
「婚約破棄に
「そ、そんな………いつの間に、こんなものを用意したんだ…………?」
「
誕生日にエスコートをしない婚約者。
周囲の友人からも
しかし、何も出来ずに
自分の力では何も出来ないと
けれど、今は
「このようなことは、父や母と話さずに決められることではない! 今すぐ父達に
「あら。そんな必要はございません。婚約を決めたのは未成年である十歳の頃でしたけれど、今のわたくし達は成人しております。全てのことについて決定出来る立場ですから。それにクロード様はつい先日、商会の
絶句する
「貴方がしでかした不始末を、貴方自身が
たとえ裏では
「…………………パトリシア……」
「
ニッコリと、パトリシアは書類を持って婚約者に
もはや
今のパトリシアにはその
もし以前のパトリシアであれば、婚約破棄の話題が出ただけでガチャンと音を立て、カップに入った熱い紅茶を
クロードが震える手で書類を受け取ったことを確認するとパトリシアは着席し、テーブルに置かれた紅茶を口に
銀色の長い
商会を継ぎ、一人前の自覚を見せつけていたクロードがまるで
「どう、なさいますか?」
「…………分かった」
「それでは、こちらの書類を急ぎ裁判所に出してきてください」
「かしこまりました」
クロードが出て行った部屋の
「思ったより
暗くなった景色を窓辺から覗きながら、パトリシアは一息
パトリシアとしては、もっとクロードが反論してくると思っていたのだが、彼自身パトリシアに負い目があるのか、はたまた賠償金額が
改めて婚約破棄が成立したことに、胸の奥で
「仕方ないと分かっているでしょう? パトリシア。わたくしが動かないと、後々痛い目に
窓にコツンと額を当てて、自分に対して声を投げかける。
もし、クロードの両親とパトリシアの両親が話を進めていれば、今提示した賠償金額は請求出来ないだろうし、パトリシアの両親は
一度婚約が破棄された
だからこそパトリシアは急いで行動に移した。
必要な書類と、必要な知識を集め、必要な手続きを全て先に進めておいて事態が起きることを予想した。
その手順は過去の経験から理解している。
事態の前に予測して行動することを。
明示された法律が全てであることを。
そしてその法律の
パトリシア・セインレイム。
十六歳になった年、彼女は前世を思い出していた。
『鉄の主任』と会社で呼ばれていた、かつての自分の生き方を──
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